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投稿者: アラフィフA (ID:jLkQwHbYFXA) 投稿日時:2011年 05月 11日 16:48
親世代の直面する現実をみて、また震災を経験して、またまた私たち夫婦の年齢からも、
子育て後の住まいについて考えてしまいます。
まだ高校生の子がいるので先なのですが、
思わぬ長生き、年金減額、社会保険料値上げ、医療費負担増大、東京の高齢化率の加速など
私たちの今後はあまり楽観できませんね。
皆さま、どこでどんなふうに余生を過ごされますか?
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【2129843】 投稿者: 伴侶 (ID:EG7lLrXgxdg) 投稿日時:2011年 05月 16日 10:26
私はお独り暮らしのご老人を否定しているのでは全くなく
その位の覚悟を持って長生きしなければいけないのだと、自分自身に言い聞かせているつもりです。
衣食住の支えは、それなりの蓄えや地域支援で何とかなりますが
精神的な満足は、献身的な周りのお世話がないとやっていけないのが現状だと思います。よっぽど本人に生涯を通して極めたい芸術や研究課題でもあれば、日々の精進で
孤独を忘れて生きることができるのでしょうが、凡人ではなかなかそうはいきません。
普通の老人の寂しさは、家族や地域に対しての役割を持っていないことに通じると思っています。
子育てを終えた後、どういう役割を持って老後を過ごしていくかを考える必要があるのではないでしょうか。
今、実母や姑は、自分のこと以外のお世話は全くしていません。
一人になってしまった時の役割を見出す余裕がなかったのだと思います。
お先真っ暗な老後にならない為にも、自分の体が動くうちに色々なことを想定して
危機管理しておくことも大切なのではないかと最近考えます。
(なるべく子供には負担を掛けさせない老後を私は送りたいのです。) -
【2129896】 投稿者: まさに (ID:G.vloZPejlk) 投稿日時:2011年 05月 16日 11:40
おそらく、外出できるうちは良いのだと思います。
ちょっとした怪我や病気で、外出が億劫になってしまう。
治ればまた・・・という気力さえも萎えてしまうことがあります。
そういう時に、デイサービスを使ったりして、
自力で外出できないにしても、外へと目が向けばよいのですが、
「自分はデイサービスのようなところには行きたくない」
となると、家に引きこもってしまうことになります。
家にいても、友人が来る、電話でお話しする・・・
など、他人との交流があるうちはまだ良いですが、
年とともに、そういう友人も、外出が億劫になったり、
病気になったり、亡くなったり、どんどん減っていきます。
そして、耳が遠くなり、電話も億劫になる。
同年代の人が多く住むニュータウンは、老化が一気に押し寄せます。
施設に入る、子供の元に行く・・・亡くなるなど。
近所にありますが、歯抜けのようになっています。
今残っている方は、子供と同居の方、近くに子供がいる方が、
ほとんどです。
若い方も移り住んできますが、古くから住む方との交流は少ないです。
「子供の世話にはなりたくない」という言葉は、
用意周到な準備をしてはじめて言えると思います。
親の、その言葉に惑わされてはいけません。
ほんとに、きちんと準備をしているのか。
それも、自分の老後のを見極める、最初の一歩だと思います。 -
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【2129898】 投稿者: それは悲しい (ID:gIVDCbxF3aA) 投稿日時:2011年 05月 16日 11:43
>普通の老人の寂しさは、家族や地域に対しての役割を持っていないことに通じると思っています。
とても立派なお考えだと思いますが、ご老人の方はすでに社会的に貢献されたり、子育てをしてこられた方です。
子育てを終えた後の役割というのが具体的にどういうことを指すのかわかりませんが、自分のしたいことをして生きても良い方たちだと思います。
生涯を通して極めたい芸術や研究課題なんて大仰なものがなくても、日々の生活の中で小さな楽しみを見つけられる人が幸せな老後を送れるのではないでしょうか。
それは一人暮らしでも、肉体的精神的に健康なら可能なことだと思いますけれど。
私は、義母も含めて、一人になってもそれなりに生き生きと老後を送っている例がまわりに多いので、そんなに老後に悲壮な決意はしていません。 -
【2130220】 投稿者: 伴侶 (ID:EG7lLrXgxdg) 投稿日時:2011年 05月 16日 17:55
80歳を過ぎて、お一人で生き生きと過ごされているご老人が周りにいらっしゃると言うのは、とても幸せなことだと思います。
ただ愚痴や弱みは、お世話をする本当に近い存在の人にしか話しませんので
私の実母も姑も、傍から見たら、生き生きと一人で生活している老人に映ると思います。
伴侶を亡くしてからの3年間は、ほぼ毎日、実母や姑の愚痴を聞いていました。
2時間以上離れたところに暮らしていたので、日に何回も電話をもらいました。
外出先から戻ったら、玄関が暗くて嫌になった。
お昼に食べたおそばが固くて消化不良を起こした。
伴侶宛のよくわからない通知が配達されてきた。
税金の通知が来た。
お隣の家には、今日も娘さんが来ている。
風呂場の空調の音かおかしいなどなど・・・
不安や不快感が心に生じる度に電話をしてきました。
80歳を過ぎて、肉体的、精神的に健康で気丈な人は、ほとんどいないと思います。
その不安を自分で解決できるかどうか。
ちょっとした事をお隣近所に相談できる人がいるかどうか。
なかなか近所の人に(幼馴染でもいる、昔ながらの地域ならともかく)
自分の家の弱みを話すことはできないと思います。
私の実母や姑は、75歳ぐらいまではそれはそれは社交的に、都心のカルチャースクールやサークルに入って楽しんでいましたが、
80歳を過ぎてしまうと、荷物を持って外出することはできなくなり
では家で楽しめるかといえば、お道具を出したり、しまったりも億劫になり
結局長年続けていた趣味は、一人では続けられなくなりました。
歩いて行ける範囲での楽しいお付き合いができる友人を作っておかないといけないのかなとも思いますが、友人もずっとそこに住むとは限りませんので、運次第になってしまいます。
地域の老人会などに70歳ぐらいから参加して、小学生の見守りパトロールや読み聞かせなどをするのもよいのかもしれませんが、
ご近所での老人会は、メンバーが減る一方で、私の頃まで存続しているか不明です。
色々考えると、やはり子供との近居で、子供家族の手助けをしながら
年を重ねて行くのが、日本人にはあっているのかなぁ。。。
実母も姑も伴侶のいる間は
「老後は子供の世話にはならず、自分たちでやっていく。」と常々言っておりました。
結局姑は、数年前に近所のマンションに越してきました。
今は、とても幸せだと話してくれます。
実母もそのうち、こちらに越してくると思います。 -
【2130261】 投稿者: ひとりは寂しい (ID:Ifii3gJEUzw) 投稿日時:2011年 05月 16日 18:33
うちの姑が住む地域は、ご近所付き合いも密で、日に何度も誰かが訪ねてきてはおかずを交換したり、世間話をしたりしています。
それでも夜になって一人になると、なんだか不安でみじめな気持ちになるそうです。
>外出先から戻ったら、玄関が暗くて嫌になった。
>お昼に食べたおそばが固くて消化不良を起こした。
>伴侶宛のよくわからない通知が配達されてきた。
>税金の通知が来た。
>お隣の家には、今日も娘さんが来ている。
>風呂場の空調の音かおかしいなどなど・・・
全く同じです。
ちょっとしたことが不安になり、ご近所に娘や孫が遊びにきているのがとても気になるようです。
でも気持ちはよくわかります。
75歳くらいまでは元気で、買い物にも出かけられるかもしれません。
それからの人生をどう生きるかですね。
寂しくても不安でも住み慣れた土地にいるか、子供との同居または近居に踏み切るかです。
我が家は80歳までは一人ぐらしで頑張ってもらい、その後は同居できるようにと考えています。
人生の最後こそ楽しく暮らしたいですね。