今年入学した高1生が語る青春リアル
東大は悠仁様の受け入れを表明して混乱を収束させるべき
東大は、一刻も早く悠仁様の受け入れを表明して、混乱を収束させるべきではないですか?
>国民の多くは、...(中略)...天皇制に対する信頼感への毀損
「信頼感」を持っている人もいるんでしょうなあ。
受験に対する信頼感も持っている人もいるのでしょうなあ。
私はそんなん知らんがな、かな。
(標準語に翻訳しておくと、「いるかどうか興味ない」に近い)。
国民の多くの合意をどっちかに持って行こうとか全く考えていない点で、私はノンポリなのかも。
簡単に小括する。国民の多くが信ずる天皇制の本質は「伝統」である。そこには、当該社会でそのようなときにはこのようにするものと伝統的に定まっている行動の様式が内在する。とくに天皇並びにその皇位継承者において、それが強く求められる。だからこそ、明仁氏ならびに徳仁氏は皇太子時代からそれらをわきまえた慎み深い振る舞いを行使してきたものと思われる。また、そのような謙抑的な姿勢につき、国民は好感を抱いた。いかにも「国民(統合)の象徴」らしい、と。それはかなりの程度、功を奏していたのであった。
他方で、弟の文仁氏とそのパートナーは自ら天皇即位への現実性乏しく、また授かった子も皇位継承とは無縁の女子であったためにかそうした縛り(=公式・非公式の拘束)は相対的には受けずに済んできたものに違いあるまい。これまでの文仁氏による開放的な発言の数々からも、それが推察できる。しかし、第三子としての男児の誕生が事情を変えた。だが、いったん享受してきた「後を継がずに済む次男坊ゆえの気楽さ」如き価値観を改めることが、すぐには困難であったのではあるまいか。それゆえ、あたかも市井の人々の如く、広い選択肢で以て悠仁君の進路を考えたのであろう。だが、それが混乱の原因になった。
あなたのような感覚が、多くの国民のそれであったと思われる。換言すれば、そうした国民一般の思いに気が付かなかった(軽視していた)のではあるまいか。先の記者会見での文仁氏による「イジメ」発言にも、そうした驕りのようなものが見て取れた。まさに、皇族として前代未聞の公式発言であったと思われる。明白に国民批判を露わにしたのであるから。
進学先選定とお妃の出自とで天皇制に対する信頼感への毀損はことなるのか?
明仁氏ならびに徳仁氏、文仁氏と皇位継承者3代にわたり民間人から出たわけだが?
学習院でなければ皇位継承者として失格のような物言いだが国民統合の象徴たる立場が予定される皇位継承者の為すべき所為ではないのではないか?
これを「ダブルスタンダード」と言わないのか?
の役割は果たした。あとは好きに議論すればよろしい。これ以上、この件で貴重な時間を費消するわけにはいかない。
なぜなら、これから一晩で日経連能力主義管理研究会編『能力主義管理<その理論と実践>』(日本経営者団体連盟弘報部、1969年、615頁)を読まねばならないのでね。この本は、日本の能力主義管理の嚆矢となったとの意義を有する。さらに『日本的雇用システムをつくる 1945‐1996』(東京大学出版会、2023年、547頁)も続けて読了したい。ここではとくに同じく日経連(当時)が出したあの「新時代の『日本的経営』—挑戦すべき方向とその具体策—」(日本経営者団体連盟、1995年)の舞台裏や諸事情が詳らかになるのではないかと楽しみだ。




































