在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
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久しぶりに朝まで生テレビ!
橋下大阪市長が出てました。
5分ぐらい見て寝ようと思ったんですけど・・・。
なぜ橋下市長の構想に反対できるのかが、非常に不思議になっちゃいました。
今現在も見続けてますが・・・、ひとつの結論が見えました。
アレルギーなんですね。
橋下さんがいくら「タラバガニはおいしいよ」と言っても蟹アレルギーの人には
受け入れられないんでしょうね。
と、、、これを書いているうちに、、、
「君が代」の話になりました。
えーーー大阪の教育って・・・これが現実?
法令条例に反する教員を見逃せって・・・。
がんばれ!橋下市長。
>5、60代教師に多かったようです。
世代的ななにか?もあるのかも知れませんね。
そうかもしれませんね。
君が代日の丸に対して思う気持ちは、人それぞれでいいのです。
ただし、他人に自分の思想を押し付けない、礼儀はわきまえた方がいい。
教師達の、場の雰囲気を尊重しない態度もいただけない。
これから卒業式を行う学校は、まだあるのでしょうか?
いずれにしても、気持ちの良い、いい式になりますように。
ふうです。
すみません、あなたの書き込み読めていませんでした。
CAのどちらにお住まいでした?
サンフラン、サンノゼ、トーランス、アーバイン? 私も住んでいたことがあるので。
あなたのおっしゃっていることは、日本人にとっては不思議な出来事でも宗教に密接に生活をしている
外国に人たちにとっては普通のことだと思いますよ。
日本人同士で『神や仏を信じない』と言う人を見ても、何の違和感を感じないと思います。
しかし、外国では『変な人・・・』『信用できない人』と言う評価をされると思います。
もちろん本心は分かりません。
でも成長するにつれ、そういった発言をすることが、無神経であると知るのに、そう時間はかからない
と思います。
「国歌」という日本語を英語でなんというのでしょうか、考えてみてください。
キリスト教徒が聖書をないがしろにしたり、イスラム教徒がコーランをないがしろにしたりして許容されるとは考えにくいです。
同じように国民でありながら、国歌を否定することがどういう意味なのかを考えてみてください。。
許容するしないの前に、だったらなぜあなたは『アメリカ人でいるの?』と不思議に思われると
思います。
国民として心のよりどころである『国歌』を教師が職務中に『これは国歌とは思わない』と平然と言ってのける
その精神構造が理解できないというわけです。
キリスト教徒でありながら、しかも教師でありながら『これは聖歌とは思わない』と勝手に教えるのを拒否しているのと同じです。
さらに『起立しましょう』というルールをあえて破る行為をしてまで拒否をするという悪質な行為は
公務員ましてや教師として許されるはずがありません。
鹿さんが、国歌をクチパクしたからといってもそんなに問題ではありません。
勝手に「国歌」決め付けるなといわれると心外ですので一応お伺いしますが、二俣川さん、君が代は国歌ですよね?
>会社員と教師とは始めから置かれている法的立場がちがう。会社員は業務命令に従う義務を負うが、
>教師には一定範囲の教授の自由が判例で認められている。個々の児童生徒に応じた創造性が必要な教育の現場と
>利益追求のために会社全体の統一性が求められる一般企業とを混同すべきではない。
>こういう不勉強な人による教師ワガガマ論が議論を混乱させているようだ。
大学のような高度に学術的な現場における教授の自由と義務教育に当たる小学校や中学校の教育における
教師の役割を混同すべきではない。
こういう通りすがりの不勉強な人が議論を混乱させているようだ。
と思います(笑)
条例で決まっているから、とりあえず起立して歌うわ…。
こういう教師の態度から、子供は何を学ぶのでしょうか?
子供ってそんなに愚かな段階でしょうか?
スペイン語の名前のついたカリフォルニアのど田舎の小学校で、歴史の授業中、先生がわざわざ『神様を信じる人』『神様を信じない人』と児童に手をあげさせたのはなぜだと思いますか?
日本人の女の子がいる。この世界にはなんのためらいもなく『神様を信じない』と言って手をあげる人間がいることを、教えるチャンスだ。と先生が思い、それを逃さなかったからでしょう。
条例が出来たから、思想信条はおいといて、すぐに従うぜという人間の姿を見せることが教育的とは私には思えません。
国歌を歌うときに、ためらう人がいる。
あ、日本もいろいろあるんだ、何も考えないで生きてきたけど、ちょっと歴史の勉強でもしてみよう…。
そんな春休みでも全然いいと思いますけどね…。
私が個人的に思う教育的というのはこういうことです。
いや、寝言なんで、失礼しました…。
鹿さん
教育の幅を持たせる意味で、良い題材にされてしまいましたね。
私は障碍者などについて学んだり、自分と違う考え方を持つ人間を排除したりする発達段階における
子供の教育の仕方について色々な手法があろうとは推察できます。
信念に基づき、ルールを守らないこともある。
実際テロリストや宗教団体が起こす犯罪をすべて体制側の論理で悪と決め付けることも危険かもしれません。
でも、今回の話はそういった教育効果を狙ったものなのでしょうか?
人生のうちで、国旗や国歌を厳かに感じる機会は数回しかないはずです。
大多数の子供たちのそういった貴重な機会を、数人の先生の考えで台無しにしてしまうことを考えてみてはいかがでしょうか?
私は子供たちに「国歌や国旗」の問題を語るなとは思っていません。
先生自体が疑問に思うことを、うたうことに戸惑いを感じている人の話をしても良いと思います。
でも、卒業式に子供に起立させないようにしたりするのはやりすぎですし、ルールを守る大切さを
教えることも重要だと思うのです。
あまりにもルールを守らない(大阪の現状ですが)地域では、先ずは規範の遵守を子供たちに教えてほしいと思うのは
決して親のエゴではありません。
親のエゴだなんて思いませんよ。
ルールを教えたい、規範の遵守を教えたい。親でない人でも幼い素直なひとをみれば誰でもおもうことです。
でも順番が逆ではないですか?
綺麗に剪定された庭に、踏み込んでお菓子を食べ散らかす人は少ないでしょう。
まずは思わず礼節を重んじてしまう環境を作ることが先なのではないですか?
確かに、子供を起立させない先生がいるならそれはやりすぎです。
しかし、こうまでなった時間と同じ時間をかけないと、物事はよくならないと思うのです。
思わず礼節を守るような環境を作れなんて気の遠くなるような時間のかかることをいうな!
と怒られそうですが…。付け焼き刃に砂の城みたいなものを作って、何度もやり直すよりも、三世代かかってもいいから、まず自分のまわりからコツコツ環境を良くしていくと腹をくくる方が逆に早いんじゃないかな、と思うのです。
綺麗に剪定された庭だってふみちらかしちゃうんだ、こんな環境で育てたら、というなら、まずは美しいものをみせることからはじめればよいのです。
京都も奈良も近いではありませんか。美しいものが沢山、あります。
美しいが分かる為には教養も必要…。
することは沢山あります。卒業式に厳かになる機会を奪われたって、厳かを知る機会は真剣に生きていたらきっとあります。
条例を守らない先生を探している時間はないのではないですか?
私には、この条例が『とりあえず支持者が何かやった気になるために置いてあるめくらまし装置』にしか見えなくて。なんとなくそれも人をバカにしているみたいで腹が立つんですよね。
>綺麗に剪定された庭に、踏み込んでお菓子を食べ散らかす人は少ないでしょう。
>まずは思わず礼節を重んじてしまう環境を作ることが先なのではないですか?
まさにそのとおりです。
その場が義務教育における式典だと考えてください。
オリンピックで言えば表彰式です。
サッカーで言えば、キックオフ前のセレモニー(入場からの流れ)です。
そういった場であえてその式次第を乱し、「国旗」「国歌」を軽んじると言う思想をむき出しにすることが
問題だといっているのです。
卒業式の機会を奪われたからといって・・・といいますが、なぜあえて奪わないといけないのでしょうか?
卒業式なんかしなくたって、という話しになって行きますよね。
もちろん、そういう考えもありますが、卒業式はあった方が良いですね。
あえて、一人や二人の先生の過激な行動を認めて、多くの子供たちや保護者が嫌な思いをすることは無いと思います。
鹿さん
「文科省から、掛け算教えろって言われているから、教えるわー」なんて先生がいないように、
子供にこの式典で何を教え、学ばせるべきかを考えている先生がほとんどだと思います。
ですから
あからさまに
「条例で決まっているから、とりあえず起立して歌うわ…。」などと子供にも分かる態度で式典に出る先生がいるとは思えません。
先から言っている偏った思想の先生でもない限り。
時間をかけて解決することはやぶさかではありません、先の市長のように教育委員会任せにして、実際は起立をしていないのに
100%していますとウソの報告を鵜呑みにして放置してきたことに比べれば、今回の改革で少しでも前進してもらえれば
いいと考えています。




































