女子美の中高大連携授業
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修身と道徳
修身とは、戦前の小学校で教えられていた、今の「道徳」にあたる科目です。
そして、下記は教育方針を明記した教育勅語の12徳目 です。
SS様、あなたは特に読まなければいけませんね。
親に孝養をつくそう(孝行)
兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
自分の言動をつつしもう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)
人格の向上につとめよう(徳器成就)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
国難に際しては国のため力を尽くそう、それが国運を永らえる途(義勇)
来年の卒業式にむけて、SSさまの目に留まるように時々スレを上げときますね。
>ず~っと自衛隊はありますよね、なぜでしょう? 違憲なら最高裁が認めないんじゃないの? 文面読むと違憲なのに現実にはある。 これいかに?
簡単なこと。
最高裁に判断を回避する傾向みられたゆえ。
高度に政治性ある問題ゆえ、三権分立を前提に国民の代表で構成される国会の判断をとりあえず尊重するとの意味。
しかし、違憲審査権が司法にある以上、場合によっては上述の案件でも果断に意思表示する可能性は高い。
昨日の参院公聴会でも、与党推薦の若い研究者による戦争法案施行後でも司法は違憲判断を下さないだろう、との発言に対し、
野党推薦の濱田・元最高裁判事は戦争法案を違憲と断言、また与党推薦者の見通しの甘さを厳しく指摘(違憲判断の可能性あり)していた。
なお、「昭和47年10月14日の参議院決算委員会に提出した政府見解(A)」ならびに「平成16年6月18日付政府答弁書(B)」にて、
いずれも政府は憲法9条は個別的自衛権に限るとし、自衛のための措置は必要最小限度でのみ容認されると明言している。
故に、その限りで自衛隊の設置・存続がありうるとする。
なお、上述両者では、集団的自衛権を認めていないことにも留意されたい(以下参照)。
(A)「他国に加えられる武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと言わざるを得ない。」
(B)「集団的自衛権とは、(中略)政府としてはその行使は憲法上許されないと解してきたところである。」
この長年に亘る慣習法を昨年7月の閣議で乱暴にちゃぶ台返ししてしまったのがアベ政権である。
二俣川さん、
論点がこんがらがって困惑しています。
まず、
>あなたが一転して私の意見に同意なさったことで、私の主張が妥当であることが証明されたものと考える。
と仰られても、私は最初から「20代の労働者の低生産性」については言及しておりませんので、「一転」したわけではなく自明としていました。
念のため、最初のレスを再掲します。
投稿者:紙つぶて (ID:g4H0TQZO95s)
投稿日時:15年 09月 15日 12:31
二俣川さん、
>日本特有の存在である企業別組合の利点も承知しつつ、労使癒着のその在り方を私は批判している(今日は、水俣病元凶の組合について)。
労働組合についての知識はほとんどありませんが一言。
日本の組合はその構造上、緩い団結力となり労使の馴れ合い闘争、つまり労使癒着型です。しかし、たとえ組合が労使闘争が激しい性格を帯び、アメリカのような政党癒着型の組合に変化したとしても、現在の労働参加率の低下に歯止めとなる働きができるのかと言えば甚だ懐疑的です。
ここで云う「労働参加率」とは、ご承知のように、派遣雇用ではない、中~高賃金での安定した雇用を意味します。
この「労働参加率」の低下(換言すれば派遣雇用の増加)は労働市場における構造的変化にあると思います。現在の企業成長率ではせいぜい労働人口の増加分にあたる新規雇用しか生み出せません。少子高齢の人口組成では、老齢年金の受給年齢の65歳引き上げもやむ無しですが、それにより、企業は定年年齢を延ばし60歳以降も社員を嘱託雇用し、年金受給期間まで繋ぎ的に給与を支給する努力もしています。
>「希望」退職募集の次に来るものは、強引な退職勧奨だ。
それすら拒否すれば、閑職への左遷が待っている。
景気後退や業績不振の折に触れ、企業は中技能の中賃金の従業員の雇用を調整弁としているとの非難を耳にします(是非はさておき)。
しかし、経済学者の分析では、企業利益の回復後も企業はカットした従業員を呼び戻すことはありません。なぜなら、それらの従業員は賃金に見合う働き手ではない、経済生産性が低い従業員だからです。高い給与を取る従業員が抜けても企業の生産性は低下しないのであれば、企業にとっては彼らは「給料泥棒」ということです。(ここでも是非は問いません)
企業戦略と企業倫理の葛藤も生まれるところでしょうが、もはや終身雇用の概念は崩れたのは事実です。正規雇用と派遣雇用の不公平な賃金処遇は改善されるべきです。しかし、企業経営を考えれば、労働者の賃金とその生産性の関係にも光を当てるべきだと思います。自由経済下にある資本主義の残酷な側面でもあるので、
>これが、アベノミクスの現実である。
と、全てを安倍さんのせいにするのも理不尽だと思います。
(掲載終り)
この私のレスに対して、二俣川さんから以下のレスがありました。
>【3849969】 投稿者: 紙つぶて(ID:g4H0TQZO95s)投稿日時:15年 09月 15日 12:31
たとえ内容的に誤っていても、真面目なご意見は歓迎だ。
(再掲終り)
そこで、私が以下のように
投稿者:紙つぶて (ID:ItSEkgZcaKY)
投稿日時:15年 09月 15日 15:49
二俣川さん、
>たとえ内容的に誤っていても、真面目なご意見は歓迎だ。 (二俣川さん)
>どの辺りが誤っているのか示していただけませんか? (紙つぶて)
と、お聞きしたのですが。
でも、せっかくなのでレスを続けます。
>私は50代以降に到来する職務能力停滞期における労働生産性と人件費とのアンバランスを前提に、使用者は働き盛りの中堅期に労働者から「預かった利益」を賃金や退職金の形で前述中高年期に払い戻す。
これが終身雇用や年功制といった日本的雇用慣行の姿であったと主張した
終身雇用や年功序列の雇用形態も高度経済成長期には無理がかからなかったシステムであったと思います。クラウドソーシング活用、また「失われた20年」といった企業成長率の鈍化による企業の雇用マインドが労働市場に変化をもたらしているのです。
ですから、戦後日本を現す相対的序列主義的な終身雇用、年功序列といった日本型雇用制を余裕のなくなった企業に求め続けることは難しいと考えます。
>また、終身雇用を前提にしなければ、使用者は即戦力重視の採用にならざるを得なくなる。その結果、職務能力の未熟な20代の若者はいっそう就職難となり、低額の賃金しか支給されない。労働生産性が低いからだ(同意されたはず)。
どうでしょうか。IT 関連企業やベンチャー企業、であれば必ずしも20代の労働生産性が低いわけではありませんから、従業員の活性化の気質はあるでしょう。また、「使用者は即戦力重視の採用にならざるを得なくなる。」というよりむしろ積極的にそうする可能もあると思います。企業にとり雇用は投資ですから、半端な日本人大学生より優秀な若い外国人(中国人やインド人など)を採用するかも知れません。
しかし、それ以上に新卒一括採用制が景気の影響の直撃を受けてしまう事の方が深刻な問題です。この意味では学生は運に翻弄されるのですから。
ただですね、生まれてから死ぬまで「人生の苛烈なイス取りゲーム」をすることに対する疲弊感は拭えませんね 笑
それは日本が共和制になろうとも、企業が官営になろうとも変わらない人たるものの宿痾なのだと思いますが。
>自由様をロンパ出来ないからってここで発散して噛み付くのは御遠慮いただきたいですねえ。
私は完全論破した。彼は逃げ回り、ついにはHNを捨てた。キミにはそれがわからなかったということかな?笑
キミは何か自分だけは特別なことを書いているかのようだが、やってることはキミが批判していることと同じ穴の狢。笑
愉快愉快。笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑笑
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安保法制も今夕には質疑打ち切り、採決の運びとなりそうだ。いつもは銀座方面に飲みに行くにも国会通りを通って内幸町から新幸橋までタクシーを利用するのだが、昨日は桜田通りから晴海通りのルートで国会前を通ってみた。
さて、「祭り」である。国会周辺では昨晩も大勢の人々が口々に「強行採決、やめろ」とか「戦争法案、反対」などと叫んでいた。老若男女入り混じりといった様相だが、印象としては高齢男性が多いようであった。「50にして天命を知り、60にして耳順(したが)う」か、、いや、あえて言うが「老人よ、大いに語れ」である。
小林秀雄は荻生徂徠を評して、その思想の一貫した定義は「聖人」の在り方であると説く。
徂徠は、孔子の思想は「先王の道」を説くことだが、もうひとつ大事なことは、その人がそのような使命感を自覚しているということを、歴史が証していることであるとした。小林はこれを受け、「天命を知る」の本来的な意味を徂徠が、「孔子が『先王の道』を説くことこそ、その悟りである」としたことを熟考すべきであるという(「全集第12巻」、新潮社)。
小林の言わんとすることは、己の限界を感じたら既に歩んできた道を否定せず、やるべき使命を自覚せよ、ということではないか。ただその使命が「変わらぬもの」に向かうか、「変えられるもの」に向かうかは、その人次第ということであろう。例え「変わらぬもの」に向かったとしても、これを単なる敗北主義と捉えることは、もちろん適当ではない。次なるステップを期することができるからだ。
一方、「天命を知る」には未だ多大な時間を有する若者はどうだろう、、シールズ等の学生(浪人生もいるようだが)の「活躍」がメディアを埋めているが、就活の人物評価にまで話が及んでは、彼らにとって「余計なお世話」といったところであろう。だが敢て言う、君たちの使命感こそ「変えられるもの」に向かうべきである、と。その為の方法論を熟考せよ、と。官僚を志すもよし、政策秘書の資格を得るべく司試、あるいは公認会計士を目指すもよし。なぜ内側から変えようとは思わないのか? わたしが人事面接官であれば、まずこれを問うだろう。
ブームの「進撃の巨人」を引用する。この国の塀というシステムの内側で何を叫ぼうが、「変わらぬもの」は変わらない。塀の外側に身を置いてこれを打ち壊すことがもっとも有効な手段である。
飲み歩いている塀の内側の人間として、彼らにささやかな期待を感じた晩でもあった。
冷静に考えるとさん、
>わたしが人事面接官であれば、まずこれを問うだろう。
そうなんですよ、エルヴィン団長。
息子も面接官の洗礼を受けました。
「で、○○君はうちで何がしたいのかな?」
「うちの会社を発展させるための斬新なアイデアを持っていますか?」とか問われたようです。
社会への扉は重かったと、いうところです。




































