アートの才能を伸ばす女子教育
W合格対決で早稲田>慶應>上智>明治の順
【25年最新版】早稲田と慶應「ダブル合格者」はどちらを選んだのか?(東進生データ)
■全体W合格者進学先
〇早稲田大学 56.2 - 43.8 慶應義塾大●
■同系統学部ダブル合格選択
○早稲田政経 85.7 - 14.3 慶應法●
○早稲田政経 80.0 - 20.0 慶應経●
○早稲田商 77.8 - 22.2 慶應商●
○早稲田理工 76.2 - 23.8 慶理工●
○早稲田文構 75.0 - 25.0 慶應文●
△早稲田文 50.0 - 50.0 慶應文△
●早稲田法 41.7 - 58.3 慶應法○
■同系統学部ダブル合格選択トータル選択率
〇早稲田大学 73.6 - 26.4 慶應義塾大●
毎日、エデュで繰り広げられる、早慶の不毛な言い争い。
早稲田が上だ、慶応が上だ。
参加者の素性など何も担保されてなどいない。参加していれば、ハタからは早慶関係者だと見られる、その勘違いが彼らの恍惚となり、ガソリンになっている可能性が高いとみる。
だって、私がリアルに知る早慶OBが、僻地の掲示板で言い争う姿が絶対に想像できないから。
実社会で何かを成した人間ほど、学歴を記章として振り回さない。
それは学歴の価値を知らないからではない。むしろ逆だ。学歴とは、本来、入口に過ぎないことを知っているからだ。
企業を動かす者も、研究を前に進める者も、資本を回す者も、結局は社会の現実に接続された場所で評価され続ける。昨日の肩書きではなく、今日のアウトプットで測られる世界にいる。
だから、昨日の偏差値表の亡霊を抱えて、匿名空間で鍔迫り合いを続ける必要がない。
エデュで起きているのは、大学論争のように見えて、実際には所属幻想の消費だ。
人は、自らの人生に輪郭を失うと、共同体の看板に寄りかかる。
国家でも、企業でも、大学でもよい。自分自身を語るより、看板を語る方が圧倒的に楽だからだ。
しかも匿名掲示板は、その欲望にとって極めて都合が良い。
本人確認はない。
学位記も不要。
学生証も不要。
早稲田卒のふりをしても、慶応医学部の保護者を演じても、誰も検証できない。
しかし奇妙なのは、その虚構空間の中ですら、人々が必死にヒエラルキーを作ろうとすることだ。
文学部がどうだ。
内部進学がどうだ。
一般率がどうだ。
推薦比率がどうだ。
現実社会ではほとんど意味を持たなくなった微細な差異を、まるで中世神学の教義論争のように積み上げていく。
そして、その熱量だけは異様に高い。
おそらく彼らは、大学について語っているのではない。
失われた自己肯定感について語っている。
あるいは、自分の人生が本当に正しかったのか、その確認作業を延々と続けている。
だから議論は終わらない。
相手を論破しても空白は埋まらないからだ。
本当に充実した人生は、匿名掲示板で証明する必要がない。
忙しい人間は、自分の現在に追われている。
投資先を見ている。
論文を書いている。
顧客と会っている。
新しい事業を考えている。
子どもと食卓を囲んでいる。
時間とは、その人間の現在地そのものだ。
その貴重な時間を、存在確認のための学歴ロールプレイに費やし続ける空間に、私はどこか現代的な孤独を見る。
これは大学論争ではない。
情報化社会が生み出した、所属依存の残響だ。
そしておそらく、AI時代が進むほど、その空虚さはさらに露出していく。
大学名を暗唱するだけの人間より、自分の頭で考え、自分の言葉で世界を切り取れる人間の価値が、静かに上がっていくから。































