アートの才能を伸ばす女子教育
神奈川の公立高校生についてのんびり語りませんか?
独特とも言われる神奈川の公立高校についてのんびり語りましょう。
目的は長かった高校受験が終わったことを喜び、のんびりするためです。
議論は避けましょう。
真剣にアドバイスがほしいなら別スレをお勧めします。
2レスにスレ主ルールを書きます。
お久しぶりです。のりたまです。
しばらく2箇所帰省やその後の片付けなどで留守にしておりました。
合間にロムってましたが、なかなか書き込めずにいました。
中学時代の友達とも数年ぶりで再会でき楽しかったです。
父が、数学の参考書をくれたのですが、これ、現代の高校生でも使えますかね?
「必要なものだけ持って行け」と言うものの、どれが必要か選べるレベルじゃないんですね、私もうちの子も。
昭和(!)64年の「チャート式解法と演習」シリーズの「確率・統計」「基礎解析」なんですが。
他に私の蔵書も数冊、救出してきました。結婚するとき、「好きに処分して」と言ってあるのでもう大分ないのですが。
「ミーム」に触発されSFも少し(残念ながらその本にはミームの記述はなかったです。何か勘違い)。
県立高校では今日明日で夏休み終わり、というところもあるみたいですが、うちの子はまだ今月いっぱい夏休みです。
とはいうものの、部活で朝から弁当持ちでいなくって少し帰宅が早いくらいで、生活は前のペースに戻りつつあります。
昨日、河合全統模試を受けてきました。自己採点の結果が私としては悲惨・不満な結果で(得点が半分行ってないんですぅ)、不機嫌な夕食になりました。でも、翌朝には回復?忘却?機嫌よく出かけていきました。
今日は暑さも少しだけ引いていますね。
皆さんの深イイお話、ゆっくり読ませてもらいます。書き込みは来週。
流れ、速いですね。(^^)
>作者の心情を書け、という問題は、実際の作者の心情ではなくて、試験の
>出題者がこの時の作者の心情は、こうだ、と思っている選択肢を選ぶ、
>または、書く問題だと思って解いてましたし、実際そうなんだと思いますよ。
面白いですね。今後、我が子の指導に使わせていただきます。
K塾の模試。
私はすっかり忘れてたのですが、我が子と妻は覚えてました。
我が子は元気に出かけたのですが、帰ってきたときはかなりショックな様子でした。
「どうだった?」と聞いても、要領を得ません。
まあ、私としては想定の範囲内です。
しかし、それはそれとして、「ああ、受験がはじまったのか」という思いです。
もう少し、楽しくお気楽に暮らしていたかったです。
のりたまさんよろしくお願いします。
>楽しくお気楽に暮らしていたかったです。
そうなんです。ここにお邪魔したのはひとえにニンジンさんのこの暖かさにあこがれたからなのです。
それをなぜか違う方向に向かってしまってすいませんでした。
おそらく我が家にはこのような一時がなかったのではないかと半ば反省しています。
思い出すのはひとえに受験という二文字「ドラゴン桜」を隅から隅まで読み
TVもDVDに撮り何度も何度も見ました。
もっとのんびり過ごせる時間があればよかった。
K塾の模試。
ほとんどの公立高校の生徒さんでしたら、偏差値50まではいかないと思います。
それにショックを受けるのだと思います。ニンジンさんの言われた想定の範囲内
それによってお子様が自ら頑張ろうと思われる事の方が大事だと思います。
ただ、模試の問題は良くできていて(定着度の判断の基準にもなる)各問題について細かな情報が載っていると思います。これをグラフにして自分の立ち位置を確認する事や、目標を定めることが大事だと思います。復習は模試を受ける以上に大切です。
私事を少し書かせて頂きます。多くのお子様にとって人生の地図を持っていない
人が非常に多いです。と言っても人生の地図ってなんぞや?と疑問を持たれている
でしょうね。なんでしょうか、人生の地図って。
私は子供に丁度中学1年~高校1年にかけて人生の地図について話し合ったことが
あります。子供いわく、過去の自分がいるから今の自分がいて、今の自分が頑張れるから将来の自分になる。だから1年後、3年後、5年後自分がどうなっているのか想像する事が大切だと思う。これもまた人生の地図なのかもしれません。
K塾の模試。
半分に届かなくても、結果が不本意でも、その現実に向き合って、落ち込んで、でも、気持ちを立て直して勉強に向かう、その姿勢が大事なんだと思います。
偉そうに言ってしまってごめんなさい。
でも、我が子1は(上の子です。上の子、下の子と書き続けるのも長くてまどろっこしくなってきたので、今後、子1、と子2でいきます。)、その時期、落ち込むどころか「ハハハ、数学も英語も社会も偏差値○○以下だったよ~ん。」てな感じでした。
○○は、あまりに悲惨過ぎて書けませんので、ご想像にお任せ致します。
半分取れなかったどころの騒ぎではありませんでした(涙)
そして、受験が始まったなんて、思えるレベルでもなかったのです。
いや、内心は笑い飛ばさなきゃ、やってらんないぜ、と焦っていたのかもしれませんが(でも、そんな雰囲気は微塵もなかったなぁ。性格的にも。)
親の私は、「小心者の私に似ず、コイツは実は大物なのか?それとも、真正のお○カなのか?」と思ったものですが、高3になっても、あまり変わらず、変わったのは「焦る。ヤバイ」が口癖になっただけで、勉強量もあまり増えず、結局のところ後者だったのだ、と思いました。
模試で高得点取れれば、それはそれで心強いものがありますが、受けるだけ受けて、悪かった~とヘラヘラっとしてるのに比べれば、本気で落ち込む方がずっと今後の伸びが期待できると思います。
で、懲りもせず、数学の話です。
ええ。そんなにも片思いなのです。
私、ふと思い出しました。
小学校の時までは、どうして算数が苦手ではなかったのか。
それは、教科書に載っているお手本的な解き方じゃなくても、正解に辿り着くことが出来たし、それで○も貰えたから、なんです。
みんなが教科書に載っていた公式に当てはめて解くところ、私は、その公式がうろ覚え、もしくは忘れた時に、自己流で解いたりしてました。
もちろん、小学校の算数ですから、そんな難しい公式などではないのですが、例えば・・。
確率の問題で、クラス30人中、夏休みに海に行ったのは6人でした。
では、クラスの何パーセントが海に行ったことになるでしょう。
という問題があったとします。
これ、教科書で習った公式に当てはめると6÷30=0.2で、20%がスムーズな正解として。
私の場合、テストになると、ん?なんで、6で割るんだっけ?大体、なんで小さい方の数字で大きい数字を割るの?そんなこと出来るんだっけ?
例えば、リンゴが30個あって、6人で分ければ一人5個だけど、リンゴが6個しかなくて、それを30人で分けることなんて・・・、あっそっか、切ればいいのか。ああ、だから、一人分の分け前が1個より小さくなるのね・・。
だから、答えが小数点なのか・・。
なーんてことを試験中に考え出すわけです。
で、6を30で割ってもいい、と安心してからも、6÷30といかず、
場合によっては、30人の中の6人だから、と分数で考えたりするのです。
30分の6=6÷30ね。
みたいな。
こんなことやってたら、小学校の算数なら、どうにか全問を時間内に解き終えられても、中学以降は、そうは問屋はおろさない・・。
いや、単に勉強の絶対量が不足してたんですよね。
上記の割合の問題だって、そのうち、さすがにリンゴの部分はすっ飛ばして、分数から入れるようになりましたから。
でも、いきなり6÷30ではなく、分数にしてしまってイメージを描く癖は未だに抜けてないかもしれません。
そんなわけで、中学は数学の点数は地を這い、高校で、仕切り直そうと思って、それなりに頑張ったりしたんです。
にんじんさんの社会と同じく、苦手な数学にすごい時間を費やしていたのです。
でも、こーんなことやってちゃ、他の科目を勉強する時間がまるで足りない、ああダメだ、数学捨てよう・・と。
6面揃わない、ルービックキューブをずっとこねくり回している感じでした。
でも、大人になって、ちょっと感動したのは、大学生の時に一時期、塾のテストの添削のアルバイトをしたことがあったのですが、そのバイトの採用試験に簡単な一般常識テストがあり(添削のバイトなのでアルバイトといえども採用試験があったのだと思います)、小学生の時は、これだけは苦手という問題に、時速の計算があったのですが(お兄さんが○分後に弟の忘れ物に気づいて自転車で追いかけた、何分後に追いつくか、というような問題)、小学生の時は、もう公式を理解することにだけ、囚われて、本当に苦手だったのです。
でも、それって、子供、特に小学生は自分1人で○km歩いたりしませんから実感として、その感覚がない。
そうすると、私のような子供には、想像できないことは非常にとっつきにくかったのです。
でも、大学生となると車も持ってない学生としては、移動手段は徒歩か自転車か、電車。
当時の私は、よく歩いていて、標識見ては、あと○㎞で、どこどこか。
ということは、だいたいここまでの○㎞を○分かけて歩いてきたから、あと、○分ぐらいかかるってことだな。
なーんて、超実感。
そうすると、苦手意識もなく、ふむふむそういうことね、って解けるようになっていたのです。
あ、もちろん、小学生の頃、学校が遠くて、それぐらい歩いてました、という子は居るとは思うのですが、それは毎日のルーティンワーク?というか日常の風景で、僕は○㎞歩くんだ、とか、ああ、もう○㎞歩いたから、あと○㎞、○分で学校に着くな、なんて思いながらは歩かないと思うのですよ。
大体、通学だと友達としゃべりながら、マイペースに歩く、というのが普通だと思うので。
毎日、長々ごめんなさい。
私の場合、体感すると理解が早まるということを書きたかったわけです。
そういう意味では、子供の頃は、木を見て森を見ず、みたいな勉強方法か、森を見るところに行きつく前に力尽きて、結果、点数ボロボロ→諦める、ということが多かったのかなぁ、と思います。
その点、国語も社会も、妄想し放題なので(例えば、歴史上の事実とされることを読みつつ、ふーん、織田信長って実際どんな人だったんだろう、誰か血の繋がった直系子孫って今の時代に続いてるかな、とか。国語であれば、これって作者が実際に経験したことが下地になってるのかな?とか。まあ、色々です。)、とっつきやすかったんですよね・・。
とっつきやすいというか、妄想したところ、昔の日本に思いを馳せたところで、そのせいで試験の点数が地を這う原因になるってことがなかったので、苦手意識を持たずに済んだのでしょうね。
本当に長くなってしまいました。
本日は終わりにします。
野菜ジュースさん
>K塾の模試。
>ほとんどの公立高校の生徒さんでしたら、偏差値50まではいかないと思います。
情報ありがとうございます。
なるほどそうなのですか。それを聞いて少し安心しました。
「野菜ジュースさんが違った方向」に進んでいるなどということは決して
ないと思います。(私が決めることではないのですが。)
きりんさん
>クラス30人中、夏休みに海に行ったのは6人でした。
>では、クラスの何パーセントが海に行ったことになるでしょう。
この問題は大変奥が深いと思っています。
これをここまで考え抜いているのは、さすがだと思います。
高校では、微積分とか数列とかベクトルとか、それなりに難しそうなものがありますが、
それらは高校で学べば学べると思います。
高校に入ってから「は」非常に学びにくく、しかもそれができないと苦労する、、、と
いうか、たぶん理系科目ができなくなるというものが、きりんさんの例題(比の問題)
ではないかと思うのです。
これは小学生のときに考え抜いたかどうかで大きく変わるような気がします。
ちなみに、上記の問題、高校生なら「6 : 30 = x : 100」で解いてもよいかと思います。
子供にはわかりやすいようです。
これはきりんさんに教えているのではなく、高校生へのお勧めです。
ニンジンさん温かい心遣いありがとうございます。
音楽でも数学でも同じことがいえると思いますが、やはり才能を伸ばすのは小学生の頃ですおそらく10歳前後までにどれだけ考えたかによって決まるのだと思います。宮崎駿の映画に「思いでぼろぼろ(ぽろぽろだったか)」の中に分数の計算が出てきます。分数の割り算は分母と分数を反対にしてかける。これの意味がわからずに低い点数をとってしまう。
大体掛け算でも0をかけても良いのに0で割ったらいけない。限りなく0に近い数字なら割っても良いなんて数学のルールもなんでと思いませんか。
と一人で文句言っても仕方のない事ですね。私は子供の頃アマチュア無線をやっていまして。中学一年で試験に合格しました。その後は簡単な講習で電話級を(今では4級っていうのかな)取得できます。その頃電気のいろいろな回路で用いる計算を解いていました。この頃では平方根は中三で習うのですが中一で手計算で解いていました。
具体的な回路図があるし、計算式は暗記していたのでさまざまな回路を自分で
作る事を考えていました。だから数学は具体的な目的がありそれを理解する為に
楽しく学ぶことができました。
今ハマっているのは。喫茶店でコーヒーを飲むとき。席数が〇〇席、お客の数は
席数の〇割、一人当たり平均500円払って、一時間当たり二廻りのお客の稼働率を考えた時一時間当たりの売上から8時間を一日とすると一月あたりの売上、
定員の人数、月当たりの支払いから実質の売上これから電気代、コーヒーなど
の原価を差し引くと、と頭の中の電卓がカシャカシャ音をたててはじき出します。
別にだからというわけではないのですが。なぜかハマっています。
数学とかしこまって考えるのではなく、なにか面白い発見が数学を通して感じられるのは楽しい事だと思います。
ニンジンさんは数学の関係(教育者かそれに類する仕事)の方なのでしょうか
それであれば、受験などの勉強に対して意見させて頂くのも
釈迦に説法になりますね。恥ずかしい限りです。
K塾の模試。については徐々に成績を上げるために頑張らなければいけませんよ。
高校二年の夏休みまでには、目標大学の偏差値に辿り着かなければ難しくなります。三年では浪人生が入り込みまた、有名どころの高校の生徒が模試に参加します
5から10位偏差値が落ちます。これを一年かけてあげるのですから。
それと公立高校の進度はかなり私立と異なります。この為、先取りで学習しなければ間に合わなくなります。これもご存じだとは思いますが。
野菜ジュースさん
昨日、書き忘れたのですが、苦手なもので仕事をすることになる、という話、面白いです。
結局、どこかで帳尻が合うように出来ているのかも、と思うことがあります。
避けていた物に関わらないといけなくなる、というか。
結局、どこかで向き合うように出来てるのよ、と誰かに言われたこともあるのです。そう言われれば、そんな気がするのです。
でも、決して議論を吹っ掛けるつもりではないのですが、仕事が楽しくて、好きで好きで仕方がない、という人も居るじゃないですか。
同じぐらい、好きなことは仕事にしない方がいい、好きなことが嫌いになる、という意見も聞きますが・・。
一方で、好きこそものの上手なれで、好きだから収入が高くなくても、割に合わなくても出来るんだ、なんてことを仰る人もいらっしゃいますよね。
そういうことって、どう考えたらいいのでしょう。
ちなみに、私は全然自慢出来ませんが好きなこと、やりたいことってなんだろう、と思ったまま、ちょっと好きなことは色々あるけど、仕事につなげることはできないまま、なんとなく今まで来てしまったように思います。
それから・・・母親は子離れしなくてもいい、なんて甘い言葉を言われると、ついついそうよね、そうよね、って思ってしまうのですが、やっぱり、必要なようです。
仰る通り、私の中には子供達に対して、元々私と身が一つだった存在達、という思いがあるのだと思います。
だから、例えば連絡取れないと、自分の身の一部がどこか知らないところにあるようで、落ち着かない・・・ソワソワしてしまう、のです。
不思議なことに、最初からどこかに泊まる、とわかっている日などは、そんなことないのですけどね。
そして子供達には、いくら母が産んだからと言って、別の人間、別の人格、お願いだから、わかってくれ、と叫んでいるのが数々の反抗期とか衝突なんだろうなーって思うのですよ。
その辺り、各家庭によって色々なんでしょうね。
我が家は、夫はとっくに子離れしています。
そりゃあ、気になるけど考えてもしょうがないから、考えないようにしている。子供達が俺にたいして反抗的じゃないのは、こっちからベタベタしにいかないし、必要以上に関わらないからだ、とも。
ごもっとも。危なっかしくても本人達が考えて動いているんだから、放っておくのも愛情だ、と。
そう、本当にそうなんですけどね・・。
でも、心の深いところで、母の気持ちをわかっていてくれたら、それは本当に嬉しいことです。






























