今年入学した高1生が語る青春リアル
結局、地頭次第ということですよね?
中学受験を意識し出し、何の問題集がいいどこの塾がいいという情報が母親の間で飛び交いますが、結局のところ生まれ持った頭の出来がほとんどを決めますよね?
小1でも小2でも、たわいない話の途中で、何を話してるのか分からなくなっているような幼い子もいれば、ただ遊んでるだけでも理屈の通った考え方をしている子もいて、気付かれにくいだけで、その位の年齢でできの良さは決まっているような気がします。
親は良い問題集や綿密な学習計画を練り、勉強に繋がる良質の体験をさせに博物館などに連れていったりして、子供の能力を開発しようとしていますが、ないものはない、あるところにはある、の世界だということは明らかな気がするのですが。
お尋ねしたいのは、それでも大して利発ではないと周りからみても明らかなのに、受験に追い立てるのはなぜでしょうか?
<だから、有名小学校の受験で遊ばせて行動観察をする学校があるのです。
<初めて見る子どもでも、集団の中で自由に遊んでいる姿を30分も観察していれば超優秀児はわ<かりますし、その集団の中での能力的な順位もつけられます。
<余程、成長過程で生活面で問題が発生しなければ、ほぼその通りの高低差で高校など進学してい<きます。
有名小学校に、お世辞にも優秀とは思えないお子さんがいるのはなぜですか?
スレ主です。
皆様短い時間にありがとうございます。
親心さんの幼児教育の話、私も同感です。
地頭というと、遺伝か環境かとか定義自体も解釈の仕方によって幅があると思うのですが、私の思う地頭が良いという意味はそのまんま、
「産まれもったその子の頭の良さ。脳の機能の良さ。」です。
遺伝もあるかもしれませんし関係ないかもしれません。
どちらの場合でも結果はその子のもつ頭の良さです。
環境ももちろん人間の成長には大きな影響を与えることは明らかです。
朗らかな性格や人に対する優しさ、愛情に包まれて育つ子とそうではなかった子の人間性、性格はもちろん大きな違いがあると思います。
ただ、どんなに愛情溢れる環境で、適切な学びを得る生活を送っても、地頭がよくなるわけではないと思います。
持てる力を限りなく発揮するという意味では、そのような環境であれば優秀なお子様である場合が多いと思いますが。
先日行われた四谷大塚主宰の統一テスト。
4、5年生辺りは、受験勉強をしてるか否かのテクニックでの分布になると思います。
しかし2年生はどうでしょう。
まだテクニックはそんなに身に付けていないこの時期にあれだけの量と内容の問題をやりこなす子供がいる訳です。(算数)
これから何の問題集をやらせようか、どこの塾にいこうかと思案している普通の子(もしくは親からみたらちょっと優秀な子)がその子たちに追い付けると思いますか?
彼らは大して勉強しなくともこれまでの7、8年の人生で身に付けた知識であれが解けるのです。
まだ塾にもいってないのかもしれません。
易々と解けているのです。
少しでも良い環境を、と思う親心は理解できますし、素晴らしいことだと思います。
ただ、地頭が良いわけではないのに、うちの子なら努力すれば難関校にいけると思って追い立てていると、子供は地頭いい子との埋めようがない差を、自分の努力が足りないといらない絶望感を味わうことになるのではないでしょうか。
たくさんの子供たちを見てきて、一番気持ちが重くなるのがそのように親にこの子は賢いと思われている普通の子です。
全力で頑張れば御三家(難関校)にというレベルで、親も一番前のめりになりがちな層。
塾ではトップのクラスなので当然賢い子の親だという自信もある。
わかっているのは子供の方。
普通に成長し世の中にでても充分に優秀でいられるのに。
無理してトップを目指さなくても。
疑問さんのおっしゃる通りです。
親心さんの書かれた幼児の行動を観察して云々は、EQの話です。
スレ主さんは、心の指数ではなく、頭の指数の話をおっしゃってるので、疑問さんの書かれたように、心の指数が低くても頭の指数が高ければ、有名小学校にはいれてしまうという事でしょう。それが地頭の話に繋がります。
続きです。
有名小学校≠一流小学校です。
名前だけは有名だけど、〇大学付属の三流小学校などもあります。
親が金持ちや熱心なだけで地頭の良くない子供は、幼児のうちから特訓塾にかよい、親が付属などにムリヤリ押し込むのです。芸能人の子供に多いそうです。
そういうのは地頭とは真逆です。だから有名小学校は返って地頭のいい子供は行かないです。
本当に地頭のいい子供は、公立の小学校中学校高校から、現役で一流国立大学に入学します。
これが地頭のいい子供でしょう。
私には知り合いに幼児教育の専門家も一流進学塾の講師もいますが、このように言っていました。
四谷大塚のテストの話から推察するに、低学年の親御さんでしょうか。
スレ主さんの言われる
・地頭のよい子
・親にこの子は賢いと思われている普通の子
仮に2種類あるとして、後者は決して前者を追い抜けない、ということですか。
人生長いですし、「努力にまさる天才なし」という言葉もあります。
わが子はそろそろ高学年に入る年齢ですが、幼少期華々しい活躍を
見せてきた神童たちに負けじと、コツコツ努力して這い上がろうとする
子どもたちが少しずつ頭角を現してきています。(勉強面だけでなく
おけいこ事でも…)逆に早いうちから活躍してきた子たちの中には、少しずつ
モチベーション下がってきているケースもあります。
地頭がないのだから、努力しても無駄なのに
という風にもとれる書かれ方ですが、決してそうとはいえないと思いますよ。
ただ親としてはがむしゃらにトップを目指せ、というのはなく、
あきらめずに一歩ずつ頑張ろう、という姿勢を持たせる育て方であって
ほしいという点では賛成です。
地頭、地頭、って拡大解釈しすぎでしょ(笑)
スポーツの世界でも似たような存在はいる。
そう、「天才」と呼ばれる存在だ。
でも天才はそんなにゴロゴロいない。(笑)
ちょっと勉強ができるだけで、まして四谷大塚の問題が解けるだけで「地頭」だなんて大袈裟にもほどがある。(呆)
そう、運動神経が良い、というのと同程度のレベルでしかない。そして運動神経云々というのは大抵幼少時の遊び方(すなわち努力の積み重ねと言ってよい。)により運動に慣れがあるかどうか?の差でしかない。
専門的なスクール(水泳でもバスケでも)に通わせて努力すればあっという間にひっくり返る差でしかないのが事実である。
地頭が良い等とのたまう親は、せめて子供が「東大理Ⅲ」に現役で受かり、首席で卒業してから言って欲しいものだ。(笑)
それでさえ、大部分の人は努力の人であって「天才」などではないだろう。
ははは
地頭はもちろん成績に影響しますますよ。
ただし、成績に影響する複数の要素のうちのひとつに過ぎません。
そこそこ大きな比重を占める要素であることは間違いないですが
とはいえ、スレタイのように
『地頭次第で、ほぼ全て決まってしまう』
ということは私はないと思っています。
>「産まれもったその子の頭の良さ。脳の機能の良さ。」です。
>遺伝もあるかもしれませんし関係ないかもしれません。
>どちらの場合でも結果はその子のもつ頭の良さです。
特に、スレ主さんが一番誤解されてると感じるのは、ここです。
「脳の機能の良さ」で「頭の良さ」や「成績の良さ」は決まりません。
脳の機能は良いのに、それをうまく引き出すことができない子(人)も多く
その逆もまたしかりです。
例え生まれ持った頭の良さがあって、その時点で優秀でも
それを鍛えなければ、先にいった(成長した時点で)他の子に負けるのは明白ですよね。
頭の良い子・成績の良い子というのは、
『今、何をなすべきかを知ることができ、それを実行できる子』です。
もちろん、これだけで全て決まるわけではありませんが
でも、地頭の良さなんかより、よっぽどこっち方が比重が大きいですよ。
とりあえず、子を持つ親としては、このスレのような心理に陥ってはいけませんね。
(スレ主さんは、ひょっとして塾の関係者のほう? という可能性もありますが……)
地頭の悪い子は、ずっと学力では敵わないのか?
私は、そうは思いませんね。
あと、四谷の統一テストって『全国統一小学生テスト』のことですか?
もしそうなら、あんなのは「集客目的の入塾テスト」ですよ。
既に通塾してる子なら、確認テストレベルです。
(傾向変わってなければの話ですが)
最後に、スレ主さんにこの言葉を贈ります。
(メモしたものに、今アクセスできないのでところどころ間違ってると思いますが……)
『天才とは、優れたアイディアを思いつく人のことではなく、アイディアを実行に移し、それを完遂することのできる人のことを指す』
このあと、実際の人物を評して
「実際、彼のアイディアは奇抜なものではなく、むしろ誰でも思いつきそうなありふれたアイディアが多かった。でも、それを実現させるために傾ける情熱は……(彼こそ天才という名に相応しい)」
みたいな、言葉が続いたと思うのですが
似たような言葉で、有名なフレーズがありますね。
『天才は1%のひらめきと99%の汗』トーマス・エジソン
地頭の良さなんて、「優れたアイディア」「1%のひらめき」の部分じゃないですか。




































