充実した教育環境の日大付属高校
神奈川の公立高校生についてのんびり語りませんか?
独特とも言われる神奈川の公立高校についてのんびり語りましょう。
目的は長かった高校受験が終わったことを喜び、のんびりするためです。
議論は避けましょう。
真剣にアドバイスがほしいなら別スレをお勧めします。
2レスにスレ主ルールを書きます。
私にとっての塾のイメージとは。。。
おそらく他の学校の生徒と一緒に授業を受ける時間だと思っていました。
自分の成績が高校だけの位置づけでなく、受験生としての位置づけとして認識していました。
でも、他の学校の生徒と友達になるわけでもなく、男子校に通っているせいか
やはり女子と一緒に授業を受ける事にあこがれもあったりして、帰宅での電車の中で
お気に入りの女子に目が行き、ガラス越しに(ガラス窓の反射越しに)ただ眺めていたような
そんな青春を思い出していました。
>例えて言うなら趣味を始める時に形から入るタイプ
私も同じです、一度テレホンショピングで良く切れそうな包丁を売っていまして。
思わず購入しました。ふと気づけば台所で夕飯の支度をしていました。
なんだか妻にうまく乗せられたのかと。。。男は単純の方がいい。。。と。。。
>夫婦であっても、親子であっても他人は、他人、と自分の中で強く思い知った時があり、自分も母には全く自分の気持ちをわかってもらえない、と思いつつ育ったので、親子であっても(血がつながっていても)他人、という思いがあります。
私はこれは人格の違いと思っています。世の中には同じ人格はいないのだろうと(似ている人はいるけど)思っています。そして他人と思える事こそ、相手に必要以上は依存しないでいられる
と思っています。だからきりんさんはきりんさんなのです。
そして、そう思われているからこそ、お子様の人格形成がうまく育まれたのではないかと思います。
これについては、男親と女親では少々見解が違うのだと思っていました。
男は理性で親になります。(自分が産んでいないので)でも女はすでに生まれると同時に親になるのだと思います。だから人格形成にしてもやはり男親は理屈でしか考えられないのだと
そう思います。
>会えば私に「何かあったら言っておいで」と必ず言います。言えませんよ。実際には80のお爺ちゃんになってしまってる父に。
私の理想です。素晴らしいお父様ですね。お爺ちゃんなんて失礼だと思います。
今でも娘をしっかり守るだけの気力は持っていられると思います。
私の父親は昭和9年生まれで今でもジムに毎日通い体を鍛えていますよ。
自慢は50年以上体型が変わらない事。そして同じ話を二回以上言った事がない事。
私は親父を越えられないかもしれない。それだけ親ってすごいですね。
>子離れ、って、そんなに気負わなくても大丈夫なんじゃないか、と最近思うようになりました。
私は子離れより、自分の将来に希望を持ち、豊かな気持ちで歩んでくれることを願います。
そして、精神的な消耗をするようなそんな思いを持たないように気を配る事ができれば
それだけで十分です。
いつかきりんさんのお父様のようなセリフを言えるように頑張りたいです。
伊予かんさん。
実存主義とは。。。
実存主義とは、人生を創造することだ。
「夜寝てる時、僕の心臓は動いてるの」と聞かれて、幼い私は「ううん。夜は停まってるの」と答えました。この時私は「実存主義者」でした。寝てる間は知らないからね。
確かに加藤泰三さんの土台の中心に置かれた柱は実存主義なのだと思います。
私は、学生時代宗教や哲学を勉強しました。アメリカ人と話すとやはりキリスト教の教えを
生活の中に感じる事ができます。丁度それは日本が仏教や、儒教の教えが潜在的に刷り込まれているように。
卒業論文が建築科で「キリスト教における教会建築の聖的空間についての考察」
を書き上げて卒業しました。後にも先にもこのような論文はないと思います。
学生時代交流の深かったある牧師のお宅でしばらく修行をさせて頂いた事もあります。
子供を育てる時ももしかするとそのような影響があるのかもしれない。
けっこう人生相談、聞いている分には面白いです。
こんばんは、ひつじです。
今日は蒸し暑く、喉ばかり乾く一日でした。
きりんさん、優しいですね。
きりんさんの人柄がお父様に「何かあったら言っておいで」と言わせるのでしょう。
私は父に対してトゲトゲした対応しかできません。
両親から優しい声掛けを聞いた記憶もありません。
たとえされても、私にはそのようには聴こえなかったことでしょう。
そんな風な親子関係を見ている子たちにいい影響がないことはわかってるんですが
でも、だめなんですよね。そのまま私にも降りかかってくるんだろうな、と覚悟しています。
塾を替って、末っ子君は頑張って通っています。
既に三度も(!)一回一時間にわたる三者面談をしました。
毎回お決まりな感じのやり取りで、受験勉強とは
毎年同じ型にはまった問題を解くもので
塾の職員さんたちはほぼマニュアル通りなんだな、
受験生もそのルーチンに乗れば行きつくところに行きつくんだな、
と漠然とわかりました。(今更、かもしれませんね)
何と言うか、HowTo本を読んでいるような感覚です。
「ぼくらは評価されない」と言うのは、自分というより、「ぼくら」なんだと思います。
我が子自身は評価されない無力感にさいなまれているわけではないと感じます。
私は皆さんのようには勉強サポートはできず、ご飯を食べさせるだけですが、
食事の時に話をするので、そこはだいじょうぶ、とわかります。
我が子の学校にはにずっと普通にやってきた子たちが大勢いるのです。
こうあるべきと教えられたことに、反発しつつもぐっと飲み込んで羽目を外さず、
コツコツ、部活も、勉強も友達関係も中庸を保って、大人に心配をかけず
高3の初夏まで毎日部活で、頑張った先輩たちを数多く見ているのです。
なのにヤンキー先生やビリギャルや・・・
なんだかおもしろくないのは私にはよくわかります。
なんでそんなのが旗頭なわけ?とも思うんです。
ヤンキー先生の選挙の街頭演説を聞いて、
ますますそう思ったようでした。
長々失礼しました。
ひつじさん
>我が子の学校にはにずっと普通にやってきた子たちが大勢いるのです。
こうあるべきと教えられたことに、反発しつつもぐっと飲み込んで羽目を外さず、
コツコツ、部活も、勉強も友達関係も中庸を保って、大人に心配をかけず
高3の初夏まで毎日部活で、頑張った先輩たちを数多く見ているのです。
嫌な思いをさせてしまいましたね。すいません。
その通りだと思います。
学校を無視するお子様がたかが大学に入学しただけで時の人となり旗頭になる??
ヤンキー先生の勉強の仕方になんら脳科学的な良さも見いだせない。
たんなる根性論。。。そんな人が毎日頑張った多くの「ぼくら」より優れている??
冗談じゃない!!
ひつじさんは素晴らしいバランス感覚の持ち主だと思います。現実的に
高校の内申書はビリギャルはどうなっているのか、そしてそれは受験にはまったく反映されない
公立なら退学ものだと思いますよね。だって授業放棄なんだから。。。
プロスポーツもアイススケートも(中京大学のスポーツ推薦で入る生徒)結局同じ人の集まり
極端にバランスが悪い。高校は受験の為にあるわけじゃあない。でも良い大学に進学するのが
大切。。。矛盾ですよね。。。
多くの「ぼくら」は本当に頑張っていると思います。
我が子は、高校時代塾にも行けませんでした。それだけ高校生活を大切にしました。
医学部には面接があり、ほとんどが内申書を参考に面接が行われます。
そこには3年間の全ての学科の成績評価や、それぞれ高校の先生がコメントした内容が書かれています。出席日数もすべてが書き込まれています。
それは、ビリギャルの真逆の高校生活を過ごしている、いかに大切に生活を過ごしているかが
重要な要素になります。すべての学科の成績が4.5以上A判定を取るという事がいかに大変かは
ご理解できると思います。片道2時間以上もかけて通学するのにほとんど休みなしの出席は
健康管理も生活の安定もいかに大変だったか。。。これは実際の面接に質問として聞かれました。我が子も「ぼくら」のひとりです。でも、だれも自分の高校生活を評価してほしいと
思っているのだろうかと思うのです。人と比べ評価する事を求めてはいないと思うのです。
おそらく、そうではなく、自分に必要と思われる何かを見つけ、それを取り込んでより以上に
自分の生活を豊かにするために、参考書やHow to本を読むのだと思うのです。
本音、ビリギャル以上に我が子は勉強しましたよ。しかも高校生活も大事にして。
ヤンキー先生以上に根性を持っていましたよ、2年浪人してしかも格段に成績を上げたのだから。
でも、我が子は「ぼくら」です。決して旗頭になることはないと思います。
では、なぜ私はビリギャルを評価したのでしょうか。
私は勉強のHow toものというより、一人の少女の成長の記録だと感じたと述べました。
「千と千尋の神隠し」と同じような成長の記録のようなものです。
そして、部分的に我が子に重ねて感じてしまう、そんな思いがあった。
(これもやはり受験を終えた親のうざった見方なのかもしれませんね)
受験を前にした皆様に対し、配慮の無い発言だと心よりお詫びします。すいませんでした。
>塾の職員さんたちはほぼマニュアル通りなんだな、
受験生もそのルーチンに乗れば行きつくところに行きつくんだな、
と漠然とわかりました。(今更、かもしれませんね)
何と言うか、HowTo本を読んでいるような感覚です。
これも冗談じゃあない!!と思います、
ひつじさんどんどんぶつけてほしいです。わたしもひつじさんと同じように感じていました。
ひつじさん
勿体ないお言葉です・・。
ちっとも、優しくないんですよ。私。
父に対しては、以前書いたことがあるかもしれませんが、ちょっとファザコンなところがあり・・。
母に対する反発の反動みたいな部分もあり・・。
男性のサバサバっとした叱り方の方が、私的に楽だったというか。
父は、今なら虐待親父になりかねない、恫喝、ゲンコツ親父なんですが、あまりにネチネチ嫌味ばかり
言う母よりも、ゲンコツやビンタ1回で解放してくれる父の方がわかりやすくて、好きで・・。
母は、潔癖な性質でルーズな娘(私)を許せない部分もあったようで、本当にうるさくて・・。
未だに母とは相容れず・・だから、ひつじさんの子育てのスタンス、私には理想です。
お子さん、絶対にお母さん思いに育つと思いますよ。過干渉な母なんてうっとうしいだけですから。
私は、子二人に老後は生活費の足しになるぐらいの金だけ渡して、会いたくないとか、言われてますから。
あと、末っ子くんの話、わかりますよ。
私自身がそういう感じでしたから。ヒシヒシと。
周囲がライブやコンサート、日帰りの遠出だ、なんだと高校生生活をエンジョイ?してる中、ハメも外さず、
外したいのに親の手前外せず、親のダメダメを守り、枠から飛び出せず・・・。
結果、大学で弾けました。でも、悲しいことに弾け方もよくわからず、いつも周囲の目やら、大人の目やらを
気にして、自分を解放できず。
だから、要領のいい人やら、なんていうか、ちょっとしたことで注目を集める?違う、なんでしょう、うまくやった感が
ありありの人を見ると、うーーん、と納得いかない気持ちが噴き出てしまう方です。
でもねぇ。
大人になって思うのは、それも、これもあっての世間だな、と思うし、自分とは違う苦労を、わからないところで
してるんだろうなーって思うようになったのですよ。
でも、今でもそう言いつつ、人に甘えてなんとかしようとする人やら、そういう人が一番嫌いですけどね。私は。
長女気質とでも言うのか・・。
だけど、きっと本当はみんな違って、みんないい、なんでしょうね。
若い頃は潔癖で、なかなかそうは思えないんですけど。私なんておばさんになっても。
でも、私の中に、そのように反発も感じつつも、自らを抑え、逆らわず、生きてきて、だからこそ、
それに見合った結果も生まれたのだ、と思う部分もあると同時に、じゃあ、子供にどっちの生き方を
させたいか、と思うと、まあ、グレられるのも困るんだけど、人としては、ビリギャルも、ヤンキー先生も
それはそれで、アリだな、子供はどっちかというとそっちがいいかも、と思うのです。
心配させられるのは、お腹いっぱいで、もうたくさん、なので矛盾した感情なのですが、私みたいに
ノリに合わせることも出来ないのは、自分が辛くなければいいけど、私はつらかったので、
適当にチャランポランでも、なんだか、うまくいく、の方が本人は楽なんだよな~なんて、思って。
だから、夫は、ビリギャルか、真面目人間かで分けると、どっちかというとビリギャル寄りかもしれません。
子供は、見事に夫似かもしれません。子1は特に。
その生き方が出来るなら、私は、それはそれで羨ましい。誰しも出来ることではないので。
でも、ひつじさんやひつじさんのお子さんの気持ちを否定してるわけではなく、私自身がそうだったので、
よくわかるし、今になって、上記のことを思うだけなんですけど。
野菜ジュースさん
母は、特に女性として私と張り合うような人ではないですが10年以上前から、帰省するたびに
父をいつまでも、若い頃の父だと思うな、年老いている。その辺は、考えなさい、とよく言われました。
それだけではなく、やっぱり年金暮らしだし、年老いてるのは事実で、年齢考えると何も言えたものでは
ありません。心配させないのが、一番の親孝行だと思っています。
面と向かってお爺ちゃんなどと言うわけでもなく、お爺ちゃん扱いもしません。
だって私にとっては、いくつになっても、父は父ですから。
でも、父の実年齢はちゃんと自分で客観的に理解し、年老いていることは受け入れ、それなりの対応は
しないといけない、と思うってことです。
うまく表現できませんが・・。
かといって、手本や見本にされるような父ではありませんよ。結構、最近までいろいろありましたしね。
受験生にビリギャルも「ぼくら」も同じ受験生で、敢えて分けて考えるのは理解出来ませんね。
ビリギャルの慶應義塾大学のなかんずくSFCは、英語1択の試験で、英語だけ出来れば合格なのは、誰しもが知る事実であり、成績不振者が考える逆転シナリオの典型なので、びっくりもしません。
早慶を含む私学は、「ぼくら」以外の希望の星であることは間違いありません。
もちろん、野菜ジュースさんのお嬢さんのように五教科七科目&重量科目とは比べものにはなりませんが、だからと言って、ビリギャルを色物扱いするのも、なんだかなぁと思います。
受験を控えた状態の時期にそれぞれの考え方があっても良いと思います。
論点として思うのは「旗頭」という言葉にひっかかっているのではないかと思います。
様々な受験本の中にやる気にさせる本があります。
私の時代は、灘高生の日々の勉強方法が記載されている本を参考に勉強時間を合わせてみる事を実践しました。高校から帰るとすぐに就寝し、夜中11時頃から起きだして徹夜で勉強
朝散歩して高校へ通うそんな勉強を半年間続けていました。もちろん高校での授業は起きていましたが、どちらかと言うとどうでもよい学科に英語とか別の勉強をしていました。
ビリギャルもヤンキー先生もどちらかと言うと正当な勉強方法ではないような気がします。
そして、この勉強方法を素直に実践する生徒は必ず現れるのだと思います。
「ドラゴン桜」が放送された翌年、東大の合格者に変化が現れたことがありました。
開成などの有力な進学校の進学者が極端に減って、公立高校の生徒が増えた事があります。
それほど受験生には影響が強いと思います。
我が子もヤンキー先生の自叙伝を読み勇気をもらったと言っていましたから。
勉強のやり方を知っている生徒が読むのと、全く何も知らない生徒が読むのではまったく
別なものになってしまうのもこの手の本の弊害かとも思います。
私はひつじさんに指摘され、初めは??の部分がありましたが、だんだんと考え方が変わりました。高校は大学受験という役割だけを担っているのではなく、集団生活の場であり、肉体と精神を育む場でもあるという事を再認識する必要があるのではないか。
受験勉強だけの高校生活なんてやはり納得するには抵抗がある。
受験勉強を通して学業を極めるのも一つの考え方、スポーツを通して社会で生活する知恵を得るのも、音楽や芸術に触れて感性を育むのも一つの考え方。
でも、これら(勉強以外)は「旗頭」として本にならないし、だれも読もうとは思いません。
我が子の通う地方大学の医学部以外の学部はおそらく都心の私立よりレベルが低いかもしれません。そして、1年目の基礎教育科目を習得する為に高校レベルを学ぶ為の特別クラスが開講されています。それだけ基礎的な学力も不足している実態がじっさいにあります。
「ぼくら」は受験生というくくりではなく高校生というくくりとして考えた方が分かり易いです。
わずか3年間、されど3年間。「ぼくら」は様々な可能性を秘め、自分の意志で頑張るのだと思います。そしてそれを補助する事が親の役目。
子供の成長記録としてはビリギャルは評価します。そしてある意味やる気にもさせてくれます。
しかし、同じ勉強方法を行うことに同意するには無理があります。
ただ、自らの意志で頑張るには方法を選ぶ必要はないと思います。
(ビリギャルでも、ヤンキー先生でも必要なら真似ても良いとも思います。)
自己責任という重みも学ぶ必要があるのでしょうね。






























