在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
公立中学の価値
最近、公立中学に関する内容のスレが多いので建ててみました。
ゆとり教育を発端とした公立中学の吹き零れリスクの増大。優秀生徒の放置。
相変わらずの日教組主体による習熟度別クラス編成への反対。
成績上位者にとって公立中学での勉強は果たして意味があるのか?
例えば、公立王国愛知県の6年生の通塾率は50%程度、中学3年は65%程度。
つまり、大学等進学のほとんどが小学高学年から塾通いなのが現実。
愛知県の例で考えると、公立の教育システムは公立小・中と塾のダブルスクールが5・6年間も続く非効率的なシステム。
金銭的に余裕があるのであれば絶対に中高一貫校に進学することが、子どもにとって本当にゆとりのある質の高い教育だと思うんです。
みなさん、どう考えますか?
出来ることなら、公立に関する話題はこのスレで隔離して欲しいってのが本音。
で、公立中学の価値はどの辺りにあるんでしょうか?
なんか、こう、おおってレスは無いんでしょうか?
公立中高一貫や国立は、所謂公立中学ではありませんよね。
ここで言っている公立中学は中学受験を経ていない公立中学ですよね。
わたしは、小学校高学年で色々な価値観や生活バックグラウンドの違う家庭との体験で十分だと思っています。
でも、公立中学派の方は中学で触れ合うことが必要と言う。
では、そのようなすばらしい経験なら公立トップ高校ではなく、距離的に一番近い高校、もしくはトップ高ではない普通の高校を選ばないんでしょうか?
選ばないのであれば、私の小学校での体験は無意味で中学での体験は意味がある、でも高校では必要ない、なんて自己中心的、もしくは後付トークはおかしいと思います。
それに公立中は自分で考えるとか言っている人や公立中は教えることが出来るなんていう人も、公立高はトップ校でない普通の、もしくは自分のレベルより下のレベルの高校にいけばいいと思います。
なんか、公立中の価値を述べているというより、後付的・場当たり的に正当化しているだけとしか思えない。
では、引き続き『公立中学の価値』を教えてください。
ちなみにここは私立中学の批判スレではありません。公立中の価値について議論する場です。
相変わらず、その価値がわからないので、教えてください。よろしくお願いします。
義務教育期間中に能力別のクラス分けがなされないことに根本原因があるのでは?
能力に差があるのに、同じ授業を受けるのは無理があるんです。
所謂習い事って、能力別ですよね?
学年は関係ないし、経験も関係ない。
伸びる奴は短期間で伸びるし、のびない奴はいつまでも伸びない。
かと思うと、急にぐーんと伸びる奴もいる。
それぞれの今にあった教育をすれば、落ちこぼれることもなければ、物足りなさを感じることもない。
義務教育が終われば、自動的に能力別に振り分けられるのだから、義務教育中にやっても問題はないと思う。
そうすれば、わざわざ私立に学ぶこともない。
それでも私立の理念に共感する人は私立に行けばよい。
一番効率の良い時間を効率の悪い公立で学び、効率の悪い時間に効率の良い塾で勉強って生活を三年もおくらせるのは効率が悪いです。
私立は公教育のアンチテーゼだと思う。
>私立は公教育のアンチテーゼだと思う。
私立の教育も公教育ですよ…。
一般の人ならともかく、私立と公立のことを論じる人には、間違って欲しくないなぁ。
私立や公立での、指導要領に準じた教育の総称が公教育。
これに対するのが私教育で、塾や予備校での教育のことです。
日比谷120人、戸山100人、西90人、新宿80人、小石川60人、両国30人・・・・・・・・
1960年代半ば頃の毎年のおよその東大合格者数です。この頃は公立中学から都立高校に行くのが当たり前でした。わざわざ国私立中学を受験する必要はないでしょう。この結果なら。
学校群制度なんて馬鹿なことやらなければ今でも東大合格者は都立高校がずらっと上位に並んで、都立高校の滑り止めに私立(今では受験名門校になっているが)に行くという状況は変わらなかったのではないですか?
「私立高校でなければ東大に入れない」なんてことは東京や神奈川でもなかったのですよ。歴史を知らない方は私立の環境だ、教育方針だとか大層なことを言っていますがそれは麻布や学習院や成城や慶応などのこと。それ以外の私立は都立の自滅で浮上してきたのですから生徒の流れが変わればまた元に戻ります。
現に公立中高から大学に進める府県では中高一貫私立なんて主流にはなっていないでしょ。北海道、富山、熊本、秋田などは昔の首都圏のままです。
私学の「校風や環境」と言っている人たちは公立高校からの大学進学実績が上がってきてもあれだけの長時間の塾通い、家庭教師、夏期講習などを小学3,4年からやらせますか? 石原以後にどうなるか分かりませんが都立重点高が日比谷40人、西30人、国立20人、八王子東15人、戸山10人~ などとコンスタントに東大合格者数を伸ばして来れば「うちは公立中から都立トップ校で行く」という家庭も増えるのではありませんか?
そうすればほとんどの子が地元の公立中に進むのが当たり前になって全体のレベルアップにつながるし、2極化は進むかもしれませんが友人のレベルが低いとか不良ばかりなどと揶揄することもなくなるでしょう。
「優秀な小学生がいない区立中は嫌だ」というのが多くの親がわが子を私立に避難させる理由ならそれこそ「優秀な子もいる区立ならまあいいか?」になりませんか?
そうなったときに逆に私立に行かせる理由を問いたいですね。
そうそう、国家の品格の藤原先生は教駒中から西高(このころ教駒は高校がまだ出来てなかった?)、鳩山さんは学習院小中から小石川に進んでいますね。下手すると私立中高一貫を途中で抜けて都立トップ高を受けるなんて現象も起きてくるかもしれませんよ。
公立中は過剰な中学受験勉強をせずゆっくり脳の成長を待つ子には適切です。その後は能力に応じた高校に進めばいい。公立で勉強できないなどというのは大嘘です。昔の首都圏公立中、今の地方公立中を見れば真っ赤なウソというのがよくわかります。
私も、庄司薫の「赤ずきん」シリーズに活写されている古き良き日比谷高校の時代なら、都立ナンバースクールもいいと思いますが、40年かけて、破壊し尽くした感じがあります。今の、都立の中高一貫や受験の重点校づくりの政策は、1960年代の都立とは似て非なる、予備校機能を内包した高校づくりに向かっているように思います。
40年がかりで一生懸命破壊したものは、そう簡単にもとに戻らないです。
為政者が政策を決定したのだろうけれど、多くの都民が支持していたから、都議会議員選挙の争点にもならず、粛々と政策的破壊が進んだのだと考えています。
昔の都立ナンバースクールの教育に近いのは、筑駒であり、昔よりはかなりレベルが下がったとはいえ、筑附や学芸附属であり、もしかしたら、麻布も近いかも知れない。
不思議なのが開成で、昭和50年代までは受験少年院のように見られていたのが、生徒のレベルが上がるとともに、自由闊達に切磋琢磨する雰囲気になり、芸術やスポーツにもずば抜けた能力を発揮する異才が増えてきたように感じています。
>そうなったときに逆に私立に行かせる理由を問いたいですね。
そういうふうに、強烈な上から目線で責め立てられても、1年後や数年後のわが子の進路を考える親には、なんの足しにもならない。あなたは、昔の都立は良かった、だから今の都立に行け、とおっしゃるのでしょうか?
現に、首都圏の公立中学からは、優秀層がごっそり抜けているのは事実、切磋琢磨の環境に無いのも事実ですから。
床屋政談ならだれにでもできますが、実現しようとするなら、東大に行って、文部科学省にはいって、政治家を動かすのが、いちばんの早道ですよ。
アナクロニズムを声高に言われても滑稽なだけです。




































