女子美の中高大連携授業
経済思想、社会思想、政治思想、法思想
マルクスとかハイエクとかサンデルに興味のある人、哲学とかに憧れる人向け。
周知のように、欧米からの専門用語の和訳の多くは明治期になされた。しかしながら当時、本来は「女王」とすべきところ、「王」とせざるを得なかったとの事情などもあった。また、その多くがその後の中国や朝鮮半島に伝わり、現在に至る。彼らが使う民主主義や共産主義の言葉は、わが先達のおかげである。
同書(京都大学学術出版会)を翻訳した本田裕志教授が、巻末の解説で、翻訳の困難さを語っていた。例えばcivilisにつき「市民的」との定訳を用いたものの、場合によっては(civitasとの意味上の連関から)「国家的」としなければならないときもあった、と。
たとえば、「人民」なる概念もロックとマルクスでは大きな相違がある。このように、そうした思想家たちのそれぞれの概念には独自の意味合いが込められている。したがって、翻訳する場合にも、それぞれの思想家がどのような想いを込めてそれぞれの用語を使用したのかにつき、考察せねばなるまい。議論も同様であり、そこに知的な共通理解が形成されていなければしょせん、議論がかみ合うはずもない。いたずらに時間を浪費するばかりである。こうした掲示板において、この私に意味もなく絡む輩の少なからずに、私はそれを感じてならない。
止まるところを知らぬ物価高。スーパーでも、日用品につき信じがたい値段が付されている。岸田政権には、それらに対応する意思や能力にも乏しいように見受けられる。また、このような状況が続けば、早晩大学の学費値上げも検討せざるをえまい。ただでさえ、コロナ対応での予備費取り崩しを迫られたのだから。
とりわけ、キャンパスで消費された膨大な電気料金が心配だ。そもそも私学助成につき法で求められた水準の5分の1しか執行されず、年間経常費の10%未満との冷遇にあるわが私立大学。それゆえ学納金に依存せざるを得ない私学にとって、これは由々しき事態である。このことを、怒りを込めて訴えたい。全大学生の80%を占める私学生をないがしろにして済む道理はあるまいからだ。
もと京都帝大教授で、立命館大学総長も務めたあの末川博は「政治は経済の機能であり、法は政治の表現である」と唱えた。はたして岸田首相は今後、どのような法律(閣法)を成立させようと考えているのであろうか。その場合、時限法での緊急避難的な消費税廃止(停止)法案しかあり得まい。だが、財務省のコントロール下にある現行政権において、それは期待薄である。




































