充実した教育環境の日大付属高校
30年後の難易度No.2の大学はどこか?京大?一科?慶應?
未来のことは誰にもわからないのが本当のところですが、ここでは遊びとして、2050年あたりの日本の入学難易度No.2の大学はどこなのか?を議論できればと思います(基本的に京大のままだと思いますが)。また慶應に関しては理系と経済学部に限定し、AOや指定校推薦を実施している下位学部は議論の対象から除外できればと思います
参考までに私が知る大学関連のいくつかのトレンドを記載します
有名私大人気:
就職やブランドの観点から有名私大の人気が高まっていますね。背景には少子化による大学競争の苛烈化の結果、優勝劣敗がついて生き残っている大学にみんなが集まるということが起こっているのかもしれません
東京一極集中:
地方よりも東京の大学の偏差値や倍率が上がり地方の大学は私立国立問わず少子化の影響を強く受け偏差値(難易度)の低下も見受けられます。日本の地方産業(企業)の衰退による地方の就職環境の変化が影響しているのかもしれません
グローバル化:
日本の少子化は止まらないので難易度維持のためには優秀な海外留学生の獲得合戦が予想されます。欧米のトップ大学は世界中の高校生の憧れとなっています。世界ランキング上位の大学は9月入学など改革ができればブランド的には世界に通用する学歴となってアジアの学生に人気となる可能性がありますね
軋轢が生じようとも少子化対策を断行すべし。
そもそもそんなに簡単に仕事と育児の両立などできるわけないのだから、その前提で仕事量やシフトを組むべき。
子育て支援(時短勤務や育児休暇等)が仕事の支障になるという近視眼的な捉え方ではなく、仕事がどうしたら子育ての支障にならないかという視点が必要。
他国からの侵略や占拠を狙う輩の心配もあるけど、日本人が日本人だけの考え方や価値観に固執し、変わらぬ事を望めば暗い未来。
明治維新や文明開化が起こらず、江戸時代がもっと長く続き、あの当時の価値観や風習がそのままだったら…今の日本はここまでの近代的な発展があったかな?とは思う。
ただね…子供や未来を担う人達が身近に居ないとどうしても現状のことしか考えられなくなるんじゃないかな。
国の未来とか言っても所詮は他人のために自分の時間や労力を割いてまで今を変えようとする人がどれほど居るのかって話。
「知らんがな」ではないだろうか?
人口減少の確固たる主要因を特定する事は難しいが、人が子供を増やすと言う当たり前の種の法則を何らかの原因が阻害しているワケだ。
自然界の生物とは違い、人間は社会性の強い動物で、その社会システムの中の何かが主要因であると考えるのが一番適当と思われる。
人間社会の一番大きな原理は経済である。
だとすれば、ここに根本原因があると仮定して対処するしかないが、これを考えた場合には、意外と単純な処方箋を思いつく。
つまり、社会の中で通貨循環が滞っているから経済縮小している現実を踏まえ、そこに問題が隠されていると睨んで、社会への通貨供給と循環を促せばよい。
それが100%良い処方箋かどうかは解らないものの、今の時点では明らかにその点の手当てが必要だと言うのは誰でも理解できる。
人口減少を受け入れて小さな国として生き残りを目指すか、それとも経済規模を維持するために移民受け入れを認めて、人口減少を食い止めるか。
現在のインフラを維持するためにはもはや、移民国家に転換する以外無いと思いますが。
多様な生き方が許される社会において、子供は要らないという価値観が今後ますます広まれば、出生率の減少は今よりも加速する。
圧倒的多数の高齢者と少数の若者(生産人口)という構図が予想される中、今からどれだけ少子化対策しても、もはや現状の社会保障を維持したまま多数の高齢者を支える事は出来ない。
30年後どうなるかは、シンギュラリティがどうなるかに依存しているでしょう。
シンギュラリティが起こらなければ、今のままの延長線上にあるかもしれません。
しかし、シンギュラリティが起こったら、AIの方が人間よりも賢い状況になるので、特に賢い人間は必要なくなります。
どちらかというと、芸術面、エンターテイメント面で秀でた人間が、ニーズに合致して行けるでしょう。といっても、生成AIによってクリエーターは不必要になるので、プロデューサー的な才能を持つ人ですが。
もしかすると、日本一の大学は東京藝大になるかもしれません(今でもある意味日本一ですけれど)。
東大は、No1と言っても、意味のないNo1になるかもしれません。
と、東大卒の子供が言っていました。
東大卒でも、まったく使えない人材も多いようです。
シンギュラリティが起こらなくても、AIに置き換えられる人材なら、まったく意味がなくなるでしょう。
今の時点でも、東大の後輩よりも、まったく違う価値観を持っている他大学の新入社員の方がよっぽど使えると言ってもいました。





























