今年入学した高1生が語る青春リアル
東大は悠仁様の受け入れを表明して混乱を収束させるべき
東大は、一刻も早く悠仁様の受け入れを表明して、混乱を収束させるべきではないですか?
東大ホームページによると推薦入試の取り扱いは下記のとおり
「学校推薦型選抜は、ペーパーテストの点数を主として評価するという入試システムとは異なる尺度で選抜を行う」
「合否判定に当たっては、大学入学共通テストの成績のみを重視することは考えておらず、また、成績の利用方法としても、1点刻みではなく、入学後の学修を円滑に行い得る基礎学力を有しているかどうかを判定する観点から、大学入学共通テストは、概ね8割以上の得点であるかどうかを目安として判断する」
当然、その年の共通テストの難易度と平均点、東大一般入試の足切点、推薦受験生の本来評価すべきペーパー以外の実際を勘案して合否を決めているはず。
推薦だけに8割以上を厳密適用すれば過去の推薦合格者や一般入試との整合が崩れる。
少なくとも一般入試や過去の推薦入試で8割を割っても合格者がいて今回のみ推薦で8割を厳密適用したら矛盾が生ずる。
推薦は学力テストがないのだから。8割程度の基礎学力を求めて良いと思いますよ。
学校側が出してきている内申点が正当なのか確認する為にも8割基準は必要だと思います。
一般合格者で共通テスト8割を切るのは稀だと思います。
2次が出来れば共通テストは出来るはずなので、8割切るのは勉強の比重を極端ゆ2次において共通テストの過去問対策を疎かにしただけだと思います。
ちょっと比重を変えれば、簡単に8割はとれます。
逆に精一杯対策して8割ギリギリの人は合格できません。
そもそも一般受験に共テなんて必要ないんです。
二次の記述の採点が大変だから足切りに使っているだけで。
不満なら推薦も一般受験生と同じ足切り点にしてもいいのではないかと思います。
そこではあるまい。
問題は、どのような事実上の差異を、どのような目的で、どのように差別して通り扱うことが許されるのか、ということだ。換言すれば、合理的な差別なら許容される。だがその際には、次の諸点が考慮されるべきだ。
1.事実上の差異が存在すること。少年と成人の如く
2.上の差異による差別的取り扱いが正当な目的に基づくこと
3.上につき、差別的取り扱いの必要性が認められること
4.その態様と程度が、社会通念上許容できるものであること
そのうえで、本件を検討するとどうであろうか。
たしかに天皇は象徴としての範囲内で、一定程度基本的人権が制約される。だが、彼自身は現時点で単なるその「就任候補者」の一人に過ぎない。天皇と比べ、明らかにその制約は少ない。また彼は成人皇族であり、年少ゆえの保護の必要もない。むしろ国民と比べ、経済的条件を含め恵まれた状態にある。そうした彼が、天皇に期待される必須要件とは思えぬ「東大卒」の学校歴を志向する理由がどこにあろうか。
まして推薦入試は、一般入試に比べ学力「以外」の要素が重視されよう。そうしたときに、そのような特権的立場にある者が露骨にその出自による一身専属的な優位性を利用することが、はたして平等であり許されるものであろうか。上記4要件からみて、私には到底肯定することはできない。むしろそうした立場にあるものほど、より慎重な配慮に心がけるべきではあるまいか。この一家は、根本的に勘違いをしている。したがって、入試に関する限り、彼に特段の配慮は不要である。多くの受験生とともに一般入試に臨むべきだ。
>そのような特権的立場にある者が露骨にその出自による一身専属的な優位性を利用することが、はたして平等であり許されるものであろうか。
>上記4要件からみて、私には到底肯定することはできない。
>むしろそうした立場にあるものほど、より慎重な配慮に心がけるべきではあるまいか。
特権的立場にある者がその出自による一身専属的な優位性を利用してはいけないのは何故ですか?
>むしろ国民と比べ、経済的条件を含め恵まれた状態にある。そうした彼が、天皇に期待される必須要件とは思えぬ「東大卒」の学校歴を志向する理由がどこにあろうか。
別に一個人として東大において学問を学びたいという意思について第三者が制限する話ではないでしょう。ましてやあなたのいうように天皇の候補者であり、天皇でないのなら天皇の必要条件は全く関係ない。
あなたの言うどんなに優秀で学力が高くて、本人が東大で学ぶことを希望しても、将来の天皇をおいて必要条件でないから天皇候補者だからという理由で東大の門戸を閉ざす合理性はない。
>まして推薦入試は、一般入試に比べ学力「以外」の要素が重視されよう。そうしたときに、そのような特権的立場にある者が露骨にその出自による一身専属的な優位性を利用することが、はたして平等であり許されるものであろうか。
各受験生がそれぞれの環境の違い(経済的環境やその他の優位性)は全て排除して選抜することはできない。
今回の悠仁様であっても、その他の受験生であってもそれは同じ。小さい頃から裕福で恵まれた経済的環境にあったことにより特別な経験ができたことや成果をあげたことも選抜入試で評価することは問題ないし、一般受験で幼い頃から恵まれた教育を受けることができた受験生が一般入試で有利であることも否定できない。
全ての入試制度において各受験生の結果によって選抜するのが全てであり、その環境の優位性部分を選抜の評価として入れることはできない。
よってそれぞれの入試制度において公正な選抜が担保できていれば問題ない。
それが個人の恵まれた環境によって得られた成果であっても推薦入試においてその成果を使用することを制限して一般入試にすべきというのはおかしな理屈。
その入試方式で公正な選抜がなされていれば、その環境の優位性があったかどうかは関係ないです。
あなたの言う部分は論点ではないです。単にあなたが特定個人に特別な感情を持っているからそうなる。
論点となるのは現存の入試制度を利用する前提で皇室だからといってその選抜に手心を加えていいかということ。それはその入試制度の運用を否定するものであってそれはダメという単純なこと。
問題は東大推薦入試が悠仁様仕様になっており、フェアであるとはとても思えないからでしょう。
同じような方法で一般の高校生が殆ど専門家に書いてもらって共著論文を出して、国際昆虫学会とやらの開会式に出席するだけして発表するでもなく、かつ学業成績が良くない生徒を、果たして東大側は同じように合格させるつもりがあるのでしょうか。
特別扱いなら特別扱いと正直に言わないと、東大推薦はこんな活用をするために作ったのだと思われますよ。
他にもいるんじゃないかと、他の推薦生の優秀さの信頼性も怪しくなります。
こんなやり方をして悠仁様が何も思わない人にお育ちになっているなら恐ろしい事ですし、逆に心苦しく思われているならお気の毒な事だと思います。




































