在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値
この不景気の中、希望しない私立中学へ無理して行かせる道理がないと思います。
公立中学という保険もあることだし。
皆さんどう思われますか?
我が家の場合、子供はまだ小4ですが、受験希望は以下の通りで、それ以外の学校なら公立中学へ行かせるつもりです。
新興系、成り上がり系、スパルタ系、予備校風系は基本的にパスです。
希望の私立中学に合格しなかった場合は、公立中学から県立トップ高校を目指します。
2/1 麻布か開成(武蔵もOK)
2/2 なし(栄光、聖光は良い学校だけど遠いので)
2/3 早稲田か暁星(筑駒は学区外なので)
2/4 芝
>一生懸命がんばる子どもを「過剰な受験勉強」と周りの部外者が茶化す。
>「そんなに勉強ばっかりしてたらろくな大人にならない。」と周りの部外者が茶化す。
よくある都市伝説では?
それか、性格が悪い子の特例かな?
実際頑張っている子は、ほめられることは合っても、けなさせることはないよ。
周りからほめらるので、益々伸びる。
自分も子供のころは周りからちやほやされたし。
視点支持派さん。
>高校2年の後半から学年1位でした。
>そしてどのステージでもTOPを取るために勉強していた。
>その結果として現在のポジションに辿り着いたと考える。
>とのコメントでした。
>工学部を選んだのも、就職に有利だから・・・だそうです。
わはは。
根岸さんって、受験のチャンピオンであり研究のチャンピオンだったんですね。
またも、視点・動機学派の砦が崩れましたね。
愉快、愉快。
ずっと以前に別スレで、視点・動機学派の砦を崩す研究者として
お名前を挙げさせていただいた、
“灘中・灘高・東大理III・東大医学部卒の世界的細胞学者”月田承一郎博士ですが。
膵臓がんで亡くなられる直前に、文字通り、命を削って書かれた
「小さな小さなクローディン発見物語―若い研究者へ遺すメッセージ」
という著書があります。
その中で博士は「幅広く勉強することの大切さ」を次のように表現されています。
『大きな宝のそばをたまたま通りかかる・・・・大部分の人は、気づかずに通り過ぎる。
皆が気づかない宝がそばに落ちているのに気づく人こそ立派な研究者。
この気づく能力が”視力”。この視力は、何の役に立つかに関係なく、
貪欲に広く知識を吸収し、体系化することから得られる。』
老眼さんが書かれている
「学習と経験(体験)は互恵的関係」に通じるお話しです。
視点さんの「受験チャンピオン」や
動機さんの「過剰な中学受験勉強」には通じないようですが。
>普通の中学受験生は4・5年は平日の半分は暗くなるまで遊び夜は勉強。
>平日の残り半分は夕方から勉強。
>土日は日中は習い事やスポーツ、遊び、夜は勉強。
>6年の後半は毎日勉強漬け。
これが普通かどうかは別として、この程度の勉強で中堅私立に入ったお子さんは伸び伸びしていて可愛らしいですよ。
親の「公立中学ならその他大勢で終わってしまったけど、学校で大切にしてもらっているの」という話を聞くと、なるほど私立もいいなと思います。
でも私の周囲では子供を叩いたり怒鳴りつけたり物で釣ったりして平日は毎晩塾で、土日も塾漬け(それも小4や小5から)というご家庭もあって心が痛みます。
中学生の塾のお迎えついでに覗いた小学生クラスのデブ・ガリ・メガネ・猫背の割合の高さにもヒキました。
自分の教育熱心さを自慢する親(塾とは別に家庭教師に10万くらい払っているとか、受験のためにマンションを借りているとか)、「お金をかけてバカ&不健康にして、バカみたい」と笑ってしまうのですが、子供の立場を考えると辛くなります。
みんな、それこそ過剰な受験勉強をしないで済めば良いんですけどね・・
ちなみに根岸さんは受験地獄はそこそこ支持していますが、たぶん中学受験ではないし、親に締め上げられて勉強した訳ではと思いますよ。
月田先生とは面識がありますが、ガリ勉タイプではないです、
あの~・・・・私は勉強そのものを「下らない」とか「やる必要がない」と言っているのではないですよ。子供のころに過剰な中学受験勉強をさせるのは生育にゆがみをきたすのではないか?・・・・・と言っているのです。
大事な子供時代は一回だけなのですからその間は沢山遊んで豊かな子供経験しておきましょうよ・・・という話です。学校の帰りに道草してカエルを捕まえたり喧嘩して泣いたり泣かせたりなんて小学生ぐらいじゃなきゃできないでしょ。(大人でやれば電車止めたり海老蔵になっちゃう)
中学受験がそれほど大変でないという方がいますが他のスレをご覧ください。この時期母親の苦悩やストレスが満載されるではありませんか。それだけの犠牲を払ってまでする中学受験って何でしょうね?
昔は一年だけだった受験準備が(家で試験範囲を自習して日曜テストと解説)塾の営業政策でどんどん伸びて小4や小3から・・・・・・先日は小2の無料テストなど新聞に載っていた。 そうまでしてやる中学受験で得られるものは何ですか?
「親の安心」得るために子供を泣かせて母親も悩んで家族総出の一大イベントの中学受験をやるより、子供が自分で選んで調べてやる18歳時の大学受験を後ろから見守っているだけでいいんじゃないですか?
公立は自分で考えるところさんのように、ネットの掲示板を真に受ける人っているんですねー。
テレビや新聞でも過激な相談内容が載りますが、あれが世間の全体像だって思う人がいるわけですね。
一部の過激な実態が横行するのが虚像の世界なのですよ。
常識的でまともな実像は、ここで相談に上がることはないでしょう。
ちょっと疑問があるのですが、私立の中堅校って大学受験で5教科7科目勉強すれば別ですが、中には中学受験以降は内部進学や指定校推薦などで大学卒業まで出来てしまうことってありますよね?私立大学でさえ卒論なしで卒業できたり、授業が私語だらけだったり、レポートの書き方もわからない卒業生がいるような割と有名な大学もあると聞きます。そうなると公立中学に行って高校受験の勉強をする子より勉強はしなくても済んでしまう場合があるのではないでしょうか?環境を得るという面はあっても勉強の方は不安感も出てきます。
シルバースプーンさん下記は月田先生の書かれたものです。今の中学受験が異常とは思わない方たちも適性さんも、地域・時代さんもじっくり読んでみてください。
その後感想をお書きいただければ幸いです。
中学入試における異様な体験
この冬は、息子の中学入試で大変だった。 普段あまり勉強の面倒を見てやれなかったので、年末の願書の提出から、1月10日から20日までの受験シリーズを徹底して付き合うことにした。 実際、自分の息子の試験でもないと、現代の中学入試の実態を肌で感じることはできなかったであろうから、大学に身をおく教育者の端くれとして、ある意味では貴重な体験の日々であった。 なぜ、この私的な体験について「つぶやいて」みようと思ったのかというと、大体、大学の教職者の多くは子供を持ち、多くはこのような中学入試の実態を親として経験しながら、誰もこれが「変だ」と騒がないのが、「変だ」と思ったからでもある。
そもそも、中学入試の状況は、地域によっても異なるようである。 我が京都が存在する京阪神間は、全国でも屈指の教育熱(?)の高い地域のようである。 そういう僕も、神戸に生まれ育ち、「灘中高等学校」で6年間を過ごしたのであるが、僕が中学を受けた頃とは中学入試を取り囲む状況そのものが全く別物だと言ってよい。 それを如実に表しているのが、灘中学校にもっとも近い小学校である我が母校、魚崎小学校から灘中学校に受かる人数の変遷である。 僕が灘中を受けた頃は、大体クラスの上位の人が各クラスから一人ずつくらいは受かったように思うので、10人前後はもっとも近い小学校から灘中学校へ移ったのではなかったろうか。 考えてみれば、これでも変で、それ以外の人はほとんど歩いて通えない距離から灘中に通っていたことになる。 ところがである。 最近は、ほとんど、魚崎小学校から灘中へ行ける人がいないというのである。 曰く、灘中は昔と違って全国区なのですよ、と。 それは、大袈裟にしても、かなりの子供が、かなりの長距離を通学しているらしい。 やはり、普通に考えると、これは「変」じゃぁないか?
なんてことを、息子と受験事情に僕よりは詳しい家内と相談しながら受験校を決めて、願書を書き始めながら考えていた。 願書を4つくらい書いたか。 今から考えると、これも「変」な気がするが、自分の子どものこととなると、全く客観性がなくなっていたことに今になって気づく。 ほんの直前になって受験に関わり始めた僕でさえである。 でも、これは「変」なことの序章でしかなかった。
まず、最初に、難関と言われる某中学校(念のため、灘中ではない!)の入試があった。 ひょっとしたら息子以上に僕は緊張していたように思うが、朝早く起きて、電車に乗って、入試会場へついていった。 びっくりした。 広い校庭中にテントやビニールシートがところ狭しと置かれ、息子は自分の通っていた塾の鉢巻きをして旗を持ったお兄ちゃんに「おい、月ちゃん、頑張れよ」と言われて、あっという間に、その塾の子たちが集まるビニールシートの方へ連れ去られてしまった。 そして、そこで始まるのは、入試直前ゼミである。 今、こうして書いていると、書いている方が恥ずかしくなって、笑ってしまうのであるが、そりゃ、そこで授業やれば、まさに「入試直前」ゼミに違いない。 でも、その途中で、となりのビニールシート、すなわち、息子が行っていた塾のライバル塾の方から、突然(に思えたのであるが)、シュプレヒコールが起こり始めた。 「XX中学校に絶対合格するぞー!絶対合格するぞー!」と、多分塾長と思われる鉢巻きしたおじさんに合わせて、子供たちが拳を天に突き上げて叫んでいるのである。 度肝を抜かれていると、目の前の息子達の集団がヌクっと立ち上がって、もっと大きな声で「XX中学校に絶対合格するぞー!絶対合格するぞー!」と叫び始めた。 前で音頭をとっているこちら側の塾長も真剣そのものである。 このシュプレヒコール合戦が終わると、子供達は、鉢巻きのお兄ちゃんたちに誘導されて、試験会場へと消えていったのである。 その場にいると、馬鹿な父親である僕もシュプレヒコールの最中、「おー、頑張れよー!」と心の中で叫んでいたような気もするが、やっぱり、後で考えると、これも滅茶苦茶「変」である。 大体、誰の許可を得て、塾が中学校の校庭を使っているだろう。 塾に行ってなかった子が、この中学校を受けにくると、自分だけシュプレヒコールができなくて、とても不公平だ!? 我が京都大学の受験で、予備校にグラウンドを開放して、こんなことしたら、大変な問題になるであろう。 なぜ、中学入試だけ許されるのだ?
息子が入試会場に入ってから、保護者控え室というところに、論文の材料を詰め込んだカバンを持ち込み、コンピューターを広げて仕事をしようとした。 が、無理であった。 そこにいたのは、ほとんどが母親だったのであるが、その母親の間の会話が強烈で、こちらの耳がロバ状態になり、とても集中して論文書きが出来る状態ではなかったのである。 ある母親は、「XX中学は、去年は何点までが合格で何点までがその後の補欠合格だったし、##中学はそれが何点と何点だっし、++中学は何点と何点だったし------」とすべてを諳んじていて、しゃべりまくっている。 ある母親は、壁に張り出された算数の入試問題を頭から解き始め、去年より難しいとか易しいとか議論している。 過去の問題を全部やって、覚えているのか? 試しに、横から問題を覗いてみて、またまた驚いた。 難しいし、量が多い。 これをどうして60分間で解けというのだ? でも、その母親は、この問題だと100点もいるだろうと騒いでいる。 嘘だろう! これが時間内に全部解けるということは、それは「数学(算数)」の実力とは別物だ。 小さい時から鍛え上げた曲芸のようなものだ。 まともに考えていたら絶対に時間が足らない。 まぁ、自分の子供を曲芸のできる達者な子供に育てることは、親の勝手で、とやかくいう事ではないとも思ったが(うちの子だって、曲芸を習わせるのが一般よりはかなり遅かったにせよ、習わせていた訳であるし)、一番僕が常識を疑ったのは、出題する側の良識である。 なぜ、このような曲芸のうまさで、子供を選抜しようとするのだろう? これが、本質的にものを考える子供を選ぶ方法として、明らかに不適切なことは、数学が好きで教育者になった人なら、当然分かるだろう。 何故だろう。 と、ボーと考えていたら、結局、大学の入試のあり方が、その根本にあるのかもしれないという、自省の念が生まれてきた。 6年制の私立中学・高等学校は、要するに「良い」学校として評価され、健全な経営を成り立たせるためには、世間でいう「良い」大学に卒業生を多く受からせなくてはならない。 これ自体は当然で責められることではない。 きっと、これらの学校は、本質的にじっくりとものを考えられるような(曲芸のできない)子を中学入試で取るよりも、信じられないほど鍛え上げられた曲芸の達者な子を取った方が、大学入試の結果が良いという判断(または経験)をしているのであろう。 普通に考えれば、そんな小さい時から詰め込んだら、人生の途中で疲れてしまうだろうと、誰でも思うが、とにかく大学に入るまでに燃え尽きてしまわなければ、私立中高の戦略としては、良いと言えば良い(正当な教育論としては良い筈はないが)のであろう。 この学校の入試説明会にいった家内が言っていたことを思い出した。 曰く「入試の時のトップ30人くらいは、そのまま大学入試までトップ30位以内を保つんだって」。 要するに、マラソンに例えれば、小学校の時から、トップ集団にいないと、後から追い上げようとしても、少なくとも大学入試までには、差がつきすぎていて追いつけない、すなわち先行逃げ切り型のランナーでなくてはならないということだ。この状況も僕らの頃とは、全く違う。 灘中高の僕の学年でも、高校3年生ぐらいから急激に伸びる友達が何人もいた。 でも、今は、このような追い上げ型の人間は、まず、中学入試でふるい落とされ、大学入試でふるい落とされ、どんどん人生の中でハンディを負うようになる。 これは「変だ」と言っているレベルではなく、ものすごく恐ろしいことではないか? では、大学入試をどうすれば良いのか? 今のような形の選抜では無理なのだろう。 よく言われているように、アメリカ的に入学希望者に対しては、門戸を思い切り広くして、大学の中で絞り込めば良いのか。 でも、そのためには、大学の教職者の数を大幅に増やすとか、設備も大幅に拡充するとか、そういった手当が絶対に必要である。ありきたりの結論になってしまった。 しかし、これもありきたりの議論であるが、教育は国の将来を決める根本である。 僕と息子の間のたった一世代で、これだけ変な方向に迷い込んでしまっている教育システムを抜本的に変えないと、孫の時代のこの国は駄目になるんじゃぁないか。
この日を皮切りに、いろんな事を体験した10日間であった。 つぶやき疲れてきたので、このぐらいにするが、驚くこと、怒りを感じることの連続であった。 一つだけ付け加えるとすると、入試結果のいわゆる「情報公開」にも、その透明性に随分差があると感じた。 我が息子は、距離的にもレベル的にもとても無理なので受けていないが、我が母校の灘中では、合格者も不合格者もすべて点数を公開するそうである(お母さん方の会話を盗み聞きした)。 全国区の余裕なのだろうか? 不合格者だけ点数を知らせる比較的フェアーな中学もあった。 ひどい例では、全く点数を公開せず、選抜方法も2本立てできわめて複雑・不明瞭で、腹立たしく感じた学校もあった。
教育者である筈の僕が、こんなレベルの教育に対する認識かと笑われるかもしれないと、つぶやきながら考えたが、毎年講義をしている学生さんに「目の輝いている」子が少ないことが常々気になっていた僕にとって、少し謎が解けたような気がしたので、つぶやいてしまった。 でも、悲しい複雑なつぶやきではある。




































