女子美の「なんでも質問会」レポート
日本が技術立国というのはもはや幻想 中韓台に敗れ残された自動車産業も風前の灯火
メーカー系企業は完全終了なので、医学部以外の理系に行くのは無意味。
> 寧ろ日本で問題なのは、法や倫理を体系的に学んだ人が政策や産業の現場に十分に入り込めていないこと。
年間法学部の卒業生がどれだけいると思っているんだ?政策や産業の現場にあちこちいるぞ。現場が彼らを活かしていないか、活かす必要がないかのどちらか。どちらかというと多すぎなんだよ。
構造が止まっている国に、人を増やしても流れは生まれません。
知が動かないのは、理解者が足りないからではなく、理解を投資に変える経路が存在しないからです。
制度が切れている場所に人を注いでも、熱は地中に吸われて終わります。いま必要なのは回路を増やすことではなく、回路そのものを繋ぎ直すことです。
文理統合は私も賛成。ですが文理を統合しても、制度が分断されたままなら、知は依然として孤立します。
高校や大学の科目をいくら整えても、研究が社会に接続される仕組みがない限り、成果は空間に漂うだけです。日本の問題は“理解不足”ではなく、配線の断絶です。
知を理解できる人を育てるのは教育、しかし知を動かす道筋を描くのは制度。両者を混同した瞬間に、教育は制度の代用品へと堕します。
今問われているのは、誰が微積を学ぶかではなく、学ばれた知がどこへ流れるか。
その方向を決める羅針盤を再設計できなければ、どれほど数式を理解する人を増やしても、社会のエネルギーは再循環しません。
教育の改修は配線の一部に過ぎないです。構造を変えずにカリキュラムをいじることは、断線した回路にコンセントを増やすようなものです。問題の核は教育の科目ではなく、知が制度を動かす思想の不在です。
法学部の卒業生がどれ程あふれていようと、社会の構造の中でどこに位置づけられているかが問題です。
政策形成や産業設計の場に、制度設計の視点が機能として組み込まれていない。その欠落を人がいるかどうかで測るのは、配線を見ずに機器の数を数えるようなものです。
法や倫理の知は、現場の隙間に置かれるものではなく、現場を成立させる枠組みを設計するための知です。彼らが現場にいることと、制度の中で機能していることはまったく別です。現状は、制度を設計できる人材がいても、設計を委ねる場が存在しない。知を活かしていないのではなく、活かす構造を最初から設計していないのです。
だから多過ぎるのではありません。
構造が知を受け止める形になっていないだけです。回路を整えずに抵抗だけを増やしても、電流は流れない。日本が直面しているのはその状態です。必要なのは、人数の調整ではなく、知が力を発揮できる構造の再設計です。
あのね、制度って頻繁に変えるものではないんだよ。だから、その担当に多くの人をはりつけておく必要がない。それに一旦作った後は部分改定のみで、法学部出身でなくてもできる。法学部出身者がその能力を発揮てきる機会は少ないよ。
制度を頻繁に変えないことと、制度を動かす知を軽視することはまったく別です。
制度は一度つくれば放っておいても動く装置ではありません。
経済や技術の変化に合わせて、条文の解釈、運用、周辺制度との整合を常に調律し続ける必要がある。
その調律を担うのが制度設計の知であって、改定作業とは別次元の思考です。
部分改定で済むのは制度が健全に機能している国だけで、日本のように構造疲労を起こしている国では、寧ろ根本設計の知が最も必要とされています。
法学部出身者が活躍できる場が少ないのではなく、制度をメンテナンスする機能を国家が軽視してきたことが問題です。
法律を作るのは一瞬、しかし制度を運転し続けるのは社会そのものです。その持続運転を支える回路を整えなければ、どんな制度も形骸化します。
制度を変えないという発想自体が、時代の変化を前提に設計された制度の思想と矛盾しています。
制度の安定とは、変わらないことではなく、変化を吸収し続けられる構造を持つこと。その構造を保守できる知を削ってきた結果が、今の制度疲労です。
> 経済や技術の変化に合わせて、条文の解釈、運用、周辺制度との整合を常に調律し続ける必要がある。
法学部出身者が調律し続けたところで、制度を使う人がそれについてこれなかったら意味がない。使う人は法学部出身者とは限らないのだから。
通常、制度はガチガチに作らず、ある程度の裁量が利くように規定しておいて、あとは運用でどうにかする。
制度担当なんて、大きな会社でもいても2~3人だよ。
> いま必要なのは回路を増やすことではなく、回路そのものを繋ぎ直すことです。
繋ぎ直すことの必要性を感じる人が少なかったら、変えようとするムーブメントは起こらないし、誰かが無理やり繋ぎ直して皆に押し付けても、新しい回路の必要性を理解できないから誰も使おうとしない。
だから、回路より人を変えるのが先だよ。
回路を動かすのは確かに人ですが、人だけを変えても回路は流れません。意志ある個が立ち上がっても、それを受け止める制度が欠けていれば、熱は孤立して消えていく。
人の変化は必要条件にすぎず、十分条件ではないのです。人を変えるだけで流れが生まれるなら、この国はとっくに動いていたはずです。
問題は、変わろうとする人の熱をどこにも導けない構造にあります。知や意志を制度に変換する回路が断たれている限り、どれほど人を育てても熱は滞る。回路を繋ぎ直すとは、まさにその熱を逃がさない導線を再構築することです。
順番の問題ではなく、両輪の問題です。人が変わり、制度が応える。その応答の往復がなければ、思想も改革も定着しません。




































