今年入学した高1生が語る青春リアル
結局、地頭次第ということですよね?
中学受験を意識し出し、何の問題集がいいどこの塾がいいという情報が母親の間で飛び交いますが、結局のところ生まれ持った頭の出来がほとんどを決めますよね?
小1でも小2でも、たわいない話の途中で、何を話してるのか分からなくなっているような幼い子もいれば、ただ遊んでるだけでも理屈の通った考え方をしている子もいて、気付かれにくいだけで、その位の年齢でできの良さは決まっているような気がします。
親は良い問題集や綿密な学習計画を練り、勉強に繋がる良質の体験をさせに博物館などに連れていったりして、子供の能力を開発しようとしていますが、ないものはない、あるところにはある、の世界だということは明らかな気がするのですが。
お尋ねしたいのは、それでも大して利発ではないと周りからみても明らかなのに、受験に追い立てるのはなぜでしょうか?
>能力の違いや差を認めることからすべてが始まる
大げさな
たかだか小学生の受験ですよ
そんなたいそうなものではないですって。。。
中学受験程度で能力が決まるって^^
大学受験とは質も量も雲泥の差
大事なことは子供に勘違い(親も)させることなく、努力を続けることの
大切さを教えることですよ
これが分かっていないと悲劇ですね
少なくとも現代の首都圏では、中学受験偏差値と大学合格実績との間には
かなり強い相関関係があります。だからこそ、多くの子ども自身や保護者たち
は少しでも偏差値の高い中学を目指すのではないですか? 本音では。
もちろん、優秀な生徒が集まった学校ほど「面白い」というのもありますが。
高校受験なら、大学受験なら、「地頭」の呪縛から逃れられる?
幻想です。10代のどのあたりで思考力・理解力が大きく伸びるかの個人差は
あるにせよ、中学生にも高校生にも浪人生にも「地頭」問題はつきまといます。
高校受験と2年の浪人生活を伴った大学受験を経験してみてそう感じました。
自分自身は結果的にはかなり「偏差値の高い」学校に合格を頂きましたが、
同じように努力してもそうならなかった仲間は大勢いましたから。
地頭が関係することは、事実だとは思います。
しかし、地頭だけでは、中学受験も大学受験も乗り越えることはできません。
いくら地頭が良くても、やはりそれなりの準備や演習は必要だと思います。
努力する能力、持続する能力、精神的な強さ、そして正当な動機も必要です。
試験問題に関しては、塾は、学校ごとの試験問題を熟知し対策していますから、
普通の頭があれば、その問題をきちんと解いて、演習していけば、合格します。
只、広範囲、長期にわたりますし、その間、絶え間なく努力し続けなければなりませんし、
その間の成績の上下や友達関係に対しての精神的なタフさ、また試験にたしての精神的な強さも必要です。
地頭はあったほうが良いですが、合格するにはそれだけでは、駄目だと思います。
地頭というものが良く生まれてきても、幼児期から親が無理に間違った方向へ引っ張り続けた結果、子供の受験もその後も可哀想な結果になってしまうということもありますね。
親は良かれと思ってしたことでも子供の足を引っ張ることもあると、謙虚であること慎重であることも大切と思います。
>もって生まれたものは当然違いますよ。
>見た目から中身まで。
>同じ人間なんていやしない。
まったく同意します.
もって生まれたものの”違い”ですよね.
>脳みその働きがいい子が1時間で覚えることを
>働きがいまいちな子は5時間かけてやっと覚える。
>それなのに後者の親の一部はそれを認めることが出来ずに
>「頑張ればあなたも出来るのよ」とか
>「努力すれば報われる」などの言葉で
>無理矢理勉強をさせて苦しめているのです。
貴方も,子供を苦しめないために,地頭云々は有効だ,と仰りたいわけですか.
でも,親御さんに限り,この考えたかはアリかもしれないと,
ちょっと思うようになってます.
私も,子供との中受がどんなものだったかを,身をもって知っていますし.
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>生まれ持った能力に、「違い」も「差」もあるのは当然ですよね。
>生まれ持った能力に違いも差もないと子供に思わせておきたいならば、
>中学受験なんてさせない方がいいですよ。
生まれ持ったものに,「違い」があるのは当然です.
その後,能力に,「差」が生じるのも当リ前で,
私の子供も,嫌というほど思い知らされながら,中受を駆け抜けました.
地頭だけでも合格は可能だと思います。
ただし、地頭がいい=勉強しない、ではないんですよ。
私はおそらく皆さんが使う意味では地頭がよかった方だと思います。
街を歩いていて見る漢字、何気なく見上げた空の星々、部屋に置いてあった地球儀、夜家で見ていたニュース、そして漫画本まで、すべてINPUTされて行きました。意識してINPUTしたのではなく、自然に頭に入ってきた感じだったのです。
生きていること=勉強、だったのです。
そして、ある日突然中学受験に興味を持って、受験をしたいと親に言いました。
中学受験のことをよく知らなかった親は反対しました。
しかし、塾に行く必要はないから、問題集だけ買って欲しいと頼み込み、過去問を解きました。
あまりに簡単で、5年分を2日で終わらせましたが、ほとんど間違いはありませんでした。
それ以上の勉強をするにしても、同じ問題集を解いても仕方ないので、それで受験勉強は終了でした。
受験は成功で、入学後に担任から、全体の3位の成績だったことを教えてもらいました。
勉強しないで出来るようになったのではないのです。
毎日の生活がそのまま何かを私に教えてくれていたのです。
勉強なしで試験に合格する人などいません。
INPUTが無い限りOUTPUTもあり得ないのですから。
ただし、INPUTの方法はいくらでもあるのです。
机に向かうだけが勉強ではありません。遊びの中からでも、学べることはたくさんあります。
地頭がいい、というのは、おそらくそういうことなのでしょう。遊んでいても何かを身につけていくことができるのですから。
なお、私の学校での勉強法は、ノートを取らないことでした。
ノートを取ると、ノートに勉強がINPUTされてしまって、頭に残らないのです。
中学校、高校でもそのやり方を通しました。
黒板を見て、先生の目を凝視しているだけで、頭に次々とINPUTされていくのですが、ノートを取ろうとすると思考が中断されてダメでした。
視線を上下(遠近)に動かすと、集中力が途切れてしまうのです。
大学受験も、中学受験と同じやり方でした。
周囲からは勉強していないのにどうして?とよく言われましたが、それは認識が違います。
家に帰ってから勉強をしていないだけで、学校の授業中にはめまぐるしく頭脳を働かせていたのですから。
大学に行ってから、同じようなタイプの人間が結構いることを知りました。
皆、周囲からは「勉強していないのに出来る」と言われて来た人たちです。
でも、誰ひとり「自分は勉強をしていなかった」と言う人はいませんでしたよ。
INPUTの方法はそれぞれ違うのですが、INPUTすると即座にそれを自分のものに出来るという意味では、共通点が多かったと思います。




































