女子美の中高大連携授業
地頭の良いお子様とは?
持って生まれた能力というものは、少なからず誰しも何かしらあられるとは思いますが、地頭の良いと思われるお子様とはどの様な方を皆様は思われていらっしゃるのでしょうか?
因みに、小六の息子の塾での地頭の良いと噂されるお子さまは、ご両親がお医者様。塾では誰とも話されないとか。しかし全国では常にトップに入られています。 後、夫婦共に弁護士の方のお子様は暗記がずば抜けていらっしゃるそうです。
息子の塾の一番上のクラスのお子様達のご両親の職業は七割が医者だそうです。やはり、地頭とは親の能力が関係しているのでしょうか。
皆様はどう思われますか?
「努力と工夫が大事」を「子供を無理に頑張らせる」ということにつなげるからおかしくなる。
うちは、努力と工夫が大事だと思ってるが、○○目指して頑張れなんて無理強いしていない。
自分の適性ややりたいことを考えて選べばいいと思ってる。
大学までは順調に行ったとしてそこから先で挫折すると有名大学の学生ほどショックが大きいというか立ち直れない人がいますよね。「自分は出来る」と本人も周りも思っていたのが木っ端微塵になるのですから。
それが如実に自分に分かってしまう分野が純粋数学やら理論物理などの理学系や新製品を開発する部隊とか「無から有を作る」芸術なんかでしょうね。書いてあることは読めば分かるのは当たり前で更に新しい概念を提出したり発見したり、今までなかった体系を考え出すのだから大変です。応用系なら粘り強く実験を繰り返して物になったなんてこともあるんでしょうが。
数学や物理で能力の限界を感じて医学に転進する人は結構います。医学は先端の研究医でなく臨床なら地頭(才能?)なくてもやれますからね。一生懸命勉強して暗記して臨床経験をつみ教科書や文献どおりに診断して治療する。それでいて世の中の人からはそれなりに感謝されます。新しい病気を発見しなくても世の中の役には立っている。挫折した痛みを抱えているから病人にも優しくなれる。
どこかで自分の能力や才能?の限界に気づく機会があって「こっちはどうも無理そうだからあっちで生きていこう」とやれる人は幸せになれますがいつまでも過去の栄光にしがみついている人は・・・・・・・・・・あまりいい人生を送らないようですね。
案外「地頭で決まる」って思っている人の方が子供に熾烈な競争させてるんじゃないの?
競争に負けることは「地頭=才能」がなかったということになるわけでしょ。
医者としての適性もやりたいことも考えず理Ⅲや京医なんて目指してるのは、地頭論者が多いのでは?
地頭の優秀さを証明するための受験だったりね。
いやいや、「お前は才能なんてないんだから医者になれ」という父親(医師)は結構多いと思いますよ。数学オリンピックの好成績者が数学科に進まず結局理3に入っているのも本当のところどうなんでしょうね?
灘から理3が多いけど灘の生徒は医師の子供も沢山いたんじゃなかったですか?地頭の出来を確かめるというより受験の最高峰を目指すというモチベーションが彼らに強いのかな。
自信のある子、創造にかけるだけの夢を見られる地頭(才能)のある子は理学部に行って活躍してもらいたいですね。困難だけどエキサイティングな人生送れる可能性はあります。
「地頭=才能」の存在を否定しているわけではありません。
ただ「地頭がないからダメなんだ」という考えではないということです。
それと社会にでて成功するのは「地頭自慢<<<努力を継続する人」なのですね。
地頭の占める割合はかなり低くなります。
下村さんも、地頭なんてものより、毎日クラゲをとり続けて工夫し地道な研究を続けたことがノーベル賞につながったわけですね。
たとえば、こう考えるとどうですか?
結果を2次関数で捉えます。
X軸が努力量
Y軸が実力
Y切片と傾きが地頭
何もしなくても、Y切片が高い人がいる。
スタート時から差があるので、地頭が良いと注目される。
努力した分だけ実になる人がいる。
そのような傾きの大きい人は当然地頭が良いと注目される。
でも、傾きが小さくてもY切片が0でも努力の分だけ力は着く。
その意味では努力は尊い。
ここでの問題は2つ。
①努力出来る量には時間的限界がある。
②努力に対して結果が乏しいと、心が折れやすい。
中学受験の時、どんなに努力や工夫をしても、
1日24時間集中して勉強し続けることはできない。
時間的に努力量の限界があるなら、当然受験時の学力には限度がある。
それを見極められないで過度な努力をすると、
心が折れやすい。潰れやすい。
元塾講さんのおっしゃる通り、
子供の地頭を理解しないで、
過度な努力をさせる親は、どうかと思う。




































