在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
地頭の良いお子様とは?
持って生まれた能力というものは、少なからず誰しも何かしらあられるとは思いますが、地頭の良いと思われるお子様とはどの様な方を皆様は思われていらっしゃるのでしょうか?
因みに、小六の息子の塾での地頭の良いと噂されるお子さまは、ご両親がお医者様。塾では誰とも話されないとか。しかし全国では常にトップに入られています。 後、夫婦共に弁護士の方のお子様は暗記がずば抜けていらっしゃるそうです。
息子の塾の一番上のクラスのお子様達のご両親の職業は七割が医者だそうです。やはり、地頭とは親の能力が関係しているのでしょうか。
皆様はどう思われますか?
>(飛び級を)全国どこの大学でもやればいいとお考えな>んでしょうね?
>(飛び級を)日本に導入すべきだと思ってらっしゃるんでしょうね?
>どうもそのあたりのところがはっきりしませんね。
それを取り巻く環境が米国のように相当整っていれば飛び級制度はあってもいいと思いますよ。でも「べき」論ではないですね。学歴としてどこまで進んだかやどこの学校に進んだかは重要ではないでしょう。注視したいのは個人が何ができるか何を成し遂げようとしようとしているかではありませんか。前にも書いたようにその驚くべき暦年齢における完成度の高さをもってしてこういうのを「地頭がいい」というんだろうなということでヤノ君の例を引き合いに出したまでで、飛び級制度に焦点を当てたわけではない。根本的なさんが見ておられるところとわたくしが見ているところが異なっているだけですよ。
>自然科学系の論文の読み書きに必要な英語力なんてもの>は、大したものではないと思っています。 たとえば、まづ、観察事実を書く。It was observed that 何とか(ここ観察されたデー>タを入れる)・・・・
恐らく標準的な研究者がここを読んだら?ってなるでしょうね。あまりに初歩的な英語論文の書き方をとくとなさるとは根本的なさんひどくお疲れでしょうか。「英語で書かれた論文でのみ先端情報が得られる」というのが千葉大学生の幼少時の感想でしょ。彼は幼少時に必要に迫られて英語を用いて知識を得、その動機が彼自身の欲求から生じたものであるという点に注目しただけです。論文英語が簡単かどうかや入試英語との関連がどうかというストーリーではないので述べておりません。
>ですから、自然科学系の研究者になるためには、難しい英語の文学作品など読む暇があったら、どんどん自分の専門分野の論文を読むのが一番よいと思います。
「地頭のいい」彼らのレベルになると違うのですよ。ヤノ君の親御さんが紹介してますが、彼は古典と歴史がとても好きらしい。文学や歴史に触れる余裕があるんです。いや、余裕があるからなのかどうかは断言できませんがね。逆に他方面への関心や経験における脳の働きが結果として特定部分の脳の働きを高めている可能性だってありますから。いずれにせよ、「難しい英語の文学作品など読む暇があったら、どんどん自分の専門分野の論文を読むのが一番よい」というアドバイスは「地頭のいい」ひと向きではなく、切羽詰った人向きでしょう。むしろ、幼少時からいろいろなことに関心を向けることができるようにしそれらを経験させ、その中から本当に好きなもの興味があるものを本人が選べるように環境を整えることのほうが良いのではないですか。私的にも公的にも。
親が環境を整えて、やりたいことが明確になっても、
英語の論文が読めないと、意味のある発見や着眼や研究はできない。
英語が母国語レベルでない場合、中高一貫校に入って、
塾で流行の多読の講座をとるよりも、
興味の方向が定まっているのなら、
その分野の論文を読んだ方が、きっと将来よほどためになるよ。
実は理系の英語の論文って、読むの簡単なんだよね~。
と、ヤノ君には遠く及ばない天才未満の親子向けに、
アドバイスなさっていると解釈(意訳)しましたが…。
>ヤノ君には遠く及ばない天才未満の親子向けに、
アドバイスなさっていると解釈(意訳)しましたが…
これ違うんです。
確かに、「英語の論文が読めないと」「研究はできない」。でも、「母国語レベル」である必要は全くない。益川さんの例もあるでしょう。ただ、もちろん、科学研究者としての最低レベルというものは想定しうるし、「コミュニケーション」の手段としても、高いレベルであるほうが望ましいことは言うまでもありません。
しかし、私が言いことは、たとえば、現行の大学入試制度のもとでは、理科一流英語一流(国語も社会もですよね)でないと一流とはみなされない。そこでは、理科超一流、英語三流のひとは総合二流という評価になってしまうことも十分あり得る。
そうすると、ヤノ君を遥かに凌ぐ大天才も落としてしまうかもしれませんよ、と「アドバイス」しているわけです。
老眼さん
>それを取り巻く環境が米国のように相当整っていれば飛び級制度はあってもいいと思いますよ。でも「べき」論ではないですね。
>根本的なさんが見ておられるところとわたくしが見ているところが異なっているだけですよ。
たしかに、見ているところが異なっていたようですね。私は「あってもいい」ではなくて、「あったほうがいい」あるいは「べき論」ですから。
>恐らく標準的な研究者がここを読んだら?ってなるでしょうね。あまりに初歩的な英語論文の書き方をとくとなさるとは根本的なさんひどくお疲れでしょうか。
たしかに、私は「標準未満の研究者」だったのかもしれません。でも、私はもう終わりになってしまった人間ですから、別に疲れてはおりません。「とくと」したつもりではなく、「この程度でもなんとかなるでしょう?」っていうつもりだったのです。
>「英語で書かれた論文でのみ先端情報が得られる」というのが千葉大学生の幼少時の感想でしょ。彼は幼少時に必要に迫られて英語を用いて知識を得、その動機が彼自身の欲求から生じたものであるという点に注目しただけです。
当たり前のことですが、彼の求めた「先端情報」とは、ITに関するものであって、英語に関するものではない。英語はあくまで「必要に迫られて」のものですよね。その「動機」はあくまでITの「知識」への「欲求」だったに違いないわけで、英語はあくまでそのための手段という位置づけですよね。それだけの自覚が「幼少時」にあったとは、たいしたものです。
>論文英語が簡単かどうかや入試英語との関連がどうかというストーリーではないので述べておりません。
これはどうもすみません。ついうっかり、我が田に水をひいてしまったというわけです。
>「地頭のいい」彼らのレベルになると違うのですよ。ヤノ君の親御さんが紹介してますが、彼は古典と歴史がとても好きらしい。文学や歴史に触れる余裕があるんです。
たしかに、そういう「地頭のいい」ひともいるでしょう。でも、「古典」も「歴史」も「文学」も「英語」も嫌いで、物理や数学だけが大好きな「地頭のいい」ひともいませんか。小中学生ならなおのこと。
>「難しい英語の文学作品など読む暇があったら、どんどん自分の専門分野の論文を読むのが一番よい」というアドバイスは「地頭のいい」ひと向きではなく、切羽詰った人向きでしょう。
「切羽詰まった人」に向けたのではなく、目的が定まったひとに向けた「アドバイス」のつもりでした。
>むしろ、幼少時からいろいろなことに関心を向けることができるようにしそれらを経験させ、その中から本当に好きなもの興味があるものを本人が選べるように環境を整えることのほうが良いのではないですか。。
もちろんそう思います。しかし、そうして幼少時に環境を整え、「本当に好きなもの」を選んだとしても、高校生くらいの年齢になってもまだ、嫌いなものも無理矢理勉強しなければならないために、「本当に好きなもの」に没頭するための時間がない、という現行の大学受験システムについては、どうお考えですか。




































