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389 コメント 最終更新:

「文系は刺し身のツマ」に

【7004284】
スレッド作成者: 文系は人数が多く供給過多 (ID:3tEjFsLZgaI)
2022年 11月 15日 18:58

今後は、産業ニーズと合ってるかどうかが重要。
学士と高専卒が同じ括りに。


例えば、DMG森精機

卒業・学位_____初任給__想定初任年収
大学院卒(博士課程)475,000円_6,825,000円
大学院卒(修士課程)310,000円_4,650,000円
大学・高専専攻科卒_300,000円_4,000,000円

【7017790】 投稿者: 近づいたらだめ   (ID:af4kg46apn.)
投稿日時:2022年 11月 28日 12:51

理系には優秀な人材集まるので自分の不備をすぐに認めビルドアップしていく
文系は無能の集まりなので自分の誤りを絶対に認めず修正ができないので130年もビルドアップしてない。近づいたらだめ。

【7017796】 投稿者: 鳩山由紀夫首相は   (ID:CHPurmGojq2)
投稿日時:2022年 11月 28日 12:58

戦後最悪の総理とか、ルーピーとか言われてるけど、私は単に理系だったんだと思うよ。
致命傷は普天間移設の失敗だったけど、鳩ちゃんなりに腹案があるとか、最低でも県外とか。母親からの毎月2700万円の贈与も、「いるわけないと思うけど現にここにいる」とか。
文系はロジックや整合性を求める学問だから、整合性ないこと言わないんだけど、理系は事実に理論を合わせていくから、「現に2700万円もらってるよ」と言っちゃうんだな。

理系がヤバい。

【7017858】 投稿者: n1で議論   (ID:dZx0.4sjxgM)
投稿日時:2022年 11月 28日 13:54

n=1で結論できると思ってる時点で頭がなんとか。
統計的有意差でるくらいまでランダム比較対照取らないと。その意味もわからないか。

【7017864】 投稿者: さすが数弱   (ID:7j00TcAS9HE)
投稿日時:2022年 11月 28日 13:57

自然現象を扱う理学系は理論が更新されるスパンが長いですが、人工物を扱う工学系は一過性のものがほとんどですよ。技術革新の早さをみれば明らかです。でもだからと言って検証をおろそかにすることはなく、特定の条件や観点において確認を行っています。ですから、経済学もできないことはありません。
ただ、データや数字だけですべてを説明することはできない一方、理論だけでは事実と乖離していくことになるので、双方をバランスよく組み合わせることが大事だと考えます。

【7017870】 投稿者: 読解力なさすぎ   (ID:QSUJWXlrL6A)
投稿日時:2022年 11月 28日 14:05

鳩ちゃんがそうだから、理系がそうだという話ではなく、理系的というのはこういう論理より事実を重視するタイプのことだと言っている。
証明と説明の区別をつかないのか?
あるいは私の説明(=理系は理論より事実重視)に異論でも?
全く理系に悪意のないニュートラルな説明だと思うが。

【7017872】 投稿者: だから~   (ID:QSUJWXlrL6A)
投稿日時:2022年 11月 28日 14:08

理系が実証を重視するのに対して、文系は理論の体系を重視し、やや観念的な議論に寄るという傾向はあると思うよ?
これは文理双方合意できるかどうなのよ?

【7017876】 投稿者: 二俣川は迷走するから黙っておいて   (ID:QSUJWXlrL6A)
投稿日時:2022年 11月 28日 14:13

文系側からまとめると、経済学者ジョークに無人島に漂流した経済学者が缶詰を手にして、「ここに缶切りがあったと仮定する」とつぶやく話がある。
つまり、文系学問は事実より理論スタートで観念的であることは傾向的に言えるよ。
それで?だから?ってことだわなあ。
理系くん、反論どうぞ。

【7018016】 投稿者: お答えする   (ID:LHCPh.M/lHE)
投稿日時:2022年 11月 28日 16:22

お答えに代えて。

「他方でわれわれは、科学のパラダイムparadigmやマトリックスmatrixが、歴史的、社会的に相対的であること。そして科学理論も一種のイデオロギーであることを是認する(あのマルクスも、それを指摘した)。しかも、マルクス主義の思潮が相対的に退潮したといわれるこの現代において、その相対性が学問的意義を有する共通の了解事項として位置づけられているところに、あらためて私は意を強くする。/そして、Duhem-Hanson ThesisからDuhem-Quine Thesisを遡るまでもなく、科学理論もさまざまな背景知識と結びついた体系であり、仮に理論に反する経験に直面してもその体系の一部を訂正すれば当該体系の維持は可能であると考える。したがって、観察事実による反証や決定実験も論理的には理論の交代を促す力を有してはいない。なぜなら、既述のごとく、反証材料としての観察事実もすでに理論によって負荷されており、『裸の観察事実』など存在しないからだ。そうであればやはり、理論を倒すのは理論に他ならないのである」(再掲)

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