在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
東大は悠仁様の受け入れを表明して混乱を収束させるべき
東大は、一刻も早く悠仁様の受け入れを表明して、混乱を収束させるべきではないですか?
東京大学憲章には、目指すべき目標のために「市民エリート」の育成が必要と、明確に謳っている。そのための方途のひとつがリベラルアーツであって、その語源には奴隷制度からの解放(自由になるための学問)という、古代ギリシャの思想が根底に流れている。身分的階級制度からの解放と捉えれば、本来、特別な地位にあるものを受け入れるということは、この憲章に相反するとも考えられる。
なるほど、皇族といえども学ぶ機会・権利は一般国民と同様に保証されるべきだというのが現代的通念とも言えようが、東大の擁する学問的環境は私立大学のそれとは異なり、かなり恵まれているというのは、学生ひとり当たりの大学運営交付金配分をとってみても明らかであろう。国民の負託を受け有意な人材を輩出する、あるいは卓越した研究力をもって我が国の産業に貢献する。だからこそ突出した運営交付金をも正当化されると解されよう。
そしてその学問的環境を得ようと多くの受験生が日々受験勉強に勤しみ、合格を夢見て頑張っているからこそ、まず入学基準の公平性が保たれる必要がある。百歩譲って学校型推薦制度を用いるにしても、そこには国民の負託に耐えうる透明性が、何よりも担保されるべきであろう。
それが多大な運営交付金を得て国民の負託を受けた大学としての義務である。
一方で、その優位的な学問的環境を不明瞭な手段をもって得ようとすることも、この負託を蔑ろにするものであって、皇族たる身分であるなら尚更のこと、慎むべきである。
一般入試を経るならともかく、学生の相対的な受益率ひとつとっても、私立大学と同じコンテクストでは語れまい。だから不公平なのである。
*は、下の方に説明が書いてなかった?
たいてい、"corresponding author" が誰か表示があるはずだけど。
自然科学系の論文では、第一著者は普通、もっとも主体的に実験・観察を行なった人で、論文の文章を書いた人と違うことが多いです。第一著者が実験を行なって新規の発見やデータ集めして、最終著者が助言したり文章を書いているのなんて普通です。間に乗っている人たちは、補足的な貢献をしたとか。文系の論文とは違います。
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君、何も知らず、又、読みもせず、知ったかぶるのはやめようか。
*は、下の方に説明が書いてなかった? って何?
下の方に説明なんて書いてるわけ無いだろ。
まさか、学術論文の筆頭著者に付す*印を知らない?
で、たいてい"corresponding author" が誰か表示があるはずだけど。 って何?
まさか、あんなにはっきりと示されているのに"corresponding author" の区別もつかない?
清氏だよ。はっきりと載ってるよ。
第一著者は普通、もっとも主体的に実験・観察を行なった人で、論文の文章を書いた人と違うことが多いです。って、本当に知ってての発言?
原則的に著者の順番は論文への貢献度を表すもので、立場に伴う信用と責任を意味するもので、研究に多大な貢献をし、論文を承認、そして発表された論文に対して説明等の責任を持つことが出来る人物がファーストオーサー。
最も左に位置付けられる名称。
でも、悠仁くんはこれに何一つ当てはまらない。
しかも、*が清氏の箇所に付している事で、かなりイレギュラーな並びにはなっているが、筆頭著者は清氏であることを示している。
君のいう主体的に実験や観察を行い、多大な貢献を行ったのが悠仁くんというのなら、悠仁くんは清氏同等の知識があって学術的に分類等も行える知見があるということだが、この論文の観察期間は2012年から、つまり、悠仁くん5歳。
常識的にそんな知見も知識もあると思う?
ファーストオーサーとして多大な貢献が行えるほどの。
それと同時に、本件につき日本社会の後進性あるいは前近代性の表れととらえるか、あるいは日本の歴史・文化・社会などの特質から説明しようとするのか、二つのアプローチに大別されるものと思われる。そこで皇室自身が「開かれた皇室」を標榜するのならば、近代化・国際化が進展するにつれて、本件のような悪例は次第に消滅し、やがて西欧・北欧型の王室像に収斂(convergence)していくと考えられる。他方で、後者であれば、日本社会の近代化がいかに進展しようと日本の文化的、社会的特質が消滅してしまうことはあり得ないゆえに、程度の差はあれ今後も、本件の如く一部皇族らによる不行跡は続く(divergence)可能性がある。しかしながら、今後移民の形でニューカマ―の外国人が増え、そのかなりの部分が定着し、日本国籍を取得していったときに、日本の文化的、社会的特質が希薄化する可能性が高い。ただいずれにせよ、彼らが天皇に就いたとき、天皇制の終わりの始まりが鮮明化することは間違いなさそうである。




































