女子美の中高大連携授業
私立中学の価値
この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。
2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝
>>受験勉強の場合はその先にプロの世界はないから、それでは通用しない世界で生きていかないといけない。
>>そこで受験のチャンピオンが選ぶのが、受験勉強でとれる資格で生きていくという選択なんだろうね。
>↑
>わけわからんわ。。。
>自分の学部、学科で学んだ事で就職して行って、そこで「物作り」する事も立派な「プロ」なんちゃうのん?
そう、それは「物作りのプロ」。
社会では、「機械設計のプロ」「編集者のプロ」・・・いろいろなプロがありますね。
で、私が言いたいのは、社会に「受験勉強のプロ」はないでしょうということ。
それに、受験のチャンピオンであることはそのような社会でのプロとしての優秀さつながらないとうこと。
>プロにならなかった、他の99%にとって、野球は職業として意味がないだろ。
>それだけ受験勉強出来る人が『受験勉強 ”しか”できない』って。。。
野球ばかりやってきた人が野球しか知らないということは、野村監督も言われています。
小学校から高校まで塾依存で受験勉強ばかりやってきた生徒が受験勉強以外できないのはそれと同じです。
>皆さん、本当に公立か私立かの違い程度で、ノーベル賞級の頭脳がダメになったりすると思っていらっしゃるのでしょうか?
一流の研究者と受験のチャンピオンを分けるのは頭脳の差ではありません。
未知の探求に対する意欲の違いです。
下村脩博士は研究のため毎日クラゲを取り続けた。
受験のチャンピオンは「点数」や「受験」への意欲は高くても、そのような「未知の探求」への意欲が欠落するのです。
繰り返しますけど、研究に専門分野の基礎学力は必要ですよ。
研究のチャンピイオン達も、東大や京大でなくても、専門分野の基礎学力は十分です。
ただ、そんなレベルを超えて、小学、中学、高校と塾依存で受験勉強に邁進するのは有害無益と言っているわけです。
>視点さんが書かれたノーベル賞学者の方々は、有名進学高校出身だったりするのですか?
野依さんは灘卒で京大工学部。
化学を研究したくて京大工学部に進まれたと書かれていたような・・・。
その進路選択に「偏差値」などではない「志」が現れています。
今の灘で、野依さんのような志をもって京大工学部に進む生徒がどれだけいるのか・・・。
>皆さん、本当に公立か私立かの違い程度で、ノーベル賞級の頭脳がダメになったりすると思っていらっしゃるのでしょうか?
難関と言われる某国立大学で研究指導をしている立場で言わせて戴くと、公立私立という別ではなく、小学生時代に受験勉強で締め上げられた学生は大学に入ってからの伸びが悪いです(昔から言われていますよね)。
また、就活で内定が取れない受験チャンピオンがたくさんいます。
学生は関東の私立御三家や各県の公立御三家と呼ばれる学生が中心ですが、良い研究をしたり就活での成功度が高い順に並べると
1)無理をせず私立名門に入った生徒
2)公立名門出身(あまり無理をしていないように見える)
3)無理をせず中堅私立に入った生徒
4)無理をして私立名門に入った生徒
5)無理をして中堅私立に入って、スパルタ教育で大学に合格した生徒
となります。
1)はいわゆる天才肌なので、どこで育っても大丈夫かも知れません
2)は親が高卒だったり、伸び伸びと育っている学生が多いです
3)のグループは無理をしていないという自覚から自分はまだ出来るという気持ちを持ちやすいです。
4)は自信の無さとプライドの高さが混在しているので複雑です。
5)は頭は悪くないかも知れないのですが、教師に従順なタイプが多いので、自分で考えるのが苦手です。
ノーベル賞がどの層から出るのか確信は持てませんが、指導をしている実感では1)〜3)だと思います。
4)の学生は3)の生き方ならもっと伸びたのではないかと思う時はあります。
横からすみませんさん
自己申告の信憑性はさておいて、
西高の数学にチャレンジしてみました→時間内に全て解くのは無理でした→教えるのは正直無理かも。
開成中の数学にチャレンジしてみました→時間内にすべて解けました。楽勝です。→中学受験用の算数は教えられます。
というのが「論理」です。
あなたの場合の「教えられる」根拠は、
「自分自身が中受を経験していますし、学生時代に家庭教師もしてましたので」
ということですが、この程度では「教えられる」根拠にはなりえません。
中学受験経験者の99%が開成中の数学を時間内にすべて解けません。学生の家庭教師しかり。
対高校受験に関しての基準に対して大甘の「ダブルスタンダード」です。
「教えられる能力」には関係なく、ここで書いていることの非論理性。
これはバカにされても仕方ない。
「あえて公立中を選択されるご家庭」もこんなものでしょう。
やっても見ていないのに根拠のないひとりよがりの自信だけで「できるはず」と思っているだけ。
”公立は自分で考えるところ ”さんの投稿を読んでいると、昔の”子育て本”を思い出します。
子供が生まれてから、ありとあらゆる”子育て本”を読みましたが、考え方がそっくりです。
間違っていはいないのだろうけど・・・。
「子供はほっとけばいい」と言うけれど、そういう彼らは皆たいそうな学歴だったりする。
育った環境も良かったりする。
思ってみれば、以前の子育て本って男性の著者が圧倒的に多いんですよね。
しかも年配者が多い。
ご自分は何もしなかったかもしれないけれど、奥様ががんばったんじゃないの?と疑ってしまう(多分そうだと思う)。
子育て本を読んでどう思ったかというと「で、具体的にはどうしたらいいのよ?」。
観念論ばかりで具体性が何もない。あっても今の時代では出来ない事ばかり。
「ほっといても大丈夫な、そんな秀才の話をされてもなぁ」と。
最近では同年代の著者(男性も女性も・40代~50代前半)がいろいろ書いてますね。
こちらはわりと共感できます。
男性の著者でも「私はこんな風にしたよ」という具体的な話があって参考になります。
「理想通りにはいかないよね。悩むよね」という姿も見える。
これはジェネレイションギャップでしょうか。
(年配の男性の方々、失礼しました。私の主観ですのでご容赦を)




































