アートの才能を伸ばす女子教育
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修身と道徳
修身とは、戦前の小学校で教えられていた、今の「道徳」にあたる科目です。
そして、下記は教育方針を明記した教育勅語の12徳目 です。
SS様、あなたは特に読まなければいけませんね。
親に孝養をつくそう(孝行)
兄弟・姉妹は仲良くしよう(友愛)
夫婦はいつも仲むつまじくしよう(夫婦の和)
友だちはお互いに信じあって付き合おう(朋友の信)
自分の言動をつつしもう(謙遜)
広く全ての人に愛の手をさしのべよう(博愛)
勉学に励み職業を身につけよう(修業習学)
知識を養い才能を伸ばそう(知能啓発)
人格の向上につとめよう(徳器成就)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励もう(公益世務)
法律や規則を守り社会の秩序に従おう(遵法)
国難に際しては国のため力を尽くそう、それが国運を永らえる途(義勇)
来年の卒業式にむけて、SSさまの目に留まるように時々スレを上げときますね。
人間は本来自由だ。この国の理念も基本的にはそれに則っている。
では対立概念としての義務や拘束とは何か?それは人と人の自由がぶつかり合うときに、予め衝突を回避するための千疋である。
教育上、これを知るアプローチは二つあるが、ここに争いがある。
まず一つ。親や教員、人生の先輩が解法を教えこむことだ。非常に効率がよいが「躾」と称して押し付けがましい。紙つぶて君やひまわり君のように自由の概念を永久に理解しえないかもしれない危険がある。
もう一つは、自由や権利が他人とぶつかるまで経験させることだ。それによって結局はある程度の自由を得るためには、多少の抑制という支払をしなければならないことを「自ら」知ることになる。
回りに迷惑をかけ、親は後始末に大変になるがこれが親ではないのか?
子供は未熟であり間違ってよい。教育過程にあっては体験し、自ら知ることである。
しかし、中には取り返しのつかない事件に発展する場合がある。
いくらなんでも自分や人の命を危険にする教育はなかろう?親や教員の出番である。
人は衝突経験が豊富なほど丸くなるかも知れない。口うるさいおばさんは見守ることが出来ない。
常に先回りしてトラブル回避に躍起だ。一生懸命になればなるほど、何も体得しない人間が大量生産されることになる。
見かけ上、ルールや拘束、道徳の理解はどちらのアプローチを経てもたどり着くから厄介なのだ。
わかったかね?ひまわり君と有識者の紙つぶて君。
笑
>一日中パソコンに張り付くしかやることない人が何を仰っても説得力ありません。
こうやって自分と異なる考えを持つ人の言うことを全く受け付けないような態度をとってしまうことは「修身」の教えに沿うことなのでしょうか?
世の中には自分と違う考えを持つ人など五万といます。
色々な人を見て、様々な考えに接しながら自己を創造していくことが子どもにとって大切なことなのだと私は思っています。
人の意見に耳を傾けることのできない人は、人の気持ちを汲むことも、人を思いやることもできないでしょうから。
人の意見を受け入れられない人が「私はちゃんと相手のことを思っている」とか「それが相手にとって良いことだと考えている」などと言っても、それは自己満足の世界でしかないですから。
甚六さん(SSさん)は別として、波平さん(お陀仏さん)は、けしかけるような言い方をしていますが、案外本質を突いたことも言ってますよ。
毛嫌いせずに耳を傾けてみてはいかがでしょう?
人の意見を受け入れることは、決して議論に負けることでも自分の考えが間違っているこを認めることでもないのですから。
大きなお世話ですみません。
ふふ・・・さん、
ご意見ありがとうございます。
違う意見の人に耳を傾ける、傾けないの問題ではなく、礼儀の問題なのです。たとえ相手の顔が見えないネットであれ、礼儀に欠く文を書けば、相手には何も伝わらないのではないですか?
相手が変わることを求めない、心を開いてもらうだけ、これが人の言葉のやりとりだと私は思っています。とは言え、煩悩にまみれた俗世の身ではなかなか到達できませんが。
会話でも文章でも相手に聞く耳を持たせる、相手に心を開かせることが大切です。でなければ一方通行の念仏になってしまいます。
また、人の意見を受け入れることと、聞く耳をもつことは別物だと思っています。和を尊びながら、頭は二項対立で思考を組み立てることで自分なりに取捨選択の判断をしています。
因みに仏教の八正道のうち、正語、正思惟、正見、これら道はとてつもなく遠いですね。気持ちがざらざらする度に思い起こすことになります。思い起こさねばならないのは、心に染み付いてないからなのでしょう。
横道に逸れましたが、
聞き耳はあることをお伝えしたかったまでです。































