女子美の中高大連携授業
地頭の良いお子様とは?
持って生まれた能力というものは、少なからず誰しも何かしらあられるとは思いますが、地頭の良いと思われるお子様とはどの様な方を皆様は思われていらっしゃるのでしょうか?
因みに、小六の息子の塾での地頭の良いと噂されるお子さまは、ご両親がお医者様。塾では誰とも話されないとか。しかし全国では常にトップに入られています。 後、夫婦共に弁護士の方のお子様は暗記がずば抜けていらっしゃるそうです。
息子の塾の一番上のクラスのお子様達のご両親の職業は七割が医者だそうです。やはり、地頭とは親の能力が関係しているのでしょうか。
皆様はどう思われますか?
知能指数も地頭とは違うんだよなあ。
受験に関する「地頭」は、いい成績と言う結果、難関校の入試合格点を出すポテンシャル。
知能テストで入試をしてるんなら、知能指数=地頭かもしれないけど、
知能テストと入試問題はだいぶ違うからねえ。
どこが違うのか。
知能テストは、延髄反射で解く計算スピードとか、記憶力とか、空間把握力は測れるかも知れないが、
設問者の意図を読み取る力とか、難問を解く力、すなわち大脳で考える力は全く測ってくれないんだ。
地頭、というのは、受験用にしても社会人用にしても、後者の大脳思考能力をさすんじゃないかな。
前者はそろばんやピアノと同じで、トレーニングすればある程度上達するし、賢い子より早くなったりするものだけど、
後者は子供によってどうしようもない壁があるのを、教えてて常に感じていた。
で、前者の延髄反射能力と、後者の大脳思考能力には、あまり連関がないというのが実感。
そろばんやれば手先が器用になって頭もよくなる、とか言うけど、
あれも頭のいい大脳の発達した子が手先も器用、というだけのような気がする。
まあ、多くの塾は、子供に考えさせるより大量のパターン暗記をさせるのが好きだから、
延髄反射で問題を解くようにしつけるものだが、それは余談。
地頭の差じゃない、動機で人生が分かれる、というのは、ちょっと違うんじゃないかなあ。
成功した人は動機があっただろうけど、動機があるからといって成功するもんじゃない。
難関高校生なんて、どうしても行きたい大学や行きたい学科があるなんていうのはごく少数で、
成績に応じて行ける学校の中から受験校を決めてるのがデフォルトだと思ってる。
それと、動機、ってそんなに大事かなあ?
動機が強い、というメリットは、「辛いときに耐えられる」だけだよ。
だから多くの塾は、目標を持てとか、目的を持てとか、志望校を持てって言うんだ。
辛い修行に耐えてもらわないといけないからね。
だいたい、どこの役所でも会社でも、人をこき使う人ほど「夢を持て」「目標を持て」って言うだろ?
だけど今の子供には動機は持ちにくいよ。右下がりの時代を肌で感じてるから。
そこらへんの子供に聞いてごらん。将来は今より良くなると思う?って。
「だから頑張らないといけない」とか悲壮感を持って一生懸命勉強してくれたらいいんだけど、
「多少頑張ったって一緒」という感じがすごくあるみたいなんだ。
昭和の御世なら、動機は大きなモチベーションになってたと思うけど、今はどうかなあ。
気にしていてもしょうがないと思います。世の中を渡るうえでのツールにこだわっていては 生きていけないのでは?
頭の良し悪しも 容姿の良し悪しも気にしていてもしょうがないのでは?
生きていくうえで必要なことはべつにある気がします。三人の子の母ですが 文面の通りどこにでもいる親です。三人三様 一番上は中高一貫校 かつ女子高 名門ではなく伝統校 たまたま受かったのでご入学。 決め手は保護者の方々が落ち着いていらしたこと。
二番目は、 本人の希望で公立中学。 三番目は親の期待を裏切って中学は私立じゃないといかないと奮戦中、ようは適材適所。向き不向きではないのかと思います。
当然、INPUTがないとOUTPUTできないので、INPUT性能が高い頭はOUTPUT性能も高い場合が多いのですが、何割かはINPUT性能だけに偏った頭の持ち主がいるんでしょうね。こういつタイプが高学歴だけど、社会で役に立たないタイプですね。また、やたら公平性を主張するような気もします(完全に公平な評価なんてないのにね)。
逆にINPUT性能が低い割にOUTPUT性能が高い頭の持ち主がいます。こちらが学歴が低い割に社会で役に立つタイプなんでしょうね。
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アウトプット能力の評価って、難しいね。
日本は確かにインプット能力偏重の傾向があるね。しかたないのかもしれないけど。
選抜考査でアウトプット能力の評価をしている国ってあるのかな?
親から貰ったもので全て決まるのだとしたら脳の構造も一生変わりようがないとして諦めるしかないですよね。
でも、小学生の中学受験算数を解けなくても大学入試の数学はそこそこできるようになるかもしれないですよ。大学入試レベルまでの数学はひらめきや突出した才能というより真面目にしこしこ定理を覚えて練習問題理解していけばできるようになるでしょ?
好きな先生に出会ったり、興味を持ったりするきっかけがあるととそっち方面の能力が開花していくことってあるかもしれませんよ。まあ、もともと潜在力があったのが顕在化しただけかもしれませんが。
だとしたら、いい刺激を脳に与えるとポジティブフィードバックでさらに自らどんどん研究したり探索したりするかもしれませんね。小学校時代の能力が(栴檀は双葉より~)固定したものと考えるのもどうなんでしょう?
いずれにしろ、「俺は頭がいい」と思っている人より「俺は頭が悪いから基礎をじっくりやらなきゃ分からない」とか「自分にはこれは苦手だからこっち方面に行こう」なんて人の方が将来伸びるんじゃないの?
「二十歳過ぎればただの人」なんて言葉もあるくらいですし、何はともあれ自分の得手や好きなことを見つけてそっちの努力を続けていけば大人になってからの将来は明るいですよ。10歳の地頭の違いなんて大したことじゃないでしょう。
>でも、小学生の中学受験算数を解けなくても大学入試の数学はそこそこできるようになるか>もしれないですよ。大学入試レベルまでの数学はひらめきや突出した才能というより真面目>にしこしこ定理を覚えて練習問題理解していけばできるようになるでしょ?
中学受験も大学受験もゴールじゃないんだけど・・・・
こんなこと主張して何の意味あるの?
中学受験算数を解けなくても社会に出てから云々という主張なら理解できるのですが。
それから、真面目にしこしこ定理を覚えて練習問題理解しているようなやつはさらに社会に出てからは真面目な単純作業労働者としてしか使えなさそうな気がします。これって、INPUT性能中心の評価さんが言うところのOUTPUT性能が低い頭じゃないですか?
元塾講さんの、地頭と動機・努力は別と言う意見に同意です。
特に努力は学力に直結しそうでいて、必ずしもそうでない場合もあるように思います。
なぜなら、努力という言葉は一つでも、その質が個々に違ってくるからです。
例えば志望校に合格したければ、受験日までに合格に足る学力を備えていればよいわけですが、
自己満足の努力ではそこまで至らないこともあるわけで…。
子どもの先輩で、学校の授業と通信教育のみで一人はT大、一人はK大医学部に現役合格した方がいます。
どのように勉強したかを尋ねると、二人とも「授業を大事にし、
わからないところは短期間の内に理解するようにした。」とのお答えでした。
誰でも努力すればできそうなことですが、よくよく聞くと一定期間にインプットしている量が半端ではない。
しかも体系的、効率的。
理解力があり、情報をうまく取り込む工夫もできるからだと思いますが、
その結果、演習等にも時間をかけることができるという、
まさに地頭の良さが良循環をもたらしている例だと感じました。
たしかに人並み以上の努力もされていたようですが、質の高い努力を変わらず継続できたのは、
大本に地頭という下支えがあったからこそではないでしょうか。




































