今年入学した高1生が語る青春リアル
東大の基礎研究がショボすぎる、国の予算をほとんど独り占めしているのに
東大理一に進んだ者です。東大からノーベル賞が出にくいのは大学の理念というかシステムに問題があるからだろうと思います。所謂進学振り分けです。全教科の試験の平均点が高い順に志望学科への進学が可能になります。ですから語学や人文社会科学が苦手だと志望学科に進めません。つまり異能の持ち主がその分野に進めないケースが出てくるのです。数学や物理が凄まじくできてもそれだけではその学科に進めません。東大は自らそういう異能者たちを締め出しているのです。さらには受験で国語や社会までやらなければなりません。ほとんど時間の無駄。この仕組みがある限り東大からのノーベル賞受賞者は増えないと思います。
自由を信じるのは結構。
だけども、制度を無視して成果が出た試しはない。
放牧しても天才が自然発生するわけじゃない。アインシュタインも量子論も、大学制度と学会の枠内で研磨された結果だよ。
枠を外せば創造性が育つというのはあまりに理想主義の幻想で、現実には無責任の温床になるだけ。
制度は創造性を縛るためでなく、検証と継承を可能にする為にある。そこを履き違えると、自由ではなくただの無秩序になるだけ。
制度の話をしてるのに、好き嫌いの話にすり替えてる時点でズレてる。
研究制度は「誰が好きか」じゃなく「どう支えるか」の設計の問題。
採択一覧を挙げろと言う前に、制度が偶然や恣意で左右されない仕組みになっているかを考えるべきだ。
理想に近づく第一歩は回収じゃなくて、構造理解だよ。
> 枠を外せば創造性が育つというのはあまりに理想主義の幻想で、現実には無責任の温床になるだけ。
じゃあ、枠を作れば創造性は育つのかい?そのほうがずっと創造性を潰すよ。 制度で検証と継承を可能にしたところで、似たような金太郎飴がいくつもできるだけで、想像を超えるものは出てこない。創造性は、その人が持っている資質と培った経験と育った環境によるところが大きく、型を作って伸ばせるものではない。
そもそも制度というものは使う側の要望や意見を聞いて作るものだ。使う側が必要なければ作る必要はないし、勝手に作ったところで誰も使わない。
本質は、枠があるかないかではなく、枠がどう呼吸しているかだ。
枠を壊せば自由になると思うのは錯覚で、枠がなければ形を持たない。逆に、枠を固定すれば硬化して何も生まれない。創造とは、その境界を押し広げ続ける力のことだ。だから、制度は創造性を縛る檻ではなく、伸縮する膜であるべきなんだ。
制度の意義は、誰かの資質を管理することではない。資質が偶然に花開いたとき、それを他者が再現し、別の方向へ派生させられる環境を保証することにある。そこにこそ“枠を越える”という営みの意味がある。
枠を否定する者は過去を断ち、枠に執着する者は未来を閉ざす。創造を生むのは、その間の緊張を保てる知性だけだ。
違うよ。
あなたの好きなせいどとは?
言っていることがわからないよ。
今ある制度と君の言っている制度の違いね。君は説明しようとしているけど結局今の制度と何が違うの?
違うと信じたいだけで同じことを指しているのでは?
制度の違いを問う前に、まず何を制度と呼ぶかを揃える必要がある。私は申請書の様式や審査手順のことを言っているのではない。人の熱や偶然の才能に頼らなくても、知が継続して生まれる構造のことを指している。
ノーベル賞は制度の成果ではなく、制度を越えて生まれた例外だ。それを根拠に現行制度を正当化するのは、たまたま成功した一握りの人間で全体を語るのと同じ。成果の裏でどれだけの可能性が失われているかを見ようとしない限り、どんな回収をしても本質的な前進にはならない。




































