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【3297347】言論の自由を理由に他人を誹謗・中傷したり人権を侵害すること

投稿者: 自爆   (ID:Hmnt.v4Tm6w) 投稿日時:2014年 02月 22日 09:35

「匿名なら何を言ってもいい」
「他人が傷つこうが、どうなろうが関係ない」
「バレなきゃいい。今を満足できればいい」

このような書き込みは決して許すことができません。

ひとつの原因として、恐らく人間としての教育が欠如しているのではないかと思います。

外では平静を装い、ネット上では誹謗中傷を繰り返す輩。。

特定の個人に向けた攻撃的な内容を禁止することを発表した企業もあります。
社会的責任ある企業としては当然の対応かと思います。
今後ユーザーによる通報システムなども整備していくことについて
個人に対する罵倒や嫌がらせを禁止するというもの。


罵倒や中傷、脅迫などは、そもそも「犯罪」になり得る行為だ。
ネット上だからといって、発言の重みが変わるわけではない。
利用にあたってはもう一度、そこに思いを巡らす必要があるだろう。


少なくとも、犯罪や人権侵害などにつながるような発信は即座に発信元が特定し対処できるような仕組みを
早急に作るべき状況ではないかと思います。

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  1. 【3317527】 投稿者: w  (ID:p8SXo1SPeyM) 投稿日時:2014年 03月 09日 22:31

    当時の中国は国民党ほか軍閥が割拠
    八路なんかが国境越えて社会主義をもたらす危険なんかあったかねw

    むしろ日本が危惧するのは満蒙やろ
    で、なんで山海関の向こうで戦闘やの?

    他国領土に攻め入ってるが侵攻で無うてなんでしょうかね・・・・

    あんたむちゃくちゃなことのたもうたらいかんわ(笑)

  2. 【3317532】 投稿者: ところで・・・・  (ID:p8SXo1SPeyM) 投稿日時:2014年 03月 09日 22:38

    >今と変わらない反共機運


    いま、そんなんあるの?

    あるとすればアンタ等の仲間ウチだけちゃうかね。

    笑らわせたらいかんなァ。。。きみ。。。

  3. 【3317575】 投稿者: 他にも  (ID:teH2XjjBKlA) 投稿日時:2014年 03月 09日 23:11

    >反共機運が冷めやらないのは


    中国のことだけでなく
    9・11事件とか、北朝鮮の核問題とかがきっかけになった人も
    いるかも知れませんね。

  4. 【3317583】 投稿者: クレムリン  (ID:YhZLvoBNE4o) 投稿日時:2014年 03月 09日 23:17

    高木翔之助 『冀東から中華新政権へ』 北支那社、1938年 


    冀東保安隊は、国民革命軍第二十九軍首脳部によって買収され、あるいは使嗾され、またあるいはその宣伝に判断を誤り、
    通州の日本部隊が僅かであることに乗じ、1937年7月29日未明を期して冀東保安第一総隊(2,000名)、第二総隊(2,000名)、
    教導総隊(1,300名)及び警衛大隊(500名)からなる5,800名による反乱を起こした。
    警衛大隊の隊長は反乱に反対したため、第一総隊隊長張慶余に射殺されたがその後蘇生した。

    反乱した保安隊は先ず冀東防共自治政府を襲撃して日本人顧問を殺害、殷汝耕長官を拉致し、他の一隊は通州城内の日本守備隊、
    特務機関、領事館、警察署を襲撃し、特務機関は細木機関長以下殆ど殉職、領警署員全滅、城内の日本人居留民は守備隊に避難収容された135名以外の250名余りの老若男女が残虐に殺害された。
    暴徒は日本関連施設のみならず冀東政府、冀東銀行などから掠奪を行った。

    殷汝耕は冀東保安隊に拘束され、宋哲元に引き渡されるために北平へと護送されたが、宋はすでに北平を離れており、
    殷の護送部隊は日本軍により蹴散らされた。
    しかし殷は、そのまま北平城内に逃げ込み、潜伏してしまう。
    他の冀東防共自治政府の官吏も、反乱の勃発と同時に潜伏するか逃げ去り、日本軍が29日夕方に反乱を掃蕩するまで政府は
    反乱保安隊によって占拠され、従来の組織による政府は消滅した。
    日本軍支那駐屯軍司令官香月清司中将は、治安体制の欠如した状態を憂慮し、翌30日要務連絡のため天津に来ていた
    池宗墨秘書長に政務長官の任を求めた。

    この通州事件による日本官民の被害に関しては、冀東防共自治政府が損害賠償をすることになり、同年12月24日池宗墨長官自ら北京日本大使館に森島参事官を訪問の上、賠償金120万円を手交し、事件の解決となった。
    また事件後には、政府所在地も通県(通州)から唐山へと遷されている




    1986年に冀東保安隊長であった張慶餘の回想録が公表され、また中国で出版された『盧溝橋事変風雲篇』によると、張慶餘、張硯田の両隊長は、中国国民党第29軍とかねてから接触しており、「日本打倒」の事前密約をし、これが「通州決起」と関係していると記されていることから、中国国民党と張慶餘・張硯田両隊長の密約によるものとする説。
    岡野篤夫『通州事件の真相』正論1990年5月号


    第二十九軍はコミンテルン指導の下、中国共産党が完成させた抗日人民戦線の一翼を担い、国民政府からの中堅将校以外にも中国共産党員が活動していた。副参謀長張克侠をはじめ参謀処の肖明、情報処長靖任秋、軍訓団大隊長馮洪国、朱大鵬、尹心田、周茂蘭、過家芳らの中国共産党員は第二十九軍の幹部であり、他にも張経武、朱則民、劉昭らは将校に対する工作を行い、張克侠の紹介により張友漁は南苑の参謀訓練班教官の立場で兵士の思想教育を行っていた



    国民革命軍は1925年から1947年までにわたる中国国民党の軍であり、1928年からの中国国民党による一党制の期間には中華民国の国軍でもあった。元々は軍閥割拠の状態であった中国を国民党が統一する目的を持ってソビエト連邦の援助で組織され、北伐では北洋軍閥と、日中戦争では日本軍と、さらに国共内戦では中国人民解放軍との主な会戦を戦った。日中戦争期には指揮は別ながら中国共産党の軍隊は名目上は国民革命軍に編入されていたが、その戦争直後に中国人民解放軍を組織するため分離された。1947年の中華民国憲法の発布と大陸本土の中国国民党支配域がほぼ消滅した事により、国民革命軍は中華民国国軍と名称を変え、1949年に台湾へ逃れた


    通州事件が起こったのは、冒頭に記した通り、昭和12(1937)年7月29日のことです。
    この事件が起こる3日前には廊坊事件、2日前には広安門事件が起きています。
    そして半月前の7月7日には、盧溝橋事件が起きています。


    共産主義による世界革命(世界をクレムリンの支配下に置く)を標榜したコミンテルン(Communist International)は、ロシア皇帝を殺害し、ドイツ(プロイセン)皇帝を追い払い、はじめにヨーロッパ全土を共産主義の支配下におさめようとしました。

    ところが欧州の列強各国は意外に手強い。
    そこで欧州各国の富の源泉となっているアジアをまず共産党の支配下に置く、そのために、まずは混迷の続く支那を共産主義化することを、昭和10(1935)年の第7回コミンテルン世界大会で決定しました。
    そして大量の工作員を支那に送り込み、毛沢東率いる支那共産党に莫大な経費を与え、支那の共産主義化の促進を図ったのです。

  5. 【3317603】 投稿者: 呆れるね  (ID:p8SXo1SPeyM) 投稿日時:2014年 03月 09日 23:29

    全部コピペかよ・・・・(笑)

  6. 【3317616】 投稿者: あっそう  (ID:YhZLvoBNE4o) 投稿日時:2014年 03月 09日 23:37

    王様嫌いが沢山いらっしゃるようで

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