今年入学した高1生が語る青春リアル
旧帝かマーチ
ちなみに東大に入れる実力はありません。
偏差値的には、地方旧帝かマーチなら入れそうです。
早慶は下位学部なら狙えますが、志望学部は無理です。
正直地方の生活は想像できず、まだ大阪ぐらいならとも思うのですが、関西弁がキツすぎて、マーチかなと思っています。
全教科を満遍なく勉強して全てをそれなり以上のレベルにするのと、文系三科目だけ爆アゲするなら、高校生にとって圧倒的に前者の方が難しい。
マーチはおろか、早慶すら旧帝と比較するのは烏滸がましいにもほどがあると思います。
早慶マーチ生の中には旧帝にも合格出来たであろう優秀な学生もいるにはいるでしょうが、そういう人達は首都圏出身、かつ、もともとは東大一橋あたりを夢見て一生懸命勉強してた時期が一応あった(受験期前に既に諦めて出願しなかった人も含めた)併願組でしょう。
ちなみに、姪っ子が旧帝どころか主要国公立にも届かず、渋々マーチ上位に進学しましたが、学内ではかなりの成績優秀者として表彰されましたので、嬉しいを通り越して、驚いてひっくり返りました。
姪っ子曰く、周りの学生は遊んでばかりでまるで勉強していない、そもそも高校生以前の基礎学力が足りていないように思える学生ばかり(おそらく推薦組)、とのこと。
学歴自体はどのくらい役立ってるのかわかりませんが、「レポート5000字、必ずワードで作成して提出!1分でも遅れたら受け付けません!」とか、台風や雪でも授業やってたりとか、語学落としただけで留年とか、社会での理不尽にも耐えられるような実力は19歳から既に養成された気がします。
何の実績もなく面接だけで本人評価するには学歴は一つの要素。まあ就職はその最たるものかな。でも就職してからは実力勝負つまり社会に出たら参考でしかなくなる。しかし彼の言うように十代の経験や努力が形として表れる大きな要素だから有名大学のほうがチャンスは広がる可能性は高い。
面接という短い場で手がかりが乏しい時に、学歴が一つの参照点として扱われること自体は否定しない。ただ、その瞬間的な判断装置を社会の入口から出口まで引きずり続けると、かえって人を正確に見抜く力を失うということを指摘している。
十代の努力が可視化されるという意味で有名大学が機会を広げる側面もある。だが、その努力を社会の中心的尺度に据えてしまうと、制度そのものが人間の射程を狭めてしまう。評価が固定化され、序列が文化そのものになり、能力の多様性や成長の分岐が拾い上げられなくなる。
アメリカが学歴をほとんど問わずに採用し、結果として経済も技術も世界最大の広がりを生み続けているという事実は、努力や忍耐を軽視しているからではなく、序列を判断基盤に置かない文化が人材の分布を厚くし、社会全体の伸びしろを押し広げているからだと思う。受験の努力が本質的能力を最もよく測るなら、あの国の制度はとっくに崩れていなければ理屈が合わない。
日本だけが序列を文化の軸として抱え続けている。そのことが、個々の能力ではなく序列の物語に人を当てはめてしまい、本来開くはずの社会の幅を自ら狭くしている。面接の補助線として使う程度ならまだしも、それ以上を学歴に託してしまうと、人を評価するつもりで社会全体の視野を閉ざすことになる。




































