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【1935496】戦時中、天皇=現人神 と信じて戦った?

投稿者: 戦後の世代   (ID:BRMZDcElvBE) 投稿日時:2010年 11月 28日 18:45

米国人に以下の質問をされました。

第二次世界大戦終了時、マッカーサーが「天皇は神でなくあら人神である、ということを日本国民に告げた。よって日本国民は洗脳を解かれ戦争を終結することができた、と習った。つまり、戦時中日本人は純粋に「天皇=神」を信じ、その為に戦っていたのだろう。「国のために」「愛する人の為に」戦った他国とは異なる恐ろしい宗教観である。
・・・と彼は理解していたそうです。


当時、小学生だった親戚に聞いたところ天皇が現人神でないことは誰しも解っていた。国民の士気を高めるため、心を纏めるためのスローガンであったし、神の様に尊い存在であったことは間違いない。キリストを信仰するように本気で天皇を信仰の対象としていた人はいない。そんなことは解っていたが本当のことは口に出せない時代だったので表面化されなかっただけである。

日本人も他国の兵士のように「国の為に」「家族や愛する人の為に」に戦ったのであって本気で天皇の為に戦った人はいないのではないか。と説明されました。

戦時中、大人世代だった人達は私の身近では他界しています。皆さんはどう理解されてますか?何か参考になることがあれば教えて下さい。

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  1. 【1937444】 投稿者: そうですね  (ID:5rWr2nUzUsc) 投稿日時:2010年 11月 30日 15:30

    ネコ2世様

    >>実際に無くなるとき、多くの兵士が天皇陛下万歳と叫び亡くなったとされています。

    >なんて伝聞を断定するように書いてるからどうして分かるの?

    これは失礼しました。
    断定するような書き方はよろしくないですね。
    「多くの兵士が天皇陛下万歳と叫び亡くなったと聞いています」
    に訂正してお詫びします。

  2. 【1939455】 投稿者: 戦後の世代  (ID:BRMZDcElvBE) 投稿日時:2010年 12月 02日 11:24

    うーむ様

    <1.事実(天皇教信者の否定)と誤認(天皇教=テロ)はな<ぜ起こったか?



    <「日本人は天皇のためなら自爆攻撃もいとわないから怖い」<という欧米での評価
    <特攻攻撃(自爆攻撃)という「パンドラの箱」を開けてしま<った歴史的な責任
    <「あ・の・ヒトラーでさえ、特攻のような非人間的な攻撃を<自国の大学生にさせなかった」
    <結末の設定のない戦争続行を目的化した戦争」という状況の<中で、一度、進みだすと誰も文句が言えなかった。
    <「精神だけでアメリカに勝てる」という東条内閣の連呼の中<で、大人たちが大学生を自爆に追い込んでいったんです。


    「あのヒトラーでさえ」と言わしめるほど外国人には理解不能だったのでしょう。結末の設定を儲けずに戦争を続行した、つまり負けると解っていながら誰も「止めよう」と言えなかった。陸軍は海軍が諦めるなら止めるといい、海軍は陸軍が諦めるなら止めると「言い出す」ことの責任を押しつけあった。 そこまでして守りたかったものは何か?

    「負けるから戦争を止めよう」と言えなかったのは言霊(言ったことが本当になってしまう)という非合理的な発想であり、また日露戦争以来の犠牲者、英霊達を思うと言え出せなかったのは「和」の文化がもたらす非合理的な側面である。 日本人は外圧で変化せざるを得ない状況にならない限りと自分達では変わることができない"非合理的な側面”を多く持つ国民ではないでしょうか。

    歴史的に見ても同じ事を繰り返しています。黒船が来ても尚、幕府の中からは「変革」を言い出せなかったので外国勢力の武装によって倒されてしまった。大戦も原爆が落とされなければ誰も「止める」と言い出せなかったのでしょう。他国のように日本では日本史の中で自分たちの歴史や思考、行動パターンをきちんと学び、分析する授業を受けていないのです。個人的なことだけでなく政治家もそうですから 国家レベルの同じ過ちをこれからも繰り返すのでしょう。

    そしてあまりにも島国日本固有の文化、価値観の為に外国人に理解できない、故にテロ行為という枠に入れられてしまうのでしょう。

    西洋的な価値観では善玉、悪玉の両極しかなくどちらかに振り分けなければ事象を理解できない、と聞いたことがあります。イラクに侵攻した時のように相手を悪玉に仕立てあげないと自分たちの正義が成り立たない。そして嘘でもいいからその大義名分に乗っかってしまおう、という国民意識。同じ理由で「天皇教」=「テロリスト」という自分たちが理解できて、なおかつ自分たちに正義のある枠に日本人の価値観が押し込められてしまったのか。このようにも考えましたが それ以前に「日本人の価値観」が理解出来なかったことが第一の理由かもしれません。



    <2.どのくらいの日本人がこの温度差に気づいているのか?<また認識の違いを問題視しているのか。

    <どうなのかしら?
    <こういうことは日常会話ではでませんよね。


    他国では日常会話や授業で議論をするようです。この類の話題は「話してはいけない」雰囲気が出来てしまっている今の日本は健全とは言えないです。 私自身、何度か嫌な経験もしてその度に「日本の教育」と「国際社会での発信力」に疑問を感じます。 遠い話としてではなく、国際化の波の中いずれ自分の生活に関わる話題として捉えてほしいです。



    <3.これら一連の誤認によって日本人として、または日本と<して損失はないのか?(このスレでは対中韓の歴史認識は議<論から外して考えたいです)


    <アメリカのほうにも損失が戦後多くないですか?
    <自爆攻撃までした日本人がポツダム宣言後、親米になり、庶<民は競って英会話をラジオで聞き
    <アメリカの生活を羨望し、政治的にも最も友好な国となり
    <経済的にも大きく成長した。
    <あの日本でも、こうなのだから、今、どんなに反抗していて<も
    <日本のように友好的になるだろう、言うことを聞くだろうと<思って泥沼化した戦争ばかりじゃないかしら?



    なるほど。何故日本の場合は上手くいったのに他の国では上手くいかなかったのか米国も分析したのでしょう。こういう事例からも天皇教はテロリズムという考えを見直すべきでしょう。



    <4.これらの温度差を無くすべく、日本人として情報発信す<る必要はないのか?例えばナチズムのマークを認識できない<人はいない、くらい我々は娯楽映画からユダヤ文化、歴史に<ついて無意識に学んでいる。一方、英語で楽しめる邦画では<黒沢明以外、鑑賞できるものはあまりない。戦争や歴史がテ<ーマでなくても良い映画があっても紹介できないのがいつも<残念です。


    <日本の戦争映画は名作ぞろいですが・・。
    「<大日本帝国」「日本の一番、長い日」「東京裁判」

    特に「人間魚雷回天」よかったですね。「日本の一番長い日」は英語版があり、米国人の友人が家族で楽しんだそうです。そして中学生の子供が疑問に思ったのが「原爆が広島に落ちたその時点で何故、まだ戦争やめるかどうかを議論しているのか???」「何故負けるのが解っているのに止めるって言わない?」 と疑問だらけだったそうです。

    東京裁判では「負けたのだから何をされても言われても仕方ない」と裁判で自分の意見さえ、事実確認をすることすら躊躇い、弁護士達が困ったという下りがありました。 この発想が戦後60年も日本人の深層心理にどこか食い込み、今の国難を招いたのでしょう。いくら美しい価値観でもその概念のない文化の人達には理解できない、ということを私達も学ばなければ。


    <戦中の軍隊が予算を出して作った国策映画でさえ、アメリカ<軍は「これは反戦映画か?」とうなるぐらい、日本の戦争映<画は人間的で、浪花節で、嫌戦観にあふれています。
    <アメリカ軍は「こんな映画を観たら、兵士は戦争なんてでき<ないだろう・・」と呆れ(><)てしまったそうです。

    米国の国策映画は「嫌日」そのもので、こんな酷いことをする民族だから殺して当然というプロパガンダがあからさまです。後に南京大虐殺にも使われたフィルムで実は中国人が中国人を撃ち殺している映像だったりフィルムですが。)http://tamagawaboat.wordpress.com/2008/02/10/cropping_in_the_battle_of_china/

    http://www.youtube.com/watch?v=4LbVeadjSbo

    他国の戦争プロパガンダは知りませんが やはりこれに似たり寄ったりなのでしょうか。

  3. 【1939478】 投稿者: 戦後の世代  (ID:BRMZDcElvBE) 投稿日時:2010年 12月 02日 11:41

    <442部隊の方々のことを書いたのは
    <亡くなるときに、家族のことを思うのが
    <世界共通・時代を超えて普通の人間の最期であって、
    <国家やマスコミが流す「死ぬときにはこの決めセリフで死のう!」とい<う言葉が用意されて
    <さらに死の場で、それを口にできたからと言って
    <それほど立派なことではないですし、
    <後の世代の私たちが、「この人は決めセリフを言えたけど、この人は言<えないからダメね」とか、そんなことをジャッジする権利もないと思い<ます。



    用意された言葉をきちんと最期にきちんと言う、というのは何だか切腹の儀式に似ている部分がないですか。茶道でも香道でも行為そのものよりその過程を儀式として想像力を駆使して慈しみ楽しむ。 

    また、ドイツ人でも「ハイル・ヒットラー」と言わなかったと分析する前提にナチズムと天皇を同列にしてしまいたい、という思考があるのでしょう。 しかしこの点から見ても全く違う価値観であることが解ります。

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