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41 コメント 最終更新:

AO入試は危うくあるませんか?

【7728883】
スレッド作成者: 化石 (ID:93qNBbUU13E)
2025年 11月 04日 08:22

やたら総合選抜やAO入試がもてはやされているが、従来必須としてやってきた数学、物理、化学などの基礎知識は理系大学生なら誰でも必要でしょう。

大学学部以降も知識を積み上げ、最先端レベルにたどり着く為には基礎学問をマスターしていなければどうしようもなりません。大学院の授業が理解できない。

また、法学部や文学部、経済学部の学生も生物や進化の基礎、宇宙の成り立ちを知っておく必要もあります。

厚労省の予算配分に当たる財務官僚も最新の生物の知識や癌医療について知らなければ何が必要かのやりとりも出来ない。他の官僚達もAIや新型原発、核融合、宇宙などもある程度の知識がなければ国会答弁も書けないでしょう。

AO入試だからといって基礎の抜けや落ちがあってはまずい。この点東北大などはきちんと確認しているのだろうか?

基礎知識がない理系などいらない。

【7731913】 投稿者: Margaux   (ID:OHBUr1qm07w)
投稿日時:2025年 11月 12日 12:07

結局、選抜の本質は何を測るかよりも、どんな現実を前提にしているかにある。志望動機を磨く力よりも、現実を定義し直す力を測れない限り、AOもまた作業に堕する。

【7732694】 投稿者: 保護者   (ID:dHCgRDBJvts)
投稿日時:2025年 11月 15日 09:26

総合型選抜試験。

これは昨年度の東洋大学の例がよく取り上げられます。
年内学力試験のみで合否を判定してしかも必ず入学する必要もない(縛りなし)。学部の偏差値は10以上あがった、と塾では分析しています。

その背景は高校の評定、これは高校のランクによって学生の質(タイプ)は同じでも学力レベルが測れない、その結果、入学後に学力不足により講義についていくのが難しい、そういった学生への支援を大学がするのが重荷になっているからだという事のようです。

そして、今年からどんどんとそういった大学が増えていっているそうです。

私立のAO試験→年内学力試験に移行。そういった経験を国立はどのように取り入れていくのか?1つは共テの結果まで国立総合型の合否が判定されないというのがあると思います。

学校の質、レベルを下げるのは次年度以降の入学者の動向にも影響するので総合型を増やすのであればそれなりの共テの合否ラインを設けていくのではないでしょうか?

【7733144】 投稿者: Margaux   (ID:gwTWbSK3NtI)
投稿日時:2025年 11月 17日 07:33

東洋のケースを持ち出すのは、制度を語っているようで実は市場の話にすり替わっている。

年内学力試験で偏差値が跳ねた、支援の負荷が重い、評定が当てにならない。。。全部、選抜の技術の話であって、選抜が何を前提にしているかという論点とは別の次元ですよね。

総合型を学力試験化すれば運用は安定する。けれど、それは単に入り口を均質化しているだけで、現実を定義し直す力を測る仕組みには一歩も近づいていない。

国立がどの方式を取り込むかという話ではなく、どの現実を入口の段階で可視化しようとしているのか、そこが抜けたままだと共テのラインをどれだけ細かく調整しても作業としての選抜が延命するだけ。

AOが作業に堕する理由は、形式の問題ではなく、前提の問題。
そこを動かさない限り、東洋の例をどれだけ積み上げても、本質には触れないでしょうw。

【7733473】 投稿者: 保護者   (ID:kl5BobAvN4Y)
投稿日時:2025年 11月 18日 06:58

ん?
大学側は偏差値が上がり、それをベースに大学選びをする学生の質が上がり就職先がよくなり、そしてそれらの総合効果で倍率(志望者)が増える。
これが第一重要課題ですから、偏差値が10上がり、勢いに乗るのはかなり、あたり経営だと思いますよ。

そして年内入試で何を想定しているのか?
それは受験率が上がれば受験料の回収も上がる。そして
入試におけるデフォルト(とりあえず受験しておく)大学としての位置付け、偏差値的にMARCHがダメならここに通う事にする、と納得できる偏差値、就職率。
年内入試のデフォ大学となると私立として生き残りに勝ち残れます。
これは他の私立が追随する意味にもなっていると思いますよ。

受験者側からも美味しい話です。縛りなし、ですから。
そして卒業大学として問題がない位置づけなら一般入試は本命だけの受験で終われますから。

本命となる私立が年内学力入試に移行すればそれは受験の前倒しになるだけですのでおそらくその辺は文科省が判断するんでしょうね。(とはいってもすでにMARCHもそうなってきているようです。)

両者にとって助けとなる仕組みですよ。

【7733475】 投稿者: 推薦   (ID:UG4/KS8hcd.)
投稿日時:2025年 11月 18日 07:25

国立大学と私立大学の推薦は違うから。
私立大学の推薦(附属推薦、指定校推薦、総合型推薦)は勉強できない人と学生が集まらない大学に対する救済処置みたいなもんです。

【7733479】 投稿者: Margaux   (ID:covN0Q6uVuU)
投稿日時:2025年 11月 18日 07:45

経営の視点だけを前面に出すと、一見すべてが合理的に見えます。偏差値が上がる。受験者が増える。受験料が入る。就職実績がつく。だから成功だ、と。
けれど、それは大学という制度の一番外側だけを眺めているにすぎません。

年内学力入試を拡大する動きが加速している背景には、経営の都合だけでなく、学力のばらつきや支援負荷といった別の問題が伏在しています。つまり、選抜の形式ではなく、大学が受け入れたあと何を教育として成立させるかという中身の問題です。そこを語らずに偏差値の上昇だけを成果として扱うのは、大学を単なる市場財に変えてしまう議論です。

年内入試をデフォにするという発想も同じ構造です。前倒しするほど準備力の差が拡大し、結局は学校や地域による情報格差がそのまま合否に反映されます。受験者数が増えることと、入口の公平性が保たれることは別の話です。まして、大学が生むべき価値は市場の効率性だけではない。入口の簡素化ではなく、入った後にどのような学びの地図を描けるかが本来の核心です。

経営の論理で制度を語り切ろうとすると、選抜の目的そのものが消えていきます。偏差値を上げる仕組みを設計しても、知の質は上がらない。学生の負荷を軽くするように見えても、学びの本質は前倒しされた競争に吸い込まれるだけです。

大学にとって本当に重要なのは、誰を早く確保するかではなく、どの現実を入口で可視化し、どの未来を出口でつくるか。そこを外した議論は、どれだけ数字を積み上げても制度の表皮を撫でているだけです。
その結果、最終的にはアナタの言うwin-winにはならない。

偏差値が跳ね、受験者が増え、就職率が数字として整う。ここまでは経営上の循環にすぎません。そこで止めてしまうと、大学という空間が何を生み出す場所だったのかが跡形もなく消えてしまう。

偏差値を上げて追随を誘うモデルは、短期の収益には確かに効きます。ただ、それは市場の期待値を釣り上げているだけで、学習環境の質や研究基盤の厚みが伴わなければ、数年後には同じ市場論理で別の大学に流れます。つまり大学側が抱えるリスクは、学生よりはるかに大きい。

受験生目線でも同じです。年内で保険枠を確保し、一般を最小限にするという戦略は、一見合理的に見えますが、入学後の学びの射程を狭めている。志望動機や選択の幅を前倒しで固定した瞬間に、成長の余白が削られる。これは本人には長期的にマイナスに働く。

だからこれをwin-winと言い切るのは早すぎる。双方とも短期の効率を最大化しているだけで、構造的には負債を先送りしている。

大学が生き残るのは、入り口の偏差値を釣り上げた時ではなく、出口の質を再設計できた時です。受験者が増えるかどうかではなく、そこで何を経験し、どんな回路を持った人間が社会に戻っていくのか。その視点を欠いたまま年内試験の回転数だけを上げても、制度全体は徐々に空洞化する。

市場を回す仕組みとしては正しい。大学という制度を持続させる仕組みとしては不十分。ここを見誤ると、短期の成果が長期の衰退に直結します。これは必ず起きる構造です。

【7733797】 投稿者: 保護者   (ID:kl5BobAvN4Y)
投稿日時:2025年 11月 19日 06:46

大学生にもなると大学が何を教えてくれるのか?ではなく、自分が積極的に学べる事が学べる学校なのか?が重要だよね。

だからこそ、一定の質が担保できない大学だと厳しい。

一定の質が揃えば学生の方が不満足な大学の講義内容だったり、カリキュラムなら声が上がるからそれに応じて大学は改革を進めないと次の世代に選択されなくなる。

勿論大学の中には歴史(数学、理工学含め)を教えたり
する事も1つの柱でも良いと思うけど、今を生きる若者は
やりたい、自分を試したい、と思うからこそ、大学進学する人もいるからね。今の海外進学はそういった若者の声かもしれませんしね。

そしてそういった若者(一定の質)は今の時代を支え、未来を切り開くテクニックだったり、考えだったりに魅せられるし、それで良いとも思うよ。

つまり、大学が生き残るためには一定の質の学生を集め、資金を確保し、そしてそこに集まった学生にこそ、次の時代に求められる学問が何なのか?を聞き、学生が学びたい事に対して備える事ができる。

偏差値を上げる、とはそういう事。

今まで偏差値が高かったけど学生から支持されなくなっている大学は今の学生が何を大学で学びたがっているのか声を聞く事を忘れているんでしょうね。

【7733801】 投稿者: Margaux   (ID:aJUrQPVJF9g)
投稿日時:2025年 11月 19日 07:27

確かに自分から学びに行けるかどうかは大学生活の核心だし、学生の声が質の改善につながることも否定しない。

ただ、その前提が成立するのは一定の質を持った学生が揃っていることではなく、大学側が何を学ばせる空間として設計しているかという土台の方なんだよね。そこを逆にしてしまうと議論が全部ズレていく。

偏差値は入口でのフルイ分けであって、学ぶ環境の質ではない。偏差値が高ければ学生の声が自然と洗練され、大学が改革を迫られる。。。という図式はキレイに見えるけれど、実際には逆で、大学が学問の射程や体験の設計を可視化しない限り、学生の声はどれだけ揃っていてもサービス改善の領域にしか向かわない。そこに制度としての教育は生まれない。

さらに言うと、学生の声に合わせれば大学は選ばれるという発想は、長期的には必ず制度を細らせる。

学生は未来を設計する立場ではないし、短期的な要望は学びの構造そのものとは異なる方向に流れやすい。大学が本来持っていたはずの未知と出会わせる機能や強制的に視野を拡張させる機能は、声を聞く努力だけでは維持できない。

海外進学が増えているのも、単にやりたいことを学べるからではなく、未知と偶然に触れる経路が大学側の設計に組み込まれているから。学生が能動的であることを前提にしているように見えて、その実は制度の側が未来の経験を先に用意している。そこが違う。

だから偏差値を上げるとはそういうことという結論にはならない。偏差値は経営上の安定要素であって、学問の未来や学びの設計とはほとんど連動していない。偏差値が高いのに学生から支持されなくなる大学が出てくるのは、声を聞かなかったからではなく、大学側が何を経験させる空間なのかを提示できなくなったからだよ。

学生が何を学びたがっているのかを聞くことは大事。ただ、大学が生き残る条件はその先にある。入口の偏差値ではなく、出口の経験設計。声に合わせて制度を軽くした瞬間に、大学は市場の期待に吸収され、次の世代に届くべき厚みが薄れていく。

偏差値を上げても、大学の中身を設計できなければ未来は開けない。学生の能動性は大学の設計次第で何倍にもなるが、設計が空洞化すれば偏差値は何も保証しない。そこを取り違えると、結局は数字だけが残り、制度の方が先に消える。

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