在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
地頭の良いお子様とは?
持って生まれた能力というものは、少なからず誰しも何かしらあられるとは思いますが、地頭の良いと思われるお子様とはどの様な方を皆様は思われていらっしゃるのでしょうか?
因みに、小六の息子の塾での地頭の良いと噂されるお子さまは、ご両親がお医者様。塾では誰とも話されないとか。しかし全国では常にトップに入られています。 後、夫婦共に弁護士の方のお子様は暗記がずば抜けていらっしゃるそうです。
息子の塾の一番上のクラスのお子様達のご両親の職業は七割が医者だそうです。やはり、地頭とは親の能力が関係しているのでしょうか。
皆様はどう思われますか?
>「地頭が良い」という表現になると、「地頭が悪い」という言葉がどうしても対で思い浮かびます。
>どうしても子どもの可能性を広げてやる努力を怠る、
>もしくは自分自身の能力を高める努力を怠る大人の言い訳の匂いを感じてしまうのです。
こういう言い方をされる人に、
努力すればどんな子供でも必ず第一志望の難関中学に合格するという
「現場主義」とかけ離れたウソを言って親から金を集めようとする受験関係者や
子供に自分の理想を押し付けて無限の努力を強いて子供をつぶす親や、
子供がもともと賢いだけだったのに、それを自分の教育のおかげにして自慢する親や、
結果が伴わないのは努力が足りないからだと子供を責める親や、
なぜこれだけ頑張ってるのに報われないんだろうと一人相撲を取る親や、
自分はこれだけ頑張ってるのになぜお前は頑張らないんだと子供を叱ることしか知らない親や、
親は子供の思うとおりに教育で導けると考える傲慢な親や、
地頭という子供の頭の限界を認めたら
教育投資効果がないような気がしてやる気がしなくなる勝手な親の臭いを感じてしまいます。
「地頭が悪い」という言い訳をするのは、努力や教育を万能だと信じた親のなれの果てじゃないでしょうか。
最初から地頭という子供の能力の限界を認める親は、「地頭が悪い」なんて言いません。
むしろ地頭の限界を冷めた目で見つめて、その範囲まで頑張ろうという謙虚な親だと思います。
「子供の無限の可能性」じゃなく「地頭の範囲でこつこつ頑張る」方がやる気が出る、地に足着いた親です。
「頑張ればいいことがある」などと言う夢など見ず、じゃなくて「コツコツやるのはいいことだ」と思います。
で結局、受験に成功するのも、努力だなんだという熱血派じゃなく、多くはこういう謙虚な親と、その子供なんですよ。
遺伝とか環境とか脳科学とか受け売りを言う人に釣られてまた出てきちゃいました。すみません。今度こそ完全撤退します。
私はノロノロ書いているうちに、投稿のタイミングを逃し続けてきましたが、
ここはずっと読んでます。
元塾講さん、最後と言わずに・・・。
「地肌」の例え、わかりやすかったですね。「陶器のような
毛穴のないすべすべお肌」は憧れますが、自分の肌質ではないです。
産まれながらの肌の質ってあります。(だいぶ横かしら、さんの
おっしゃるとおり。)
でもお手入れしたり、「肌」じゃないもので勝負したりして頑張って
ます(笑)
ここの議論は、「産まれながらの質」と「持てるポテンシャルを最大限
生かせるか?」がごっちゃになっていると感じます。
子どもたちを見ていると、後追いのように「この子は本好きだな」とか
「動物が好きだな」とか「○○が得意そうだな」とか自然にわかってきて、
それをできれば伸ばす方向で適性なんかを見ていくと思うので、
親が先導して「○○になれるように」と発想はしません。
ただ、目指すものを見つけて、その方面で持てるポテンシャルを
発揮できる子にはなってほしいと思います。
それにはむしろ小さい頃に子どもの地力というか、出力の力というか、
自由な意志の力を育てておくことが肝要かなと思ってます。
受験勉強って、入力に偏りすぎだと思うのですよね。
>①「地頭」=環境の中で育つ(てる)もの と私と同じ定義で言っていただけるのなら嬉しいのですが、
>②「地頭」=持って生まれたもの とお考えの方に言われたのだとしたら、むっとします。
>子どもの努力も親の努力も無視された気持になります。
子どもの努力の後ろに謙虚?に親の努力とつけないと気が済まないから、
「地頭」の定義を①にしたくなる、あるいは、「地頭」そのものに反感を持つ原因なのかしら。
そうそう。
幼いころからの父親の厳しい知的教育のおかげか、医師になられた女性。
父親に感謝もしていないし、恨んでいると。
ある程度成功したならば、感謝ぐらいはしているはずと思っていた私は浅はかだったのかも。ちょっと衝撃的でした。
結局我が子はそんな子じゃないと信じるのもよし。
子どもの表に現れた怒りを待つのもよし。子どもの秘めた怒りの中で道化になるのもよし。
自分の身に置き換えて想像できないなら仕方がない。とても残念なことだけど。
>それにはむしろ小さい頃に子どもの地力というか、出力の力というか、
>自由な意志の力を育てておくことが肝要かなと思ってます。
>受験勉強って、入力に偏りすぎだと思うのですよね。
本当にそうですね。
「空想は知識より重要である。知識には限界がある。想像力は世界を包み込む」
天才の言葉ならば、少しは説得力があるかしら。
元塾講様へ
ロムされているようなので、一言お詫びをさせてください。
私の頭は、蟻以下。
文章力・構成力がなく、不快な思いをさせてしまったかもしれません。
ごめんなさい。
---------------------------------------------------
無限の可能性について
こどもには無限の可能性がある。
良く耳にする言葉です。
この、なんだかよくわからない無限の可能性を追い求めて、こどもと対峙するからおかしなことになる。
無限の可能性はそこに在るものではなく、拡がっていくものなのだと思います。
たとえその時点のポテンシャルがゼロであっても、その子自身に適した向き合い方をすれば、1,2,3…と拡がりが見えてくる。
これを無限の可能性と考えます。
限界を認めるということは、到達できないという意味とはちょっと違う。
負荷をかけ過ぎて、トラブルやエラー、エンジンの焼き切れを起こさないように、個人に見合った平均速度を守って生きている人が多いのではないでしょうか。
どう呼ぶかはともかくとして、中学受験の「地頭」と呼ばれるものは、DNAレベルの先天的因子と環境因子によって形成されるもので、各因子の影響力がどれほどのものかは科学的に分かっていない。中学受験の「地頭」(小学生時点での能力)を純粋に先天的なものと考えること自体無理がありますね。
中学受験のことはわかりませんが、社会に出ると皆さん仕事はするけど、努力している人は実はほとんどいない。東大卒や医学部卒で、テレビやネットや娯楽や付き合いばかりで全く勉強していない人間なんてくさるほどいます。職種にもよりますが、社会にでると、継続して努力しているかどうかで決まる度合いが格段に大きくなる。
昨日野村元監督が「野球選手は努力するしかない。70人いても、本当に努力している奴は2、3人しかいない。」と言っていました。プロ野球でそうですから、他の職種では推して知るべしです。
あーあそうか。地肌の例えに好意的なご評価をいただいたので、地頭も同様に考えて
おられる方が多いのかなと思っていましたが、ここでは、やはり、次のような択一的な
分類になるのですね。
>①「地頭」=環境の中で育つ(てる)もの
>②「地頭」=持って生まれたもの
くどくて申し訳ないのですが、地肌でいきますと、例えば「30歳」の地肌っていう
言い方と現実ってありますよね。そして、30歳の地肌は、もともとの性質(=原地肌
:上記の②)と30歳までの時系列にしたがって加えられた影響要素(=上記の①)に
よって、形作られているのではないでしょうか。
そうすると、地頭だって、0歳の地頭(=原地頭)と12歳の地頭があっても良いで
しょうし、その12歳の地頭は、上記①と②から形作られると思います。だから、私は、
包括的な表現ととらえることとしています。
なお、①と②のどちらが、支配的かと聞かれたら、私は、50馬力ですし、子供たち
も概ねそのようなものだと思いますから、200馬力が本気を出した時には敵わないと
いう意味で、「②」と答えます。
ここからは言葉の遊びです。地頭という言葉については、おそらく「地」という表現
のもともとの意味と思われる「飾りのない」頭と考えたらいかがでしょうか。肌に何ら
かのコーティングをしたら「地肌」とは言わない。あるいは、ストッキングをはいたら
地足(普通は素足、最近では生足かな・・)とは言わないということを前提に考えます。
それでは、地頭に対する「飾り」とは何か。中学受験生にとっては、塾で教えていた
だく解法テクニックかな・・。愚息は、算数は得意でしたが、国語の読解は駄目でした。
先生から、「△△君は、まだ精神年齢が低いから」という趣旨のことを言われ、キーワ
ードの見つけ方とか線を引いてどうこうという、およそ、中学受験以外では役に立ちそ
うもない解法テクニックを教えていただきました。つまり、解法テクニックを駆使して、
一定の成果を修めても、それは、「地頭」とは関係がないといえるのではないかと思い
ます。
社会人の地頭に対する「飾り」は難しいですが、プレゼンテクニックみたいなものか
なと思います。ほぼ同じ成果でも、プレゼンの巧拙により、評価は変わりますものね。




































