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「文系は刺し身のツマ」に

【7004284】
スレッド作成者: 文系は人数が多く供給過多 (ID:3tEjFsLZgaI)
2022年 11月 15日 18:58

今後は、産業ニーズと合ってるかどうかが重要。
学士と高専卒が同じ括りに。


例えば、DMG森精機

卒業・学位_____初任給__想定初任年収
大学院卒(博士課程)475,000円_6,825,000円
大学院卒(修士課程)310,000円_4,650,000円
大学・高専専攻科卒_300,000円_4,000,000円

【7018017】 投稿者: n1で議論   (ID:8BOLXK5CYY.)
投稿日時:2022年 11月 28日 16:23

理系は事実を理論より重視はそうかもしれないが鳩さんの発言がその例に当たるかは怪しいと思います。西暦7000年くらいにn数1000になったくらいにはっきりする。現時点では結論なしが結論。結論なしのことを強引に結論出そうとするのは宗教の世界。

【7018040】 投稿者: ポストモダン   (ID:9z9cbRfhTXA)
投稿日時:2022年 11月 28日 16:39

例えば、「限界効用」の数学モデルなどは、演繹的な合理性によって導き出された「理念型」としてのモデルを、これまた演繹的な合理性を表現する数学のモデルで記述しているのであって、そこには、実験による検証など入り込む余地はない。
ある消費財の1単位あたりの追加的な効用は、最初の1単位と最後の1単位では全く異なる。
こういうのは、生活実感から感得される事実であって、実験による検証を経て実証される事実ではない。
しかる間、数弱君は、実験による検証を経たものだけが事実だと主張する。

【7018044】 投稿者: Popper   (ID:LHCPh.M/lHE)
投稿日時:2022年 11月 28日 16:41

以前、良識ある理系の方も同趣旨のことをおっしゃっていたが、Popperによればある理論が科学的なものであるためには、それが反証可能なものである必要があるという。すなわち、経験的事実による「反証可能性falsifiability」が科学とその他との境界設定基準というわけだ。

しかしながらそれは、不利な証拠を積極的に探求して理論の誤りを発見し、反駁をする作業だと彼はいう。そうすると、君たち似非理系人士らが恣意的に切り取り、得意げに貼付する「データ」なる機械的な数字の羅列は、およそPopperのいう反証(falsification)には該当しないことになろう。蓋し、それは有利な証拠を探し求めて理論を擁護しようとする「検証verification」に過ぎないからだ。

【7018104】 投稿者: さすが数弱   (ID:7j00TcAS9HE)
投稿日時:2022年 11月 28日 17:36

> 哲学(者)が自然科学(者)に先んじてまず新しい問題領域を開拓し、そこに生ずるさまざまな困難を解決するための方途を示すこと

これはトップダウン的なやり方だから、理想論を振りかざすだけで、現実的な課題は解決できないよ。事実から積み上げるボトムアップ的なアプローチもしていかないと。トップダウン的なやり方だけだと共産主義のようになってしまうから、ボトムアップ的なやり方も入れて民主主義のようにしないとダメだね。多くの人から賛同を得られない。

哲学が開拓した問題領域しか自然科学が検討できないとなると、足かせをはめられることとなり技術革新のスピードは今よりずっとおそくなるだろうね。

【7018111】 投稿者: あれま   (ID:UJbpeVUhlSg)
投稿日時:2022年 11月 28日 17:48

理系くんも、早々に理系は文系に使われる立場だけど、文系も理系を大事にしろよというスタンスか。

まあ、可哀想だが、やはり技術屋さんは使われる立場に収まるのがいいよね。
今度は菅(カン)総理だけど、「私は原子力にすごく詳しい」と言って福島の視察に行って、現場の収拾活動を邪魔したからなあ。
現場で事実を確認したい、細部にこだわる理系は全体を仕切るのは無理なんだよな。大局観ないから。

【7018134】 投稿者: さすが数弱   (ID:Tm2Nn0svY4c)
投稿日時:2022年 11月 28日 18:10

そう思っているうちが華だよ。

世界の経済はテクノロジー企業が引っ張っているのだから、そのうち文系は理系に頼らなくてはやっていけなくなるよ。資源のない島国が技術を軽視したらこんなふうに落ちぶれるのはあたりまえで、それにやっと気づいてきたんだし。

【7018135】 投稿者: お答えする   (ID:0woMOuS9/GI)
投稿日時:2022年 11月 28日 18:10

君は誤解している。そんなものは枝葉末節だ。

ここでの核心は、まずその「客観性」にある。すなわちそれは、事実と論理に基づくところの即物的かつ間主観的な論議・批判の可能性を指す。またそれを担保するものが、権力やタブーを恐れぬ知的に廉直な学問的態度である。さらに、経験論に関しては、認識における「理性」あるいは「想像力」の能動的役割を重視する。

たしかに、私の学問的立場からはそれは必ずしも承服しがたいものだ。だが、君の側がその高慢な在り方から「降りてきて」、哲学との誠実な会話を希求するであれば、Popperの見解が相対的に親和性有するのではないかと考えた次第。なぜなら、君たちが盲信する無批判的合理主義は、自らの方法の限界についての謙虚な自覚に乏しいからだ。たとえば、お得意の合理的・科学的方法(万能論)のみによって、倫理的価値判断の問題が解決できようか。

【7018144】 投稿者: さすが数弱   (ID:Tm2Nn0svY4c)
投稿日時:2022年 11月 28日 18:19

> ある理論が科学的なものであるためには、それが反証可能なものである必要があるという。

これがなぜそうなのか理解していないのだから、これこそ一部を取り出して屁理屈言っている証左だよ。

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