在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
地元の旧帝大より東京の有名私立大学
早慶、上智、MARCH etc...など東京の有名私大が旧帝や神戸大などの地方難関国立よりあらゆる面で勝っています。
これは残念ですが事実です。
賢い人は地方に都落ちはしませんし、地方の人は東京の私大へ来ます。
その証拠に有名企業就職率、大企業役員、政治家などあらゆる分野で地方旧帝は東京有名私大にノックアウトされています。
賢い人が多いからですね。
我が国の首相も、世界のトヨタの社長も早稲田卒です。
地方旧帝で活躍してる方って思い浮かびません。
地方のナンバーワン進学校である灘や西大和学園も大挙して東大や早慶にやって来ます。
終身雇用が事実上崩壊しつつある現在。その上で「プロティアン・キャリア」が唱えられてもいる今日、そうして「就職先」を大学評価の尺度にするのは、いささか時代遅れではあるまいか。ちなみに、私のときはゼミで院進学者は私だけ。他は全員公務員や三菱、富士といった都市銀行(当時)、あるいは電通といった大手広告代理店等に就職していった。
だがそれは、当時の風潮がそうであったとの外部的要因によるものが大きかったに過ぎない。すなわち、そこに「(学卒者)就職=大企業」との社会通念があったからだ。それゆえ、まだ新進気鋭だった「日本リクルートセンター(現リクルート)」から内定を受けた友人は、仲間から変わり者扱いをされていた。※
その意味では、卒業後の進路が相対的に多彩になった現在の学生諸氏の在り方の方が、より健全であると考える。そこに価値観の変化、すなわち従来の「会社名」「地位・賃金」から「心理的成功」「仕事の満足感」志向への移り変わりをみることができるからだ。就職先・職業選択に関する意思決定についての個人特性アプローチである。
※某TV局に勤務していた大先輩は言った。第一志望は人気の映画会社であったが、不採用だった。そこで当時、海のものとも山のものともわからなかったTV局に拾ってもらった。そのとき、よもやこれほどの人気企業になるとは想像もしていなかった、と。だが、そのTV局の現在は・・・。 この資本主義社会において、永遠の興隆を約束された産業などあり得ない、ということだろう。
> 少子化対策は、物価対策こそが必要なのですね。
少子化対策は、大企業の本社を地方へ移して地方に仕事を作ることだよ。地方に仕事がないから首都圏に出てくるけど収入に対して家賃と生活費が高いから、子供を複数持つ余裕がなくなる。大学も同じ。
>論文の多寡だけで決めつけるのもいかがなものかと思われる。
トップ論文数は、アメリカ、中国には遠く及ばず、イギリス、ドイツなどにも抜かれどんどん順位を落としている。それをキャッチアップすることは至難の業。
言い訳しか言わない教員はいらない。
テキストに書いてあることを講義するだけなら、高校や専門学校の教員と同じ。
私の恩師は、「最先端の研究を行っていない大学に、真の大学教育は出来ない」、というのが口ぐせでした。
私も同じ意見です。
自分たちで悲惨な人の定義を大企業に入れない者と勝手に決めておいて、今度は、国立は公務員が多いから?
ご都合主義なんだね。
早稲田の公務員比率(含む教員)は5.8%、一方で東大は5.5%、京大3.8%(東洋経済2018年データ)。教員が多い地方旧帝も8%前後。
大企業社員、公務員にもなれない比率や数は旧帝大の方が高いことは変わらないのだから、そんな願望のようなことを言っても、あなたが言う悲惨な人は旧帝大卒の方が多いよ。
君、大丈夫か。
私は、論文数の多寡だけを研究者評価の尺度にすること自体に疑問を呈している。ある目的のための実績稼ぎにとばかりに論文数を増やしたいとの事情を有する(博士後期課程の)院生ではないのだから。それゆえ、問われるべきはその内容如何による。研究者の世界は、「ビジネス書」などで見受けられる、同じ内容の駄本ばかりを次々と書きなぐる人士が「売れっ子」とされるわけでもないのだから。
なお付言するに、仮に教科書の内容を講義したからとて、そうして一概に否定的に決めつける必要はあるまい。それぞれの立場や学問の性質により事情が異なると思われるからだ。ちなみに、ある刑法学の指導的研究者には、斯界を代表する名著があった。しかしながら、彼の講義はさして魅力あるものではなかった。他方で、学者としての業績が乏しい者であっても、談論風発、講義自体は楽しいとの例もあった。それゆえ、講義での外形的な様子から当該研究者の実力云々にまで短絡するのなら、それはお門違いと言わざるをえまい。物事の評価は、線ではなく面で。外見、形式ではなく、その実質でもって判断されるべきであるからだ。




































