在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
「文系は刺し身のツマ」に
今後は、産業ニーズと合ってるかどうかが重要。
学士と高専卒が同じ括りに。
例えば、DMG森精機
卒業・学位_____初任給__想定初任年収
大学院卒(博士課程)475,000円_6,825,000円
大学院卒(修士課程)310,000円_4,650,000円
大学・高専専攻科卒_300,000円_4,000,000円
マルクス主義の唯物弁証法は、論理実証主義の方法論では科学的に実証できないのではないか、という問題提起とお考えください。
ウィトゲンシュタインがフロイティズムを似非科学と断定したのと同じ理由で、論理実証主義の観点からは、唯物弁証法は科学と認められない。
もちろん、論理実証主義の観点だけが、科学を認定する基準ではありません。別の観点からは、フロイティズムもある種の合理性を有した科学と認められるのと同じ理由で、唯物弁証法もある種の科学と認められる。
上山春平の『弁証法の系譜』を読むと、「社会的な存在が人間の意識を規定する」という命題の下に、ガイスト(精神)の自己展開の論理であるヘーゲルの観念論的弁証法を、物質条件に規定される科学的弁証法に転換したのが唯物弁証法だとするマルクス主義の理論も、依然として、ギリシャ哲学の対話法から発展したヘーゲルの弁証法と同じ範疇に位置付けられる、という事が分かる。
フロイトは、自我とエスとの葛藤による欲動の力学的なモデルで人間存在を分析する手法を確立したが、マルクスの唯物弁証法も、それと同じように、合理的な方法論を持ったある種の科学と見做すこともできるのではないか、という問題提起です。
経験論と合理論に基づく論理実証主義の方法の体系だけが科学的な方法論というわけではないからです。
近代主義を支える世界観は、古代以来の生物学的世界観に代えた機械論的世界論であった。その機械論とは、原子論的な要素主義と結びついており、われわれの文化論的な近代主義批判の視座にとってもその共通基盤の解明が必要になろう。
ところで、社会科学の対象世界を自然とは区別して社会的な諸関係や諸編成を範型に据えるのはデュルケム学派ecole Durkheimienne以来である。そこで、その態様が世界認識に反映すると理解すれば、その図式の解明にも関心を抱く。そのうえで、近代世界の根本図式は資本主義を原理とした商品交換世界であり、人々が商品交換者として平等な自律的人格の主体-欺瞞的なーとして現れる。
その結果、前近代の有機的結合を排して、各個人が機械的な結合によって結ばれる「市民社会」との特徴をなす。そしてこの近代的世界像の形式合理的な原型に拠れば、社会的事象も有価物として価格的に数量化され、計量的な数学的分析に委ねられるとする経済学の一派ー経験科学乃至精密科学としての「現象分析」ーが登場する。早稲田の政経学部には伝統的にこの立場が多い。
文系には、狭義の意味での「実験」なる検証手段がない。もっとも、科学のパラダイムやマトリックスが歴史的・社会的に相対的であり、科学理論もまた一種のイデオロギーであるとの指摘は、つとにKarl Marxによってなされたところではあった。T.S.Kuhnのパラダイムparadigmも科学理論の歴史的・社会的相対性の論拠となる。
そこで、そうした文系にとって必須なものが「歴史」である。ところが、同じ文系でも「経済分析」等現象分析の論文は、押しなべてワンパターンの論法で、分量もペラペラのものが多い。なぜならその性質上、そこに過去の歴史的な傾向や経済観ともいうべき資本主義経済全体の姿に関わる叙述が省かれるからだ。
そうして遠くから無意味な落書きをするくらいなら、次のような入門書にでも目を通して同じ土俵に上がり、そのうえで批判を試みてはどうかね。あまりに現状、情けないとは自覚できないのだろうか。
「あなた方に適切な本をご紹介申し上げたい。樋口清秀他『理工系学生のための経済学入門』(1994年、文眞堂)である。そこでの経済学の合理的思考は論理実証主義に基づくものであり、それは経済学のみならず他の科学にも共通する思考方法だと述べている点には異論あるものの、読者の属性を意識してか数学的表現を用いて分かりやすく説明がなされている。とりわけ、経済学における「合理的な経済人Homo Economicus」、すなわちいつも計算高く、打算的であり、情報が完全である場合には誤った選択はしないとの仮定は、試験管の中での実験で「科学的な真理」が得られたと高原する一部理系人士の発想と一見共通するものがあるのかもしれない。もっとも、そのどちらも実在を軽視した観念論的誤解なのであるけれども。そういった問題点を包含しつつ、あなた方への入門書としてご推奨する」




































