在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
地頭の良いお子様とは?
持って生まれた能力というものは、少なからず誰しも何かしらあられるとは思いますが、地頭の良いと思われるお子様とはどの様な方を皆様は思われていらっしゃるのでしょうか?
因みに、小六の息子の塾での地頭の良いと噂されるお子さまは、ご両親がお医者様。塾では誰とも話されないとか。しかし全国では常にトップに入られています。 後、夫婦共に弁護士の方のお子様は暗記がずば抜けていらっしゃるそうです。
息子の塾の一番上のクラスのお子様達のご両親の職業は七割が医者だそうです。やはり、地頭とは親の能力が関係しているのでしょうか。
皆様はどう思われますか?
「地頭」というのは、同じやる気、同じ動機を持ち、同じ勉強をしているのに、なぜか成績や合格校のレベルに差が出る原因でしょ?
動機や行動姿勢まで含めて「地頭」と定義することは不可能じゃないとは思うけど、普通の日本語でそういう使い方をするかなあ?
「彼は努力家だ、だから地頭がいい」「彼は医者になる目的をもって一生懸命勉強している、だから地頭がいい」って言う?
同じ努力しても、動機が同じでも(筑駒入りたい、東大理3行きたい)、理解する時間に個人差があるというのは事実でしょう。でも10歳の理解力の差がそのまま18歳や20歳でも同じなのかな?
好きこそものの上手なれでやっているうちにその方面の能力が伸長していって高校生の頃には数学好きになるなんてこともあるかもしれませんね。つまり時間軸で地頭も変わるかという問題。あるいは地頭は生まれたときから永久にもう変化しないのか?と言ってもいいでしょう。
秋山仁なんてあちこち大学院入試で蹴られているけれど自分のたどりついた得意分野ではそれなりになったんじゃないですか?まあ、他の人がやらないニッチをうまく見つけて自分の生きる道を見つけたとも言えるけど。
本当の天才的な仕事をする人たちの地頭はある意味偏りがあるというか、突出した部分があるんでしょうがここでの話は中学受験、せいぜい大学受験までの話でしょ。脳の可塑性というか成長というのもあるんじゃないかな?
だから中学入試で算数分からなくても大学の数学科に進むつもりのない受験生なら高校までに数学がそこそこできるようになっていれば何の心配も要らないというのが私の結論なんですが。
つまりは10歳時点での地頭で劣っていても大学入試程度ならその後のやりよう次第でなんとかなりますよということ。中学入試がうまくいかなくても悲観するには及ばない。難問やらされすぎてコンプレックスを持ってしまうほうがずっと将来に悪影響を残すでしょう。
取りあえず大学受験レベルぐらいならば受験頭で十分な人もいるから問題なんじゃないですか?
子どもの人生は大学受験後もずっと続くのに、親は目先のこと、せいぜい大学合格までしか考えていない気がします。
地頭が多少変化するとしたら、机の上の勉強ではなく経験によってかなと思います。
一流大学だって本当は地頭を求めたいんでしょうけど、受験頭も合格する。
社会は地頭を期待して一流大学の学生を採用するけど、受験頭も入社する。
その先の多くは、大したことないという烙印でしょう?
期待が大きい分、失望も大きいものなんですよ。
それなのに、なぜ親が受験頭を追求するんでしょうか?
予備校のような学校に入れたがる親がいっぱいいるのはなぜでしょう?
「地頭がよくないから一流大学に入るには努力するしかない」とか何とか言いますが、
せっかくそこそこ優秀なのに、大事な我が子にそんなに烙印を押されたいの?
押されたときの子どもの気持ちはどうなるの?
もっといろんな経験をさせて、人にはいろんな価値があることを学んだほうが幸せじゃないの?
中学受験前、中学入学後、大学受験前、大学入学後、就職前、就職後、自分の限界を感じる時期はさまざまだけど、
親が勉強だけに価値を置くようにかかわると、それが満たせなくなったとき、
取り返しのつかないことになりかねないと思います。
地頭とは何か、という話題に「地頭より動機が大事」という話を持ってくるのはいかがなものかと思うが・・・
受験を終わった人は皆簡単に、中学入試程度、大学入試程度なら地頭なんてなくてもどうにかなる、と言うけど、
当時自分が苦労したことは忘れてるんだろうなあ。
子供持つと、それが机上の空論に過ぎない、マンガやドラマの世界にしかないファンタジーであることが、実感できるよ。
それが一風正論に見えるのは、「できないのは努力してないからだ」という言い訳が用意されているから。
他の条件はみな同じとして、
動機が立派な子供、一生懸命努力する子供、地頭のいい子供、3人が入試で競うと、誰が勝つかな?
地頭のいい子供よりも、動機が立派な子供、一生懸命努力する子供が勝ってほしいと私も思うよ。
(できたら性格のいいリーダーシップのある子に勝ってほしい)
だけど残念ながら、現実は、地頭のいい子が勝つ。そんなことは塾講師なら誰でも知っている。
そして、例外はあるけど、デフォルトは「栴檀は双葉より芳し」だよ。
塾に夢を見せられて無駄な努力をして、無駄に金をつぎこむ必要はない。
一連の書き込みを拝見して
元塾講さまのご意見に同意します。
明快に分析していらっしゃると思います。
動機や意欲は結果に影響する要因ではありますが
こちらでの地頭の議論においては、切り離して考えるべきではないかと私も思います。
むしろ地頭がよく結果がたやすく出るからこそ
内的動機を強化し、意欲をより向上させるという側面もあるのではないと思っています。
かくいう私も以前塾で教えていた経験があり
教えている立場から見ると一目瞭然なので、
元塾講さまの仰る通りだと思います。
でも「言わずもがな」なのかもしれません。
>「地頭」というのは、同じやる気、同じ動機を持ち、同じ勉強をしているのに、なぜか成績や合格校のレベルに差が出る原因でしょ?
同感です。
>地頭とは何か、という話題に「地頭より動機が大事」という話を持ってくるのはいかがなものかと思うが・・・
モチベーションを高くして、努力を続けることは大事だと思います。大学に入ったら終わりというものではないでしょう。世の中で成功を収めている人が、地頭がいいだけの人には見えないです。
こんばんは。
私は地頭肯定派です。
地頭は、定義はなかなか難しいですが、良いか悪いかは、ある程度子供達をみてきた人(学校の先生や塾の講師)にはわかると思います。
ただ、問題は、他人のお子さんならば客観的に判断できても、自分の子供は、全く判断できないことです。
誰だって我が子はかわいく、ひいき目に見てしまいます。
我が子が勉強できないはずはない、受験でよい学校に合格できないはずはない、もっと頑張れば、もっといっぱい勉強すれば、もっとお金をかけていい塾に入れれば、難関校に合格できるはず!
人事ではなく、エデュの幼稚園受験板や小学校受験板、中学校受験板を見る度に、自分自身、我が子を追い込んでいないか自問自答しています。
他人のことなら、そこまで追い込んでしまったら、子供をつぶすよ、と言えますが、自分の子供のことになるとまだまだ足りないと思ってしまいます。
本当に難しいです。
本当に信頼できる機関に、あなたのお子さんは地頭がいいのでこうやって伸ばして下さい、あなたのお子さんは地頭はよくないですが、芸術の才能があるのでこうやって伸ばして下さいとか、認定してもらえるといいのに、と思っています。
昔昔の時代は、子供もたくさんいて、親は生活に精一杯で、子供の才能を伸ばしてやりたい、よりよい環境で育てなくてはと肩に力が入っていなかったような。
今は子供も少なく、みなさん裕福なのでかえって手をかけすぎかなと思います。
あの~頭のいい人って結構粘りが足りないというか、何でもすぐにできちゃうので理解までの立ち上がりは早いけどその後は飽きたりして意外と大成しないと思いませんか?
地頭がいいから短時間の集中で理解できる。入試も余裕で入る。だけど別段好きなことが見つからず就職や大学院に進んでから目標がなく漂流したり自分探しの旅に出ちゃう人なんて見たことないですか?
頭がよくって器用で何でも知っているけれどこれっていう専門がなくて結局しこしこ地道にやってきた人に抜かれる才人って多いと思うんですが。
まあ、地頭がよくても人生では成功しなかったりギャンブルに走ったり、周りが馬鹿に見えて仕方がなくて驕慢になったり常に自分が正当に遇されていないと不平不満たらたらだったり・・・・・・・・。
そういう地頭のいい人よりも自分の好きなことを見つけて人生を歩む凡人の方がずっと大きな事をやったり社会的な尊敬を集めたりもするのだから、あんまり頭の良さと人生がうまくいくかどうかは関係ないんじゃないの?
凡人でも充実した人生を遣っていけるところが世の中の面白いところです。好きなことを見つけて努力できる人、目標に向かってこつこつやれる平均的な頭脳の人間であれば地頭のよしあしなんてあんまり関係ないよね。
数世紀に1人の天才は身近に見ていないので本当に地頭の凄い人ってどんなのだろうかと思いますが、東大や京大の理学部に行くと逆立ちしても叶わないという才能の持ち主がごろごろいるんでしょうか? 少なくとも東大医学部にはあんまりいないようですが・・・・・・・・。




































