女子美の中高大連携授業
私文専願者の価値って、なんだろう?
スレタイ通り
「私文専願者の価値って、なんだろう?」
この15年で少子化の影響で
早慶は一般受験者を6割減らし
旧帝の偏差値は2-3下がり
医学部は高止まりなものの
その下の薬学部、獣医学部、歯学部は偏差値を4-5上げ
医療系と人口の多い首都圏の理系以外は総崩れが実態。
この流れは加速しどこかで臨界点を超えるだろう。
できることは技術者の待遇改善と
難しすぎて文系生物逃げの原因となっている数学と物理の易化くらいか。
現象は、線でとらえるのではなく、面で。
形式的に捉えるのではなく、実質でとらえることが必要だ。
そのうえで、なにゆえその「アンブレラ」云々を採らざるを得なくなったのかね。問題は、その背景であり、原因にある。
どうして国は今般、国立大学間での差別化を進め、とくに地方国立大学を標的に次々と実質的な整理統合を進めているのか。その答えは、すでに文科省自体が明らかにしている。要は、効率性の観点からすでに、そうした戦後生まれの国立大学群はその使命を終えたと考えているということだ。また、それにより生じた剰余資金を東大等の一部銘柄大学にのみ集約したいとの思惑でもあろう。そうすると、地方からは地域の基幹病院としての国立大学医学部ならびに附属病院以外は姿を消すとの方向性すら、いずれ露骨化しよう。アベ政権時代に画策された地方国立大学における文系講座の廃止も、そうした動きの延長線上にあるものと思われる。弱肉強食・優勝劣敗は、資本主義の本性である。
それらを直接に拝見していないので何とも申しにくい。
だが、そうした経済的合理性に偏重(利益偏重主義)した考え方は、経済的な価値観を重視し、他方で人間的な価値観の軽視とも思われるのである。本掲示板でも一部で声高に唱えられる理系盲信、文系軽視の俗論も方向性としては同じ文脈との印象だ。それはあたかも、産業革命のマイナス的側面たる人間性の軽視、効率性至上主義と似たものを感じる。欧州では「希少種」となった観のある「ネオリベ」が、いまだデカい顔をしているのが不思議だ(どこかの大学の政経学部でも)。




































