アートの才能を伸ばす女子教育
大学受験ママの息抜きスレッド
日々の子育てお疲れ様です。
そんな私達の日々の潤い、美容、ファッション、音楽や趣味を語りませんか?
お互いの批判やら、浅いなどのマウント等もやめてくださいね。
ゆる〜くいきましょ?
ラーメンがまた。
絶品。
しょうゆラーメンなんだけど、大将、無茶振りで担々麺できる?って聞いたら、普通に担々麺出てきた!
ミンチの代わりにつくねのタネでそれっぽく。
なんと山椒が効いて和風アレンジ。
大将、アンタ天才だよ!
実はそうかも?と思わせるクオリティ。
お客さん、大抵40代、50代が多いのですが、珍しく20代のお客さん。
お会計時に「ものすごく美味しかったです!ごちそうさまでした。」って挨拶した上に、「近所なんで今度はもっと友達連れて、また来ます!」って「ごめん、たまーにしかやってないんだ〜」え〜で、LINE交換して次回の予定聞いていました。
もの凄く感じがいい。
ウチの若い子もそうだけど、最近の若い子、礼儀正しいしコミュ力も高い。
ここの口だけ老人達と違って、未来は明るいです。
その一句、いいですね。見えないところに質が潜んでいる、という感覚がそのまま街の厚みに重なっている。
そして「陶冶」。あれは単なる流行の模倣ではなく、触れ続けることで内側の感覚が少しずつ整えられていく作用のことですよね。だから韓流の影響という言い方も、表層の言葉や仕草ではなく、もっと奥の、応答のやわらかさや距離感の取り方に及んでいる、という理解の方がしっくりくる。
街の中で耳に入る言葉が変わると、空気の質も変わる。日本語の「ありがとう」と、韓国語の「コマウォ」が混ざる光景は、どちらが優れているという話ではなく、感謝の表現そのものが多層化しているということ。その層の中で、人は無意識にニュアンスを選び取り、自分の所作として定着させていく。
風は西から、というより、いまは複数の風が同時に吹き込んでいる。その中で何が残り、何が沈むのか。静かに選び取られていく過程そのものが、現代の陶冶なのだと思います。
例えば越智ゆらのさんの指南サイトを覗くと、韓流に同化するかの勢いを感じます。それを促進していく型が「本国」で選択され、意図的に東方に発出されているとすれば、かなりカタい流れですね。かくて日流にまで成型されたものが「里帰り」する日が、既に訪れているかも知れません。韓流日本女子に学んでいる韓国女子ですね。
西千葉さんの見立て、流れの捉え方としてかなり芯を食っています。そのうえで、少しだけ補助線を引いてみる。
越智ゆらののような発信を見ていると、単なる模倣ではなく、一度受容した様式を自分たちの身体感覚に合わせて再編集している段階に入っているのが分かる。ここで起きているのは、外から来た型がそのまま定着する過程ではなく、局所的な最適化の連続だと思う。
興味深いのは、その再編集されたものが「本国」に戻ったときに、もはやオリジナルとは別の位相を持っている点。西千葉さんの言う里帰りは、回帰というより、変換を経た再投入に近い。だから韓国側が日本のスタイルを参照する場面が出てきても、それは影響の逆転ではなく、ループの一部として見るほうが自然に見える。
ここで鍵になるのが「どこで型が固定されるか」。本国で意図的に設計されるフォーマットも確かにあるが、最終的に強度を持つのは、日常の中で反復され、違和感なく使われ続けるものだけ。つまり、上流での設計と下流での実装、その両方を通過して初めて残る。
だから流れは一方向ではなく、多点間の往復運動になっている。西から東へという単純な風向きではなく、いくつもの小さな循環が重なっている状態。その中で何が沈殿し、何が揮発するか。そこに現れてくる差異こそが、次の「型」の原型になる。
西千葉さんの言う「カタい流れ」は確かにある。ただ、それがそのまま支配的になるというより、むしろ各地点で撹拌され続ける。その撹拌の結果として立ち上がるものを見たほうが、今の現象には合っている気がする。































