今年入学した高1生が語る青春リアル
国立大学病院が大赤字らしいですが血税などあてにせず国立大学法人として赤字補填すべきですよね?
未曾有の大赤字を叩き出している国立大学病院が恥知らずにも国家に支援を求めています。
でも私立大学や民間は普通にやっていってますよ?
現時点でも、民間とは比べ物にならないほどの巨額の補助金を受け取っていながら、更に支援を希望ってどれだけ厚顔無恥なのでしょうか?
血税などあてにせず国立大学法人として赤字補填すべきです。
働かないものにはとことん厳しい高市早苗さんが総理になったことです、ビシッと言ってもらいましょう。
原資がなければ授業料を値上げすれば良い。
医師の報酬は単なる取り分ではなく、診療所という事業全体の収支の一部。
人件費や設備費、夜間対応、訴訟リスクを差し引いた残りが可処分所得。報酬を下げれば残りが増えるというのは経済を静止画で捉えた誤解。
報酬を削れば人も質も減り、供給が崩れる。
次に機器の話。高価機器を持たないで病院に紹介すればいいという案は一見合理的だが、実務は違う。一次医療の役割は検査・判断・継続管理だ。小さな検査や機器で早期に介入できれば重症化を防げる。頻度の少ない高度機器を全て病院に集中させると、検査待ちや搬送が増え、病院負荷と医療費単価が上がる。検査を遠ざけた結果、入院や救急が増えるのは世界の経験が示している。役割分担は大事だが、簡単に機器を放棄して良いことにはならない。
税を理由に「払いたくないだけ」と決めつけるのも浅い。見かけの収入で語る前に、事業の構造と時間軸を見て欲しい。
経営努力しても赤字の普通の病院や診療所は内部留保が無くなって、不渡りを2回出したら倒産です。
国立大学病院であろうと、公立病院であろうと、早く赤字部門閉鎖して、それでも改善しなければ閉院して下さい。間違っても、意地や自己犠牲、国や自治体への赤字補填要求で生き延びないでください。国民に”努力すれば持続できる医療制度だ”と誤ったメッセージを与えることになります。赤字の病院が閉院して、国民が困れば、次の選挙で病院が黒字になる政策を打ち出す政党への投票が増えて、その政党の議員が増えて、診療報酬が改定されて、黒字になる見込みが立ってからば病院を再開すればいいのです。そうならなかったら、その病院は国民に必要とされてなかったということです。日本は資本主義、かつ間接民主主義国ですから。
慶應医の凋落
大学病院の1日当たりの外来患者数が減るなど、凋落傾向にあると報じられました(森省歩「慶應大学病院の失墜~順天堂に並ばれた私学の雄」『文藝春秋』2015年6月号)。その背景には、私学ナンバーワンの地位にあぐらをかき、教授の8割を母校出身者が占める純血主義にあると分析されています。
倒産の論理で医療を語ると、一見スッキリして見えるのに、残念ながら、最も肝心な構造だけが抜け落ちる。
医療は市場で完結する事業ではない。
需要も供給も価格も自律的には動かない領域だ。赤字だから閉めろ、黒字なら続けろという判断軸は、そもそも医療を医療として扱っていない。
医療機関が倒れた瞬間に地域の需要が消えるわけではない。患者は移動し、逼迫し、受け皿が焼けて、最終的にはコストの方が跳ね上がる。
市場の見えざる手に委ねれば最適化される、という発想そのものがこの領域では成り立たない。なぜなら需給調整は価格ではなく人材と制度に依存しているからだ。
医療は経済ではない。
赤字病院を閉じて有権者が困れば、選挙で報酬を上げる政党が伸びる、という話も制度を静止画で理解している。
医療圏の再編には十年以上の時間がかかり、医師養成のタイムラグはさらに長い。票という即時的シグナルと、供給能力という長期的制約は同じ時間軸で動かない。困ったから次の選挙で調整できる、という期待そのものが錯覚に過ぎない。
しかも医療の倒産は単なる事業の消滅ではなく、地域のケア連鎖の断絶を意味する。一度崩れた連鎖は、再開すれば元に戻るというものではない。
医師も看護師も一気には戻らないし、住民の受診行動も変質する。あなたの言う黒字転換後の再開というシナリオは、制度的にも人材的にも実質的にはほぼ不可能な空論、絵空事。
だから問題は経営努力の有無ではなく、制度側がどの単位で医療を維持し再設計するかという、より根本的な配置の方にある。
倒産を促して淘汰を待つのではなく、淘汰そのものをどう設計し直すか。その視座を欠いたまま市場原理だけを持ち込んだ瞬間に、医療は持続可能性を失う。ここが決定的な論点だ。
もう一度言う。
医療は経済ではない。
競争原理を排するつもりはない。
ただ、ここを取り違えると議論が一気に浅くなる。
医療には市場の光と影が必ず同居する。
必要悪の度合いをどう抑えるかは不断の課題だが、影そのものをゼロにするという発想には、本質的な意味はあまりない。制度とは常に歪みを抱え、その歪みを管理し続ける営みだから。
競争を入れれば健全化する、という命題は部分的には正しい。
けれど最大利益を追う構造の裏には、必ず見えないコストが積み上がる。アクセスの偏在、人材の偏流、診療密度の過剰、そして地域の持続性の脆さ。それらをすべて市場の自己浄化に委ねた瞬間に、得をするのは一部で、損を引き受けるのは常に患者側だ。
そしてその患者は、他人ではなく私たち自身でもある。
制度の影響はいつも時間差で襲ってくる。白い領域の中に潜む黒を完全に取り除くことには、道義的満足以上の意味はないが、黒を放置したまま競争だけを礼賛するのは、結局こちらの不利益として跳ね返ってくる。
完璧は存在しない。
だからこそ必要悪を放置するのではなく、どこまで許容し、どこから制度的に抑え込むか。その設計だけが本当に意味を持つ。競争の是非ではなく、競争を組み込む枠組みそのものをどう作り替えるかが問われている。
最大利益の裏の闇を潰す事に奔走しても、労多くして実利はない。




































