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【2989067】日本には成立しない 大学哲学科

投稿者: 即螺手数   (ID:5B9C.lUFyeU) 投稿日時:2013年 06月 01日 12:32

あまりにレベルの低い、日本の大学における
哲学科の存在。

この学問の祖ともいえる「哲学」が育たない理由とは。
まさに、人生を思索する能力の無い、現今日本人の愚かさ
はもちろんのこと、

名ばかりの哲学科を持つ自称大学の研究機構にも
多大なる問題があるのだ。

関連者よ!その膿を掃き出そうではないか!!

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  1. 【2990912】 投稿者: 東京大学の哲学(2)  (ID:aOM0rZ7ImU.) 投稿日時:2013年 06月 03日 01:10

    東京大学比較文学比較文化研究室 哲学部

    野矢 茂樹 〜 分析哲学、言語哲学、他者論、行為論、ウィトゲンシュタイン研究

    大石 紀一郎 〜 ドイツ思想(ニーチェ・解釈学・批判理論)、現代ドイツ政治文化(特に「記憶の文化」の諸問題)

    梶谷 真司 〜 哲学(特に現象学)、比較文化、医学史(主に江戸~明治時代)

    古荘 真敬 〜 哲学(現象学、ハイデガー、実存思想、比較思考など)

    徳盛 誠 〜 日本文学・思想、比較文学比較文化

  2. 【2990920】 投稿者: 微妙  (ID:aNo6uPf/8DA) 投稿日時:2013年 06月 03日 01:17

    文学部が全体的にそうなのですが、担い手を作るところではないということが微妙なのです。

    文人を作るところではなく、文人を研究するところ。
    哲人を作るところではなく、哲人を研究するところ。

    もちろん、文学部出身の文人、哲人もいますが、それは大学の教育によって生み出されたのではなく、自然に発生した人々です。

    従って、哲学を極めることはできません。哲人の言動を分析するだけが関の山です。
    まあ、分析して広める人も重要であり、それによって哲人の言動が世の中に浸透することもあるのですが。
    それだけでは弱いですね。

  3. 【2991309】 投稿者: 即螺手数  (ID:yqNRxuxYU/.) 投稿日時:2013年 06月 03日 12:15

    微妙さん
    >文学部が全体的にそうなのですが、担い手を作るところではないということが微妙なのです。
    >文人を作るところではなく、文人を研究するところ。
    >哲人を作るところではなく、哲人を研究するところ。


    言い得て妙の所がありますね。
    つまり、文人や哲人を「研究」するところ・・・

    要するに、人生の痛みもろくに経験したことのない
    研究するレベルにも無い愚連たちが、
    「ああでもない」「こうでもない」と[のたまわって]いるだけ。

    昔はそれでも、東大の倫理であるとか京大の西田系に
    それなりの学士がいたものですが・・

    近年になり、特に酷いのが名ばかりの学習院
    や学力偏差値が高くない法政・明治といった中堅私大以下のお荷物学科。

    東大や京大等の偽研究者を高条件で引き抜き、
    金に任せてお遊びさせている。

    とても人間研究とは程遠い現状、否これが人畜の本性である事に気付き歓喜し、
    キェルケゴールも、更にアイデンティティーが崩壊されていく現実を
    楽しむ事となるであろう。。。

  4. 【2991332】 投稿者: 微妙  (ID:HKtsBAkQ/7I) 投稿日時:2013年 06月 03日 12:46

    それでも、今は哲学に対して興味を持つ若者も出てきている時代だとは思います。
    ただし、それはサンデル教授のお蔭ですが。

    かなり口当たりのいいところから入って行きますから、若者にも受け入れやすいでしょう。

    その手法が必ずしもいいとは限らないのですが、少なくとも映像授業のお蔭で哲学に興味を持つ人が出てきていることを受けて、日本の大学でも質のいい哲学の授業をするようになればいいのですが。

    サンデル教授の手法が優れている点は、学生に哲学を「教えている」のではなく、「考えさせている」点に尽きるでしょう。
    先の書き込みに関連して言うと、「哲人の研究者」を作る授業ではなく、「哲人の初心者」を作る授業なのです。
    入口から入ってしまうと、あとは個人の努力や人生経験によって、本物の哲人になっていく学生が生まれる可能性もあります。

    あの授業が哲学の本質であるとまでは言いませんが、哲学を学ぶ学生にその可能性を広げている授業であることは間違いないと思います。

  5. 【2991988】 投稿者: 京都学派  (ID:aOM0rZ7ImU.) 投稿日時:2013年 06月 03日 23:04

    西田幾多郎

    田辺元

    九鬼周造

    和辻哲郎

    三木清

    務台理作

    戸坂潤

    西谷啓治

    高山岩男

    高坂正顕

    下村寅太郎


    錚々たる面々だ。サンデルの講義なんぞよりは100倍、上の方たちの講義を聴きたいものである。

  6. 【2993352】 投稿者: 何故か…  (ID:MEwQTQGSmUI) 投稿日時:2013年 06月 05日 00:45

    内容に 爺くささを感じるのは気のせいでしょうか?
    東大の元哲学の教授が埼玉の私立一貫校の校長先生をしてますが
    ムーミンに出てくる無駄じゃ無駄じゃの梟みたいな哲学者ではなく
    考える人間を育てるところからはじめないと
    日本の哲学など壊滅しても誰からも惜しまれなくなってしまう
    と思いますが?

  7. 【2993378】 投稿者: 古典派  (ID:BgdqZi1Ru6k) 投稿日時:2013年 06月 05日 01:28

    >考える人間を育てるところからはじめないと
    これは当然というか、本来は「考える人間」が哲学を学ぼうとするものだ。
    だから「考える人間」がいなくなったら哲学は無くなる。おっしゃるとおり。
    だからといっていつまでもサンデルの授業内容レベルにとどまっているのは
    ちっとも「哲学」ではない。
    またことさら「現代社会の流行」を意識しても浅はかな思想しか生まれない。
    古典を学ばずに勝手に「考えた」だけの哲学などクそ同然。
    その意味で「爺臭く」なるのはやむを得ない。
    哲学に限らず学問とはそういうものだと思う。

  8. 【2994334】 投稿者: 思い出  (ID:yqNRxuxYU/.) 投稿日時:2013年 06月 05日 21:44

    西田幾多郎

    彼も腰が据わらない男で、京都帝大に落ち着くまでに、
    学地を転々としていた。例えば、ようやく学習院教授として立場を得ることになり、
    それが京都学派を将来産む事となった事は、彼の文責からも伺える。

    そんな由緒ある学習院の哲学科も、いつの頃からか惨澹たる有様であることに
    悲しみを感じるものである。

    一部、東大京大以上に優秀な学生が入学するも、
    その教授陣の無能さによりその才を埋もれさせてきた経緯は、筆舌し難い
    ものがある。

    私が東大の講師時代出会った学生だが、まさしく彼は天才だった。
    本学の学生に無いオーラを感じショックを受けたものだ。
    感性に優れその端正な容姿とも相俟って、思わず我を忘れてしまうほどだった。
    彼は本居宣長の研究をしていたが、その彼が、東大の研究室を訪ねてきた時の思い出である。
    「卒業論文がC評価であリ、納得いかないが、見て欲しい」との事だった。
    なぜ東大へ?と問うと、彼は「宣長研究の第一人者である相良 亨教授に講評を」との事だった

    当時教授の助手をしていた私は、出張の教授に代わって彼の話を聞いた。
    それは切り口も斬新、これまでに無い宣長の研究論文「もののあはれ論」
    であった。
    彼によると、卒論事前発表会の際、教授陣に「独断と偏見に満ちた独りよがりの論」と
    酷評されたとの事だった。
    これが、私の先輩教授も多く在籍する学習院の、非リベラルな融通性に欠ける大学の現状なのかと、当時大いに失望感を感じたものだった。

    案の定、後に一読した相良の評価も非常に高く、感服していた事を思い出す。
    彼には東大大学院進学を勧めたが、その後消息を絶ってしまった。相良も非常に残念がっていた事を
    思い出す。今はどこで何をしているのか?新たな本居宣長研究の旗手となったであろうに。

    こういう天才研究者を世に出す手助けするのが、本来の大学の役割でもあるはずだ。
    今の日本があらゆる面で沈滞している現状は、まさに上に立つ者の奢った精神、
    新たな風を拒否する風潮が引き起こした弊害からなのだろう。

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