在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私文専願者の価値って、なんだろう?
スレタイ通り
「私文専願者の価値って、なんだろう?」
東大国語で4割取れるなら阪大国語で2/3は取れますよ。漢文が得意なら文学部でも受かるかも。東大の人は謙遜するからなあ。特に文系の学部卒の人は。私の感覚では、東大学部卒=阪大修士=早慶修士ぐらいかな、学力レベル的には。
レーニンの『国家と革命』の「国家とは階級の非和解性の産物である」というテーゼの二俣川さん流の理解だと思っていますが、森嶋通夫の日本における資本主義の発達史などを見ても、戦後の日本には欧米に見られるような支配階級としてのブルジョア階級など、存在したことはなく、あえてそれにあたるものを挙げるとしたら、終身雇用制によって護られ、政官財の癒着によって国家戦略として政策的に優遇されていた大企業の社員である。
このスレにも「国家戦略」を聞えよがしに口走る駅弁支持者がいるが、この事実からしても、この「国家戦略」という言葉がいかに日本の社会では資本の論理に基づく特権を意味しているかがわかる。
彼らは、資本の走狗として「国家戦略」に護られたいのである。
でも、現状の日本は、「国家戦略」という資本の論理で、新たな経済成長を成し遂げる資本主義の発展段階にはない。
それがIT革命の時代の資本主義の「段階論」であり「現状分析」なのです。
>二俣川さんも関西人さんもいい歳なのですから、いい加減「大学の受験科目ごときで能力を語ることの愚」を学んでください。
君は一体誰に向かってそのような粗雑な物言いをするのかね。
しかも、私はそのような主張をした覚えはない。
むしろ、下記は君のような自惚れた知的軽輩に向けて記したものだ。即興だが、私の持論でもある。そうして大口をたたくのであれば、ぜひご所見を承りたいと願う。
以下、再掲。
「偉大なるヘーゲルは、資本主義時代の謎が「自由なる人格者」との概念の白衣に包まれ、「実現された自由の王国」の裏にひそめられていることを見破っていた。だが、支配層はなお執拗に王国の民を苦しめる。/そもそも市民社会とは、同質性の原理による原子論的構造をもちながら、返って自己内に異質的対立的契機として階級的部分社会を含む二元的構造によって成り立つ全体社会である。そして、この異質的契機を媒介にして国家機構が外郭的政治社会として形成せられる。そこでは、物質的に支配的地位に立つ階級が全体社会を政治的・思想的に支配する。かかる階級こそ、bourgeoisieに他ならない。したがって、近代国家の本質とは、bourgeoisieの階級的支配のイデオロギーに過ぎないといえる。/すなわち、総資本の支配は、国家の普遍意思を通して行われる。そこでは、資本と労働力との等価性の原理が契約自由と、それを介して実現すべき営利主義とに規範的正当性が付与される。換言すれば、資本主義的社会における「善」なるものは、かくて資本主義的社会関係のイデオロギー的反映である。そして支配階級は、かかる物質的諸関係を現実に維持するために「(彼らにとって)善」なる規範につき、さらに法規範としてそれを制度化せられねばならない。大学をめぐる国の所為も、かかる邪な本質を内包しているのである」




































