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投稿者: サイレントマジョリティー (ID:hBhPR1jT7Yo) 投稿日時:2016年 08月 20日 14:38
昭和天皇の墓参り秘話
愛知県幡豆郡、三ヶ根山山頂の「グリーンホテル」に昭和天皇御夫妻がお泊りになったのは昭和54年5月26日のことです。
表向きの目的は、豊田市内での植樹祭出席である。
三ヶ根山山頂のホテルは植樹祭会場には遠くて不便だった。
豊田市内には、いくつものホテルがあるにもかかわらずなぜその
宿泊先を選択したのだろうか?
天皇陛下と皇后はグリーンホテルの広い窓から直立不動のまま外を眺めておられたという。
その視線の先にあったものは、一つの墓碑だった。
同じ姿勢のまま15分以上にわたり、沈黙の時を過ごされた天皇の胸に去来するものは何であったろう。
墓碑には「殉国七士の墓」と刻まれている。
東京裁判でA級戦犯とされ絞首刑に処せられた7人の墓である。
周囲には百数十の部隊の慰霊碑もある。
昭和23年12月23日に処刑された7人の遺骨は米軍により東京湾に捨てられたとされていたが、弁護人の一人が7人分の混じった遺灰を共同骨捨て場からひそかに回収し近くの寺に預けていたのだ。
三ヶ根山に墓が建立され遺灰が移されたのは12年後の昭和35年8月のことである。
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【4230145】 投稿者: 感謝と祈り (ID:ukqFugN6N8w) 投稿日時:2016年 08月 30日 15:10
小野田寛郎さんが、強く語った 『 開戦の詔勅 』 。
小野田さんは、かつて、小泉元首相が靖国参拝時「心ならずも戦場に赴いた人々」と述べたことについて強く批判していた。
ご紹介を頂きました、小野田でございます。
私は今まで、この席を借り、あるいは他の会合で、
「黙って靖国神社にお参りして頂きたい。」
それをお願いしてまいりました。
今、平沼さん(元経済産業大臣)が言われたように、
靖国神社に15日にお参りすると言ったのは、他でもない小泉首相であります。「命を賭けて」と言って、いわゆる(衆議院)解散をしました。
何故、「命を賭けて」今日お参りできないのか!
私は敢えて首相をけなしたくありません。
しかしながら、一国の首相たる者が、この靖国神社へお参りをして
「心ならずも」と英霊に対して言葉をかけております。
果たして私たちは「心ならずも」あの戦争で命を散らせたのでありましょうか。
私は国の手違いによって、十五年間靖国神社におまつりをして頂きました。
もし私がその時に本当に死んでいたとすれば
国のために我々が戦わなければ誰が戦えるのかと、
そういう自分たちの誇りを持って力一杯笑って死んでいたのであり、
また私だけでなしに私の仲間も皆そうであります。
それがなんで「同情」の対象なんでしょう。
「誇り」を持って死んだ人に対して、
何故ただ黙って「ありがとうございました」と
感謝の念を捧げられないのか。
私は小泉首相に大反対であります。
靖国神社について、あるいはまた戦後のいわゆる国際裁判のこと、
色々先ほどから諸先生方にお話を伺いました。
また、ここにお集まりの皆様方は、充分そのことをご承知のことと思います。
事後法(東京裁判のこと)など裁判ではありません。
A級戦犯とは、敵国側が占領中につけた名前であって、
決して我々の認める名前ではありません。
私はただ一言だけ、時間の関係で皆様に何としても申し上げたいことがあります。
それは、先ほど陛下の「終戦の詔書」を拝聴致しました。
しかしながら、現在の日本において何故「開戦の詔書」を
拝聴する機会が無いのかということであります。
ものには「終わり」があるということは、「はじめ」があるからである。
「結果」があるということは、「原因」があるからであります。
「開戦の詔書」は、私は本当に入隊するまでの間、
しばらく何ヶ月か、いわゆるお聞きした。
今でもよく憶えております。
~~~「開戦の詔勅」を途中から暗誦される。~~~
「豈(あに)朕(ちん)ガ志ナラムヤ」
(※現代訳: このような事態は、決して私の本意ではない。)
と仰せられているのであります。
終戦の詔書にも、その旨が言われておりますけれども、
「帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為、決然起(た)ッテ
一切ノ障礎(しょうがい)ヲ破碎(はさい)スルノ外(ほか)ナキナリ」
(※現代訳: 日本の自存自衛の為には、立ち上がる他はない)
陛下の言われている所に、大東亜戦争の真の目的が
ハッキリと示されているのであります。
何が侵略戦争でありましょう!
それを、ハッキリ日本国民が自覚すれば、
この靖国神社に黙ってお参りをし、
そして黙って感謝の気持ちを捧げられるはずであります。
その感謝の気持ちこそが、国を守るという大きな気持ちに繋がっていく、
私はそをれを死ぬまで皆様方に申し上げたいと思います。
どうか皆様、私が申し上げた「開戦の詔書」には、
一部言葉の違いがあるかもしれませんが、
意味においては私は絶対に間違ってないと思います。
私は国の為を信じて三十年間戦い続けてきました。
だけど、生きていたから靖国神社では落第生であります。
だけど、私と同じ時に死んだ、この仲間の気持ちは
私と同じでありまして、私が今生きているからこそ、
皆様にそう伝えたいわけです。
ご清聴ありがとうございました。 -
【4235671】 投稿者: 法王 (ID:hdJ9LbYtmJs) 投稿日時:2016年 09月 04日 07:34
ローマ法王ピオ11世が日本軍の行動を理解し、
全カトリック教徒に日本軍への協力を呼びかけて
いたことをご存知ですか?
日本は中国を「自分の領土」とするために戦っていたのかな?
日本は中国の「領土保全」をかかげ、誰からも侵略されない、中国人による中国人のための安定した国家がそこに誕生することを目指してたんだと思いますよ
アジアを共産主義から守る防波堤になるためには一大経済圏が生まれることを目指したんでしょうね
日中戦争が始まった年である1937年10月に当時のローマ法王ピオ一一世は、この日本の行動に理解を示し全世界のカトリック教徒に対して日本軍への協力を呼びかけました。
法王は、「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」といった内容の声明を出しています。
この声明は当時の日本でも報道されたんですよ
(「東京朝日新聞」夕刊、昭和12年10月16日17日)
そのピオ一一世が1939年には世を去ってしまいました。
この死は欧米の反日主義防ぐまでには至らなかったが悲劇のはじまりなのです。
その証拠にローマ法王は靖国神社に参拝せれています。 -
【5965997】 投稿者: 台湾の友人が教えてくれたこと (ID:qmXX9O2xXXs) 投稿日時:2020年 07月 31日 20:32
日本人飛行兵が祀られている、台湾人の信仰を集める場所、鎮安堂
攻撃によって発火し急降下した場所。落下傘で飛び降りていれば命は助かったかもしれないのに、操縦桿を握り続け、機首をあげて零戦が集落に墜落することを回避したのだと言っていました。
その飛行兵の名前は、航空隊少尉の杉浦茂峰。
日本兵が「飛虎将軍」という名で祀られていることに、日本人として感謝を伝えたが、友人は笑っていた。 -
【5966520】 投稿者: 有識者 (ID:lXdCc97Cx/6) 投稿日時:2020年 08月 01日 10:01
>日本兵が「飛虎将軍」という名で祀られていることに、日本人として感謝を伝えたが、友人は笑っていた。
愚かな日本人の墓ですね。
私たちは大村知事に感謝しなければならないと思います。 -
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【5966561】 投稿者: 併合の違い (ID:qmXX9O2xXXs) 投稿日時:2020年 08月 01日 10:43
北朝鮮 米国日本韓国敵視の教育
韓国 米国庇護の教育
日本 米国庇護の教育
台湾 米国見放された教育
中国 如何にズルして利用する教育
自立心を養うことで成功したのが台湾と言えるでしょう
中学のホームルームはグランドで軍事練習します。台湾では?
ジャイアンのプーがだみ声で歌っているのが常態化しています。
だみ声を黙らせるのは力をつけるしか無いことを知っているのが台湾です。
だから日本兵も祀ってくれているのですよ -
【5966635】 投稿者: 有識者 (ID:lXdCc97Cx/6) 投稿日時:2020年 08月 01日 11:49
やはりあの戦争は間違いだったと思うんですよ。
愚かな私たちの祖先がこぞって戦火に飛び立ち命を失いました。
大村秀章大先生は私たちに気付かさせてくれたのです。
もうすぐ終戦の日。
私たち日本人は平和の鐘を鳴らしつづけなければならないと思います。 -
【5966652】 投稿者: はいはい (ID:qmXX9O2xXXs) 投稿日時:2020年 08月 01日 12:03
はいはい反省マニアは
そうね
如何に戦争を止めるか
1000文字で課題作成GO! -
【5966781】 投稿者: 有識者 (ID:lXdCc97Cx/6) 投稿日時:2020年 08月 01日 14:13
私は反省マニアでも何でもありません。
日本人として日本が好きなだけなのです。
もうすぐ広島・長崎原爆投下の日ですが、
あの昭和天皇は、原爆投下はやむを得なかったと発言しています。
写真を焼かれるのは当然だと思います。
私たちは大村知事にいくら感謝してもしすぎることはないと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=0fQsy4ul_m0