今年入学した高1生が語る青春リアル
東大の基礎研究がショボすぎる、国の予算をほとんど独り占めしているのに
東大理一に進んだ者です。東大からノーベル賞が出にくいのは大学の理念というかシステムに問題があるからだろうと思います。所謂進学振り分けです。全教科の試験の平均点が高い順に志望学科への進学が可能になります。ですから語学や人文社会科学が苦手だと志望学科に進めません。つまり異能の持ち主がその分野に進めないケースが出てくるのです。数学や物理が凄まじくできてもそれだけではその学科に進めません。東大は自らそういう異能者たちを締め出しているのです。さらには受験で国語や社会までやらなければなりません。ほとんど時間の無駄。この仕組みがある限り東大からのノーベル賞受賞者は増えないと思います。
駒場の存在が東大を東大たらしめているのは確かでしょう。
けれどそれは教養と専門の二段構えという単純な構造ではなく、思考の座標を動かす訓練の場として機能してきた点に価値がある。教養とは知識の総量ではなく、専門を相対化する視点のことです。
多くの大学が教養部を削ったのは、効率を優先しすぎた結果でした。けれど専門だけを磨いた学者は、制度や社会に知を接続する回路を持たなくなる。東大が強いのは、知を自立させる訓練と、社会との翻訳装置の両方を保持してきたからです。
つまり駒場は導入ではなく媒介。学問と現実の間にある思考の緩衝地帯こそ、今の時代にいちばん欠けている部分なのだと思います。
一人で全部する必要は無いんですよ。
今、技術はあるけど経営ができない、経営はできるけど売るものが無い、そういった人たちのマッチング会などができ始めて、スタートアップ起業応援のシステムができてきています。
大学内特許チームもあります。
ただコミュ障は向かない。
おやおや。
折角褒めたのに、また逆戻り?
話がズレてます。
言った通り、私は駒場を「教養と専門の二段構え」なんて単純構造で語っていない。
教養を媒介、つまり知を社会や制度に接続するための翻訳装置として機能させてきた点に焦点を置いているんです。
そこに「マッチング会」や「大学内特許チーム」を持ち出すのは、発想があまりに表層的。
制度や仕組みの有無ではなく、知を運用する思考の構造そのものを論じている。
コミュ障云々とか、そういう話はそもそも次元が違う。
ズレてるというより、座標が合っていない。
議論のレイヤーを理解しないまま「現場ではこうですよ」と割り込むから、話が平板になるんです。
思考の問題を、イベントの話で解決しようとする時点で、駒場の意味をまったく読み違えていると言っていいでしょう。
頑張って。
> つまり駒場は導入ではなく媒介。学問と現実の間にある思考の緩衝地帯こそ
教養の目的を狭くとらえすぎだな。教養は研究成果を世に出すためにあるのではない。専門分野に没頭していると、どうしてもその分野の価値観に囚われて自由な発想をできなくなる。教養はその囚われた価値観を解放してくれるものだ。
各分野には独自の価値観があり、それを教養という形で垣間見ておくことで、自ら属する分野の価値観が絶対でないことを知る。そして他の分野の価値観を自ら属する分野に取り入れることができれば新しい発想につながる。
一般教養がなぜリベラルアーツと呼ばれるのか考えてごらんよ。
では誰も(おそらく大学関係者も)あなたの言っていることは分からないね。
言っとくけど学生は20才そこそこの若者。
この人たちに何を教えるって?
大学院はある程度専門分野に精通している、その分野の社会における可能性を見いだしている(phD )若者。
この人たちに何を教えるって?
それともそんなことは最早教えない?
具体的な説明が必要かもね。
私は今の山中さんみたいなイメージしか無いけどね。自分の専門で売り込み、パートナー(投資家)を見つけて研究を進めていく。もしくはスタートアップを経営担当と一緒に立ち上げ、その売り上げで次の研究開発をしていく。
研究者本人がそこまで持っていく努力をする。それを教えていく。
つまり保護者さんは誰に何を教えるかという授業設計の話をしている。
私は教えるという動詞の前提そのものを問い直している。教育の構造を、知の移転から生成に変える転換点として駒場を見ているんです。
駒場が媒介装置だというのは、学生を対象にしたカリキュラム論ではなく、知の流通様式そのものの設計論。研究・教育・社会を横断して知をどう接続するか、その中間にある制度的翻訳機能の話をしている。
山中さんのように研究を社会に出す動きは結果としての応用フェーズ。駒場が担ってきたのは、それ以前の。。。つまりは価値や問題意識を生成する前段の知的環境です。
それはスキルや投資家マッチングの問題ではなく、そもそも問いが立ち上がる構造をどうつくるかの問題。
だから何を教えるかという問いが出てくる時点で、もう旧来の教育文法の中に閉じ込められている。
駒場が目指してきたのは、教えるを再定義すること。
誰かに理解されることより、誰も見たことのない思考の場を生成することが目的なんですよ。
> 自由な発想とは、他者の価値観を取り入れることではなく、自らの前提を壊せることを言う。
自らの手で前提を壊すのが難しいから、他者の手を借りるんだろ。君も、知の還流や構造制度の構築に拘っていて、自らの前提を壊せてないよな。
自由な発想ができてない奴があれこれ屁理屈こねても説得力ないぞ。
>東大の基礎研究がショボすぎる、国の予算をほとんど独り占めしているのに
スレ題に関して:
東大が圧倒的に多くの運営費交付金を受け取るのは、教職員数が多いからです。運営費交付金は、電気代などにも使われますが、おおよそ人件費に比例している。
なぜ教職員が多いのか?の理由は、附属研究所が多いから。特に生産技術研究所などの大きな研究所を傘下に抱える工学部に職員は多い。
生産技術研究所は、戦時中は第二工学部でした。戦後に第二工学部の教職員は、生産技術研究所に移っている。当時は、戦艦や飛行機などを作るために技術者が必要だったんです。さらに高度成長期と工学部はよく適合した。政府の意向を真っ先に受ける東大らしい歴史です。
というわけでスレ題の前半部に戻ってきます。工学部は基礎研究もしますが、本来実用研究がメイン。ノーベル賞は、最近は応用分野にも出ていますが、本来は基礎科学の賞です。




































