女子美の中高大連携授業
地頭の良いお子様とは?
持って生まれた能力というものは、少なからず誰しも何かしらあられるとは思いますが、地頭の良いと思われるお子様とはどの様な方を皆様は思われていらっしゃるのでしょうか?
因みに、小六の息子の塾での地頭の良いと噂されるお子さまは、ご両親がお医者様。塾では誰とも話されないとか。しかし全国では常にトップに入られています。 後、夫婦共に弁護士の方のお子様は暗記がずば抜けていらっしゃるそうです。
息子の塾の一番上のクラスのお子様達のご両親の職業は七割が医者だそうです。やはり、地頭とは親の能力が関係しているのでしょうか。
皆様はどう思われますか?
視点さん
ちょっと、あなた、いなくなっちゃうの。まだ、私の質問に答えていないでしょうが。
「研究脳」は、受験勉強すればするほど悪くなるって?つまり、大学受験までで「決まっている」ってこと言っているわけでしょう。あなた、「環境派」じゃなかったの?私は、院生以降の「研究教育環境」で決まるって言ってるんですよ(もちろん+DNAとね)。おかしいじゃない。何とか言ってくださいよ。
10歳や11歳で選別されたら、うちの子たちは確実に「地頭秀才」から洩れてますね。子だけじゃない、親もです。小学校時代は全員ぱっとしませんでした。ぼやっとしたただのガキです。中学受験なんて、お呼びでないって感じ。
13歳くらいかな。なんとなく大人びた難しいことを言い出すようになって、その後はあれよあれよです。
子どもの場合、特に顕著だったのが数学で、二人とも、最初は論理系の問題がサッパリだったのが、その頃を境に、突然できるようになってました。
上の子はもともと地歴が好きで文系に進んだのですが、それでも大学受験時には「ちゃんと勉強してみると理系も面白い。理転しようかな」などと言い出したくらい。
まあ、さすがにそこからの理転では、理Ⅲは無理だったでしょうが、理系の子にひけを取らないくらいの点数が取れるようにはなっていました(ちなみに注射と血に弱いため、医学部は最初から断固拒否)。
上の子も下の子も、思春期以前と以後で「別人?」と思うほど性格も変わりましたし、そこまで極端ではないけど、夫も私もほぼ同様でした。
最終学歴だけ見れば、親=子です。でも、最初からそうなると思っていたわけではないんですよ。
私の個人的な感想としては、「地頭なんて、思春期過ぎてみないとわからない」。
中学受験ブームのために、早熟な子がやたらと称揚されていますが、あまり早くから思い込むとお子さんを見誤りますよ、ということで。
それから、遺伝云々の話ですが、確率的に高いとはいえ、親の職業・学歴が影響する場合ばかりではありません。夫婦高卒→子ども中高一貫進学校~東大も、少数ながら存在します。
ただし、話してみると、親御さんも頭のいい人です(知人はいわゆる知的職業ではないけれど、職業的には成功者)。
いるんですよ、頭は悪くないのに、机に向かって勉強するのがきらいな人って。そういう人が「いいんだよ、勉強なんかしなくったって」「おまえは頭が悪いんだから、勉強しても無駄」と決め付ける家で育つと、せいぜい高卒で終わってしまうんです。
このケースも、厳密には「遺伝」といえるのかもしれませんが、少なくとも学歴上はそうではありません。それから、なんたって学校の勉強は大嫌いだったお父さんなので、教養あふれる家庭環境はありません。お仕事の関係なら、人一倍熱心に勉強なさるし、本もたくさん読んでいらっしゃるのですけれどもね。
人間の能力はひといろではないです。テストで点を取るだけが能力のすべてではないのだから、親として育児をする上で、遺伝だのなんだの、考えてもしようがないのでは?
少なくとも中学受験時に何かを判断しようとするのは無駄だし、その後の育児に悪影響をおよぼしかねないと思います。
これが、おそらく、巷で言われている「中学受験の弊害」というものなんじゃないでしょうか。
中学受験はただ、「その時点での」何らかの結果を出すにすぎない(将来はまた別。学歴とも、幸福とも)、と、腹をくくって臨まれますように。
適正ある子さん
視点さんをめぐる「ディスカッション」には、どうやら決着がついたようですね。視点さんの「失意の退場」というかたちで。でも、私の方の議論は、まだ「スッキリ」というわけにはいかないんですよ。よろしければ、もう少しおつきあい願えませんか。
「独創性」についてのお話です。
>受験地頭と比較される『独創性』の話ですが
>ただ、独創性さえあればいい、単に、先人のコピーしている、勉強(受験勉強も含む)など意味がないと思っている人も多いいようですが。(根本的なさん ではありませんよ)
これは、問題外の人のお話ですね。
>私も、学問(学び)の基本の基本は、先人達の叡智のバトンだと思っています。ここの大切さを知らずに、独創性、独創性と唱えても、どうなんでしょうかね?
それはもちろんそうですよ。アインシュタインだって、ニュートンの仕事を継承したわけで、こころから尊敬していたに違いありません。「先人の叡智」を「学ぶ」ことは「大切」です。
>新しい発見や、独創性も、実は、先人の叡智の『ちょっと上』にあるものと考える謙虚さは持って欲しいです。(縛られることはありませんが・・)
「ちょっと上」か「ずっと上」かはともかく、「先人の叡智」を「学ぶ」ときには、「謙虚」でなければなりません。おっしゃるとおりです。
>先人の叡智から独立した独創性もあると思いますが、あるなら、多分奇跡だと思いますけどね。私は。(笑)
私も、「先人の叡智から独立した独創性」などというものはない、と言い切っていいと思います。ただ、「学ぶ」ときはそれでいいんですけれど、「新しい発見」や「独創性」を生み出すのは、そのような「謙虚」な姿勢ではない、とも私は思うのです。それは一種の勝負ですから。目的は「勝つこと」です。「先人」も含めたライバルを打ち負かすことです。これは、「先人」に敬意を払うこととは別のことですが、それと同時平行で実行することも可能なのです。したがって、私は、「先人の叡智」の「大切さを知らずに」、「独創性、独創性と唱えて」いるわけではありません。
>以前テレビで、学生が、「『これは、新しい発想だ。』と喜んだら、すでに、発表されていて、凹む。」ということを言っていました。それでも、そこに気づいただけでも、その人には、進歩だと思うのです。
これは単に、「独創」だと思ったけど違った、というだけの話ですね。
>内田樹氏は 「学びは学んだ後になってはじめて自分が学んだことの意味や有用性について語れるようになるという順逆が顛倒したかたちで構造化されます」って言ってますが、その通りだと私は思っています。中高の勉強でもね。
ここまでの私の議論の内容を十分踏まえた上でなら、これもまた納得の行く、深い言葉だと思います。
独創性の高い仕事というものは、それまでのものの考え方の枠組みを変えてしまうこと、いわゆる「パラダイムの変更」をもたらします。なぜ、その必要があるのか。それは、そうすることによって、この自然界をより広く深く理解することが可能となるからです。ですから、それは、領土拡張をともなった政権交代のようなものなのです。「権力への欲求」を持たずして、なしえることではありません。
難関中学受験(者)やら東大京大理系(者)とは違って、文系には拘りがないようですね。
こちらで代弁するなら、いつもの調子で、
難関中高一貫校からの大量の凡人(単なる受験秀才)が東大京大法に入って、悪徳弁護士・官僚を生み出す。それは、小さいうちから中学受験の影響で3冠、5冠と塾に踊らされて「洗脳」され、その弊害を受けた問題のある人間が多くいるからではないか・・・
これは私の仮説です、意見です・・・・といいながら断定口調を振り回すのは、視点さんの書き込みをよく見る皆さんにとっては予想に固くなかったことでしょうが。
ものの見方の尺度は 自分を主体に考えますね。
ガラが悪いと判断したのは 自分がガラが悪い事に気がつかないんです。
視点さんは 学生さんのような方ですよ。
味方かえれば 素敵な考えの持ち主。
ご自身が他人に厳しい視点と 想像できめつけて考えるから
視野がせまくなるのでは?
書き込みをしておきながら、スレッド見つからなくなってしまっていました、すみません。
確かにギフテッドと呼ばれる子供たちが、日本の教育に合致しないため、飛び級が認められるアメリカに
移住すると言う事に関しては、疑問を持っています。
そもそもIQが高い事が、実社会にどれだけの功績を残せるかにかかっていると思います。
実際にIQ自身、調べていない家庭がほとんどだと思います。
ということは、データーとしては不十分だと思います。
と言う観点から、私自身はさして興味はありませんが、一般的に優秀であると認められると言う事は、
「優秀である」と言う事を否定できないのも事実です。
スポーツ界でも、同じ事だと思います。残る人は残ります。
ラーメン屋が美味しくなければ、誰も入らないのと同じだと思います。
一般的な市民の直感が、その人の価値を決めていくのだと思います。
中学受験においても、同じ事で「くだらない」と思った瞬間に、意味のないものになります。
ただ一般的な市民においては、十分興味をそそる事ではないかと思います。
確かにレベルによって違いはあれど、学校でやっている事と塾でやっている事は、よくよく比べると
先へ進んでいるかとポイントを抑えて弱点補強できるかぐらいでどちらでもかなりの好成績を収められます。
結局、問題のこなした量と質の問題だけでさして両方とも変わりないです。
塾に通うかどうか、先生がどうかと言う問題もさして大きなことではないと思います。
ですので、中学受験をするという事は、勉学に励むと言う事に直結しているのではないか
と思います。
確かに、高学年の塾通いは無意味な気もしますが、一般市民としてはやってみる価値があります。
子供に少しでも人生のレールを選べるようにしてあげられる事が、地頭勝負でない小市民がせめてもの
子供に出来るプレゼントだと思っています。
ギフテッドさん
>確かにギフテッドと呼ばれる子供たちが、日本の教育に合致しないため、飛び級が認められるアメリカに移住すると言う事に関しては、疑問を持っています。
そんなことがあるんですか。知りませんでした。
>そもそもIQが高い事が、実社会にどれだけの功績を残せるかにかかっていると思います。 実際にIQ自身、調べていない家庭がほとんどだと思います。 ということは、データーとしては不十分だと思います。
たしかに、IQに関しては、専門家のあいだでも、知能のごく一部しか表現していないだろうというのが、ふつうの認識ではないかと思われます。最近、「DNAの二重らせん」で有名なジェームズ・ワトソンの自伝めいた本が出版されましたが、それによると、このひと小学生のときに受けた知能テストで120以下だったそうで、たいそうがっかりしたって書いてあるんですね。ただ読解力はクラスで一番だった、と。そういうこともあるようですね。
>一般的に優秀であると認められると言う事は、「優秀である」と言う事を否定できないのも事実です。スポーツ界でも、同じ事だと思います。残る人は残ります。一般的な市民の直感が、その人の価値を決めていくのだと思います。
そのあたりを子供の時点で評価するとしたら、やはり教師の経験と勘のようなものが、もっとも妥当な判断につながるのかもしれない、と私は思います。




































