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【1256680】エチカの鏡 ココロにキクTV

投稿者: エチカの鏡 ココロにキクTV   (ID:/f7maFYJc7o) 投稿日時:2009年 04月 13日 12:12

http://www.nozomigakuen.co.jp/news/tv/index.html
フジテレビ系列 4月19日日曜21:00-21:54
「エチカの鏡 ココロにキクTV」に希学園が取り上げられます。

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「希学園に戻る」

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  1. 【1275684】 投稿者: 前史が公式通りの発表なのが気になる  (ID:ckkbxx.KTtI) 投稿日時:2009年 05月 01日 00:58

    些細なことですが、やはり気になる記述があるので指摘します。

    > 二教科担当は、あと一人、なんと国語と理科二つの資格を持っておられた方もおられましたよね。

    うーん、やはり将棋倒し事件以降の関係者のような気がします。80年代半ば、理科は講師が欠員気味だった時期に他の教科を希望する者がまわされる、社会科はポストが少なくて希望者は別の教科でポストの空きを待つ、という状況がありました。そのため、理科や社会科の講師には、学生バイトであっても、他の教科の講師資格を持っているのが珍しくなかったように思います。

    そのうちの一人で、昨年の希学園の合格体験記に保護者として寄稿されていたS先生(いまは教育業界から離れたので、あえて伏字にします)は、理科と社会の講師の資格を持っていて、社会科しか担当しなくなっても理科の飲み会に参加して「オレの本籍は理科だから(笑)」と言われていました。

    そんな事情で、80年代半ばには二教科担当は珍しくなかったです。非常勤講師が圧倒的に優勢だった時代で、当日に突然、穴を空ける学生アルバイト講師もいて、マルチプレーヤーが重宝されていた、ということでもあるんですが。

    それはさておき、

    > 上治夫妻が非常勤でも浜は回せる、前田さん抜き、伸びすぎた専任講師の力を抑える、という動きがカウンタークーデター発生の一つの背景になっている

    というご指摘には賛同します。あの騒動の主因の一つですよね。

    もう一つ、経営のために(生徒数を増やすために)、レベルがさらに下の生徒まで拾うか、あくまで最難関を目指す生徒に絞り込んだ塾にするか、という路線の対立もあります(と私は考えています)。1992年の騒動を、上治夫妻および前田先生を中心とした個性的な人間の相克のドラマとして捉えるのではなく、塾経営の方針の違いという組織論の対立としてみた場合、この視点ははずせません。

    むかし、浜学園の二軍的存在として「同学舎」という教室がありました。その「同学舎」の廃止、すなわち「浜学園本体の生徒をより下のクラスまで広げる」という決断がなされたのも、80年代なかばのことでした。すでに1992さんが記述された、公開テストの難易度を下げるという動きよりも数年前のことです。

    このへんから、1992年のあの事件の伏線というか、導火線は敷かれていたのだ、と私は考えております。

  2. 【1275737】 投稿者: 京極みどりの弟子  (ID:yd5/kjR70Q6) 投稿日時:2009年 05月 01日 06:06

    同時に80年代は、1講師2教科を排除する、というか名誉顧問の指導から教務に専科化が強いられたので二人の話に矛盾はない。そう簡単に二つの教科のセレクションに合格するのは至難の技だ。そういう内部統制の厳しくなった時代だから、86年以降は三人だけ。それ以前と以後は違うな。現実、現在の浜の講師は86年以降入社の講師が中枢だし、「1992」は話の主旨からこれより以後をコラージュしているようだ。

  3. 【1276537】 投稿者: いらいら  (ID:SpkNpGgevbk) 投稿日時:2009年 05月 01日 20:42

    前史が公式通りなのが気になるさん、べつに前史が公式通りでもなんでも、1992さんは前置きでざっと流しているだけだし気にしなさんな
    些細なこともほんまに些細だ あんまりこっちには関係無い話
    浜の板のほうであんたの得意な前史、それこそエピソード1を語ってくれよ それもちゃんと読ませてもらうからさ

  4. 【1276593】 投稿者: 石楠花  (ID:wvhwTtzkeOs) 投稿日時:2009年 05月 01日 21:42

    ごめんなさい。たぶん現希生たちは全く興味ないです・・

  5. 【1276619】 投稿者: わたしもその時期に浜学園で働いていました。  (ID:cJ2fB3m7l0E) 投稿日時:2009年 05月 01日 22:05

    1992さんの書き込みには、誇張も少なく、事実(もしくは、事実として塾関係者から語られていること)を書いてはいますが、
    この板から少し外れるかも。現塾生が知りたいのは、「じゃあ、希学園は現在どんな経営方針をもって、どんな生徒を集め、どんな講師を集めるのか」
    ではないでしょうか。それを推察するために、16年前の希設立の話からでは少し遠いかも。
    その当時の設立メンバーは、あまり残っていません。関西の舵取りは違うメンバーです。
    もし1992さんが、現在の希学園の様子にくわしくて、今後の指導方針が推察できるなら教えてほしいです。
    どこの塾もそうですが、新しいエリアに進出したり(希においては、京都、関東とありましたね)、テキストの難度をかえたり、コースを再編したり…と保護者の側からすると、迷走とも思える展開を見せることがあります。
    そのときの塾側の説明は、納得しがたいものであることも確かです。単に利潤を追求するだけでも、利潤のある塾は余裕がうまれて、教える側にもゆとりができて、職場としていい環境が作り出せます。
    ですから、今回の回顧録が、16年前からの流れを説明したあと、これからの希学園を語るようなものになることを期待します。
     たとえば東大寺対策が今年から始まりましたが、これがどのぐらいのウェイトを占めるものなのか。2008年の入試で東大寺に落ちた生徒は、この話を聞いて心中おだやかではないでしょう。私が教えた子で、東大寺に落ちた子がいますが、その話を聞いて、「じゃあ、3年前からしろよ」とつぶやいていました。
     塾の内側を考えると、講師の確保やらなんやら我々ではうかがえない事情もあるでしょう。しかし、外側から見て、いちばん知りたいのは受験生への影響です。1992さんの話に水を差すようで申し訳ありませんが、ぜひ、そのような考察もお願いします。

  6. 【1276708】 投稿者: いらいらさんに同意  (ID:FGGPK/rbFGA) 投稿日時:2009年 05月 01日 23:18

    1992さんの書き込み、純粋に歴史物語(回顧録)として大変興味深く読ませていただいてるんですが。現在の希の体制云々は、別スレでOKです。この話の流れの続きをぜひお願いします!GW休暇中でいらっしゃいますか?

  7. 【1276787】 投稿者: 希のテキスト  (ID:3QIWVPMU0m2) 投稿日時:2009年 05月 02日 00:52

    は浜の受け売りだそうですが、
    ここ数年まったく改訂されてなく、かなり古い、というのは本当ですか?

    また、算数のテキストは浜が一番で、国語は日能研というのも事実なんでしょうか。

    テキストの内容や解答がかなり古い、というのが気になります。

  8. 【1276869】 投稿者: 1992  (ID:RNw6Iv.mvMo) 投稿日時:2009年 05月 02日 07:00

    もとより、過去の回顧は現在への回廊でもあります。
    希学園は教科的な象徴として前田-原田-山下(-浮世)の四人体制で、彼らが初期の希学園の看板となります。彼らの素描を通じて過去と現在の希が透けてみえます。まずは社会・・・
    さて社会科のほころび、とは・・・
    社会は浮世さんだけが移動しました・・・ と述べると実は嘘があります。このとき、もう一人の人物が社会科に移動しました。もともと、社会科の講師をしていたOさんで、この方もたいへん優秀な「昔の非常勤群」のお一人。一線をひかれた後、作成と模試のチェックに専念されていたのですが、前田さんの独立をきき、一通のお手紙を書かれました。是非、協力したいと・・・
    前田さんには、そのような魅力がありました。なぜか人が助けの手をさしのべる・・・ 社会科に限らず、1992年の半ば以降、さまざまな形で多くの人々が彼のもとに、徐々に集まりました。
    分裂の一瞬は劇的でしたが、その後の動きは多くの方が想像しておられる以上に地味な動きでした。
    ただ、残念なのはOさんは現場を長く離れておられていたので塾生や保護者は最初のうちは、授業の質よりも社会科の講師の数が足らないことに不満や不安を感じる保護者が多かったのです。
    初期の希の社会において、Oさんはもっと高く評価されるべき存在です。神戸女学院の社会に関する対策も万全で、初期の女子合格率の高さはOさんの社会の対策があったと考えるべきでしょう。
    浮世さんは、例の農家の準備室で、朝から晩まで一人でテキスト・さらには復習テストを作成しておられたと聞きます。教材の作成など、もともと原田さんが市販教材ではなくオリジナルを、という強い動きを進めていました。
    復習テストも入試問題のタイプ別に分けられ、「復習」しやすいようなテストにされました。原田・浮世の作成コンセプトは目に見える形の「差別」化です。
    現在でもこのときの教材が使用されている、というのは概ね事実でしょう。
    浮世さんは、希の社会の神様、とまで評された人ですが、そのような評価は希に入ってからのことで、浜時代は国語の講師としての顔のほうが大きかったのです。存在はきわめて地味です。たしかにアンケートの支持率は高く、優秀な講師に分類されていましたが、それは山下さんのサポートによって実現していたといえます。さらにもう一人、浮世さん自身が「この人がいなければ講師としてのわたしはいない」とまで言われ、浮世さんに講師としてのあり方を研修した黒田さんの存在も大きいのです。
    黒田さんは「昔の優秀な非常勤群」のお一人で、彼の授業は黒田さんの焼き写しでした。実質の師でしょう。その黒田さんも前田さんの路線と対立していたので、浮世さんは心底では前田さんの路線に反対していた反前田派の専任ではなかったのか、というのが分裂時の多くの人の感想でした。にもかかわらず、前田さんは希設立後、情報参謀として浮世さんを重用し、彼のもたらす情報をよく活用していたようです。前田さんの懐の深さゆえのことでしょうか。
    実際、希設立後も、希の路線の、そして希の方針の一つに浮世さんは頑に反対されていました。それは宿題プリントと社会科のベーシック化です。
    冒頭、浮世さんには失礼ですが( )をつけさせてもらいました。
    社会をやらせすぎると灘・甲陽の数は出ない、最小努力の最大効果で社会をさせる、ということに浮世さんはこだわり過ぎました。後年、浮世さんが退職された後、社会が一時ベーシック化されたところをみると、ベーシック化を反対していてそれを拒み続けていた話が事実であったと考えるべきでしょう。が、皮肉なことに、そのころから灘の数もふるわなくなった、ともいえるので浮世さんの社会の方針は灘受験者にとっては一面の正しさもあったのかもしれません。
    初期の段階で、浮世さんが作成に多くの時間を割かれ、すべてのクラスを回れなかったこと、もともと優秀なOさんの保護者の評価への時間差、初期に配当された社会科の非常勤の授業の稚拙さから、社会だけは浜学園で受講しようか、という動きが一部の塾生の中で生じました。
    前田さんはただちに動き、自らそういう塾生保護者に面談し、希を信じてがんばってほしい、われわれについてきてほしい、と説かれました。
    これは前田さん以外にはできぬ技でした。思えば、一人で色々なほころびをつくろい、しかも経営全体のゆくえをながめる、ということをされていたわけです。
    一方、国語です。山下さんも、浜時代は非常勤からの講師です。

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