女子美の中高大連携授業
私立中学の価値
この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。
2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝
ひとつ、人類が忘れている根本的な事がありますね。
空が飛べないんですよ、カラスやスズメより劣っているんですよ。
だからと言って、鳥人間に変化する訳でもなし、と言う事は、知恵を
つけるしか無いんですね。
知恵は、何からでも得られます。
勿論、受験勉強からも。
人間は考える葦である、いつでも人生のアイデアを出して、埋めていかなければならない。
昔の日本のように、格差で世の中を分けるような事はしないで、人類同士、協調して知恵を分けあえれば良いですね。
>「古文書がなんだ!。尖閣は日本の土地だって『週間現代』に書いてあったぞ!!知らないのか『週刊現代』を!あそこの、灘特集なんて、一級品の資料なんだぞ!」
「古文書」???
「尖閣は日本の土地だ」、そう書いてあるのは「週刊現代」だけではない。
四谷大塚の「予習シリーズ」にもそう書いてあった。私は知っているんですよ。中受の家庭学習で社会を担当させられたから。サピックスでも早稲アカでも日能研でもそう教えている筈。そう教えないと中受で落ちますよ。それからね、、、、、、
ま、いいか。
>私、あほやわ~見習わなくちゃ・・・
そんなことありませんよ。
>それは耐えられないに決まっているでしょうね。
でしょう?
>というか、ここまで戦後の日本がアメリカナイズされてしまっていては、文化の比較など日本人にとっては意味を持ちませんしね。
ああ、文化の意味?ここではその言葉に深い意味はありません。
>このままいくと、加速度的に日本が中国に取り込まれる方向へ向くでしょうね。
でしょう?
>この際プライドはおいておいて、「日本人が有益に暮らせる」ということを主眼として考えた時、どちらに向いているのが得策なのでしょうね。
それが難しい問題なんですよ。なぜなら、「プライドはおいておいて」、短期的にある種の日本人だけが「有益に暮らせる」ということに「主眼」をおいてしまうと、長期的には日本人全体が「有益に暮らせ」なくなるのではないか、という懸念が生じるからなんです。どうですか?
>石原さんに是非続投お願いしたいです。
>「いま日本人は平和の毒に浸かっていて、堕落してきたからね。平和というのは、 自分が努力して犠牲を払ってこそ得られるものなの」と
それはそうでしょうね。
やはり「国軍」というものをおろそかにしてはいけませんよ。
田母神さんに国防大臣でもやってもらわないとね。
>核じゃないけど、核なみのものを、誰か開発してくださ~い!
>非核三原則を放棄するよりは、そっちのほうが早そうだ(笑)
でも、やはり核保有が一番手っ取り早いのでは?
手順としては、まづ小泉進次郎君を首相に任命して、毎年かならず8月15日に全閣僚を引き連れて靖国参拝してもらう。マスコミが騒ぐ。中朝韓が反発する。経団連が申し入れをする。でも、全て無視する。すると、北朝鮮が脅す、「東京を火の海にするぞ」。そこで「やむを得ない」と、すかさず田母神防衛大臣が核開発を宣言する。
アメリカには、外務大臣佐藤優と実務担当者薮中三十二事務官を派遣し、事情を説明する。「日本の核はあくまで北京を標的としたものであって、アメリカ本土にはとどきません。ご心配無用です。」同時に、アーミテージ元国務副大臣にお願いして、アメリカ政府を説得してもらう。
どうです?完璧なシナリオでしょう?
>でも、やはり核保有が一番手っ取り早いのでは?
>どうです?完璧なシナリオでしょう?
どうなんだろう。
日本は、たぶんほぼ永遠に敗戦国の汚名を着せられたままだから、
理由が何であれ、「核」を持つというのは、難しいんじゃないの?
これまではそれがなかったから、列強たちはいろいろいうこときかせられたのにさ。
しかもアメリカの経済植民地からの独立宣言的意味をもつわけだし。
日本が自立したら、はっきり言って、いろんな意味でかなり強いんじゃないの。
嫌なら嫌っていえるようになっちゃうわけで、他国はそうあってほしくない(笑)
核を開発するといった時点で正真正銘の陸の孤島に。
経済的いらがらせや資源供給のストップなどなどが強烈にかかるでしょう。
いっそのこと、「開発済みで、もう配備しちゃいました!!」
のほうがいいかな~。それだったら、いやがらせしてももう遅い!
>どうなんだろう。 日本は、たぶんほぼ永遠に敗戦国の汚名を着せられたままだから、理由が何であれ、「核」を持つというのは、難しいんじゃないの?
それは難しいでしょうね。
>日本が自立したら、はっきり言って、いろんな意味でかなり強いんじゃないの。 嫌なら嫌っていえるようになっちゃうわけで、他国はそうあってほしくない(笑)
そうですね。アメリカだって嫌に決まっている。でも、他国の感情はともかく、日本は日本ですからね。最初から無理だと諦めていても仕方がない。意志さへあれば、チャンスを生かすことも可能。今は、意志すらないからダメなんだ。
>核を開発するといった時点で正真正銘の陸の孤島に。 経済的いらがらせや資源供給のストップなどなどが強烈にかかるでしょう。
いや、だからこそやむを得ずって状況をつくる必要がある。それには「靖国参拝」がうってつけかな、と。
>いっそのこと、「開発済みで、もう配備しちゃいました!!」 のほうがいいかな~。それだったら、いやがらせしてももう遅い!
いざとなったら、それでいいかも。北朝鮮みたいに。でも、それだと「正真正銘の孤島」も覚悟しないと、かな?
■通りすがりの企業人さん
出版社に、「正誤表」送れば、図書券ぐらい送られてくるかもしれませんよ。
もしかしたら、作者も修正することもあるかもしれませんよ。
言ってみたいな「私が指摘した箇所が直ってるな」って。(笑)
■視点さん
>意見の中身を批判するのはいいけど、相手の個人(人間性)攻撃になったら議論も終わり。
よく言った。視点さん。その通りだ!!
で、どこらへんが、人間性への攻撃なのかな??
この文章の「ここ」が、私の「こういう」人間性に対する攻撃だ。とわかりやすく指摘してくれ。
次に「人間性を問題にされることをしてない」のに「人間性を攻撃されて」のなら、それは、ひどい話だ。
人間性を問題にされても、しかたがない、ことなど「してない」という、弁明も一緒にしてね。
それから、もしかしたら、個人攻撃でなければ、属性(団体)なら、なに言ってもOKとか思ってないか?
属性(団体)は、『個人』で構成されていて、攻撃対象は、結局はその『個人』であることを認識してるのか?
心が痛むのは、属性じゃない『個人』だ。
で、いままで、開成、灘、中高一貫校の生徒の「人間性」や「能力」に対して、なんて言ってきたんだ?
もう一度、書いてくれ。
私が、書いてもいいけど。
で、それは、攻撃じゃないんだな?
上記内容に「私が納得する」返答があれば、私は、いつでも、喜んで、謝るよ。訂正もしちゃう。
■皆さん。
では、テーマに戻って・・(笑)テーマ無視してきたけど・・・
「私立中学の価値」というか、公立でも、国立でも、私立でも、中学でも。高校でもいいのだけど・・
選択『可能』な場合「どこに」学校の価値を見出すのか。(偏差値除いて)
誰のレスだったかなー?
>公立という貧弱な環境、劣悪な環境から我が子を隔離したいという親心が劣悪な
>環境を自らの工夫で乗り越えるという絶好の機会を奪っているのかもしれませんよ。
(※私は、公立は劣悪であるということを、言ってるわけじゃないよ。)
こういう「アンチテーゼ」は、常にあって、否定できない部分はあるわけです。
それが、価値といえば、価値といえるわけです。
上げ膳据え膳、おんぶにだっこ、ぬるま湯 という言葉と一緒にね。
まあ、実際は、どうなるかわからないわけで、「とても強い子」になるのか、「劣悪な環境を作る側の子」になるのかもわからない。(ある意味適応といえるかもしれないが・・)
しかしながら、学生時代にどこで、過ごすかということは、人生の一部であって、当然大事なことでね。
(その子が、成長する時代ですからね。)
私は、基本は、「好ましい」環境で生活をおくれるなら、それは選択するべきだと思う。
それは、すごく、当たり前の感情だね。
卒業して、自分の「母校に愛着を持てる」学校がいいな。と・・思うわけですよ。
「あんなとこ、思いだしたくない」「べつに・・なんとも」と思うよりもね。
設備面もあるけど、やはり、友人や教師や伝統が作る、学校のエートスもポイントなんだと。
偏差値は除く・・にしてるけど、当然、偏差値の高い方がいいわけで、大学合格実績が良い方がいいわけで、それは、肯定するよ。(勉強することが、特別なことではないという、仲間がいれば、モチベーションが違う。)
まあ、ここでは、偏差値の話は、おいておくとして・・・・
例えば・・人間力として
よく言われる、コミュニケーション能力や、感受性は、どこで伸びるのか??
内田樹氏の発言にこんなものがある。
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「我慢する人」は、日々のコミュニケーションの中で行き来する非言語的シグナルの多くを受信できなくなる。
「こんにちは」という挨拶ひとつでも、それが儀礼的なものなのか、愛情や敬意のこもったものなのか、憎悪を蔵したものなのか…それを表情や速度や発声や姿勢から見分けることができなくなる。
「話の通じないやつ」「場の読めないやつ」というのは、要するにコミュニケーション感度の低い人間ということなのである。
コミュニケーション感度は生得的なものではない。
人は「イヤな仕事、嫌いな人間、不快な空間」を「我慢する」ために、みずから感度を下げるのである。
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ポイントは、「感度を下げる」とこだよね・・
これは体験的に凄く納得できることで、他を見ない、自分を消すという方法をとる。
これは防衛本能的ものなので、しょうがないことですしね。
鈍感力ではないですが、必要ともいえるでしょう。
でも、驚きや、感動や、幸せは、感度の高い状態じゃないとやはり難しい。
だから『一度』は、「好きな事、好きな人、快適な空間」で 感度を一度上げて欲しいのです。
(全部揃うことはありませんが・・)その体験が『先に』必要なのです。
だからこそ、親は、その環境的部分も期待して、学校を選択できるならするのです。
それに、環境がいいから「問題もない」。なんてことはなく、「なんかある」のが普通だしね。
『ベース』が「ある」から、「かわいい子には、旅をさせよ」になる。のではないか?
『ベース』が「ない」なら、わざわざ、旅に出すこともない。
家庭とか、学校は『ベース』であって、『ベース』が「劣悪でもいい」という論には乗れないんだよね。
「ベース」に安定や信頼があるから「旅にでる」そして帰ってくる。そうじゃなければ、「逃げる」でしょ。
それを踏まえて。。これは、個人的、私の見方だが・・・
公立でも、私立でも、卒業生が「また自分の子ども通わせよう」とする傾向があるか?
たぶん「時代を超えた再現性」のある学校は凋落しにくいし、価値の持続が可能になる。
(入れることが出来るかどうかは、別)
しかし現実問題として、その際に、大学実績が凋落が著しいと、価値の持続が難しいのは、都立が実証済み。
ここらへんが、まあ、現実的に難しいとこでしょうね。
学校のポリシーと、現実的要求を、どうバランスとるのか・・
行った学校で、どうなるかは、わからないけどね。その時は、その時。
まとめ・・
■子供の「感度」が上がる学校かどうか?■




































