女子美の中高大連携授業
公立中学の価値
最近、公立中学に関する内容のスレが多いので建ててみました。
ゆとり教育を発端とした公立中学の吹き零れリスクの増大。優秀生徒の放置。
相変わらずの日教組主体による習熟度別クラス編成への反対。
成績上位者にとって公立中学での勉強は果たして意味があるのか?
例えば、公立王国愛知県の6年生の通塾率は50%程度、中学3年は65%程度。
つまり、大学等進学のほとんどが小学高学年から塾通いなのが現実。
愛知県の例で考えると、公立の教育システムは公立小・中と塾のダブルスクールが5・6年間も続く非効率的なシステム。
金銭的に余裕があるのであれば絶対に中高一貫校に進学することが、子どもにとって本当にゆとりのある質の高い教育だと思うんです。
みなさん、どう考えますか?
出来ることなら、公立に関する話題はこのスレで隔離して欲しいってのが本音。
もうご存知の方も多いでしょうが、ゆとり教育を日本の教育と言ってほしくないですね・・・
もともとよかれと思ってやってる教育じゃないんですから
日本人を馬鹿に育てることで利を得る人たちがいるだけの話です
意味不明、という方は下記を検索してみてください
ゆとり教育について → 「ゆとり 寺脇 在日コリアン」
その目的は → 「日本 乗っ取り」
民主党政権となり、日本人から搾り取り、外人(殆どが中国人か韓国人です)にばら撒くための政治となってもう1年たちましたね
外国人参政権は常設型住民投票権と名前を変えてこっそり進行しています
教育に関しては親が危機意識を持って子供を高く引き上げるよう努力するしかありません
ぼやいてる場合じゃないですよ
今わたしたちは日本の一大転機を目にしています
子供達が安心して暮らせる国にするためにも、親がしっかりしましょう
>ゆとり教育を日本の教育と言ってほしくないですね・・・
もともとよかれと思ってやってる教育じゃないんですから
私もそう思っていました。ゆとり教育って。
でも、先日図書館で古い昭和時代の書物を読むことがありました。
すると、
「今の日本の教育は難しすぎる。一体どのくらいの子供が理解できているのか。
統計をとると(略)ほとんど一部の子供しか教科書の内容を理解できていない。
これでは駄目だ。」
という怒りの内容ばかりでした。
つまり、難しくて不満なのです。
だから、義務教育期間だけでも誰でも教科書を100%近く理解させられるように
しようという流れで
今のようなゆとり教育内容になったようです。
結局、このことから言える事は
難しくしてもやさしくしても万人にぴったりくる授業なんて無い。
習熟度別でクラスわけをしない限り。
理解の早い子も遅い子も同じクラスで集団授業。そこがそもそも間違っている。
でも学校は塾じゃないから、そこまでできない。
それじゃ常に誰かが不満に思ってもしかたないよね。
人間の欲は本当にきりがない。
算数だけではありますが、うちの子どもの通う公立小学校は習熟度別です。
3クラス90人の児童を習熟度別5クラスに分けた授業です。
(四年生から。)
テストを受けたあと、その点数を踏まえて自分でクラスを希望します。
あまりに自己評価が客観的評価と違うと、先生から「指導」があり、
相談の上、クラスを決めているようです。
一番上のクラスは、教科書をさらっと勉強した後(基本、教わらなくても出来る子達です)
先生の準備したプリントで学習します。
難関中学入試問題とか、算数オリンピックに出ていた問題とかを
「難問特集号」と銘打ってチャレンジしたり、
(ただし、解けるのが2、3人だったなんて問題もあるようです。)
一つの問題をいくつの解法を使って解く事が出来るか競ったり、
(その問題、わざわざそんな難しい解き方する?というようなやり方を楽しんでいます)
なかなか楽しそうです。
興味深いのが、中学入試をしない、塾にも行っていない子どもの中にも、
結構出来る子がいるという事。
そして、中学受験をする子が必ず上のクラスというわけでもないこと。
ただし、下のクラスは大変なようです。
理解度が低い子どもが多いので、丁寧にゆっくり教えるので、教科書を終えるのがやっと。
副教材のドリルでさえ、なかなか出来ず(上のクラスは最低2回はやる)
差はどんどん開くようです。
もちろん、それでも授業についていけずにいるよりは良いのでしょうが。
ただしこれが、中学になると習熟度別ではなくなります。
こんなに学力差がついてしまった集団を、いっせいに教えるのは
非常に大変だろうと思います。
娘(大学生)が中学のときですが、公立中学で、週に2回くらいでしたが。
正確に言うと習熟度別というのではなくて、選択授業でしたでしょうか、
・数学な得意な生徒用に「難関高校入試問題を解く」
・ネイティブ帰国子女向け「ニューヨークタイムス(だったか?ともかく外国雑誌や新聞)を読み解く」
というようなもの。
そのほか、体育が得意な生徒用に体育の授業もありました。
要するに勉強の得意な子はもっとおもしろい授業を、体を動かしたい生徒には思いっきり体育を、ということでしょうか。
いい公立の学校の現状が垣間見えますね。
でも、そうではない学校ももの凄く多いんですよね。
その違いはどこから来るのでしょうか?
教師の転勤や校長などの管理職の交代が多い公立で、長年にわたっても、そのような方針が維持されているのでしょうか?
そうだとしたら、その近隣の公立校はどのような状況なのでしょうか?
公立校の格差現象はなぜ起きるのでしょうか?
わたしの子供は、塾の勉強にも飽き足らずseg、大ゼミにも顔を出しています。
数学が好きなので、トップのクラスを申し込みました。
そこでびっくり、そこにいるごともたちは、ほとんどが中学受験御三家とよばれる学校のこどもたちばかりのようです。
わが子は、今になり、何故中学受験をさせてくれなかったのかと、わたしにたずねてきます。
学校も塾も平均的な学習しかしていないのです。
とんでもない差が大学受験においてできるのではと感じました。
なるべく多くの子に教科書の範囲をマスターさせることが第一の目的ではないでしょうか?
塾ではないのだから、できない子を中心にしてほしい。
理解していない子にじっくり教える目的で習熟度別授業もいいと思いますが、その時間に、できる子は読書でもしていてほしい。
できる子がどんどん進むのは反対です。
時間がもったいない、と考えるなら最初から私立に行けばいいと思います。
出来るだけ多くの子どもが教科書の範囲をマスターする必要があるというのには賛成です。
ですが、出来る子どもがどんどん進むのには反対という意見には賛同しかねます。
憲法第26条には
すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
とあります。
理解の遅い子どもが「その能力に応じて」丁寧に時間をかけて勉強する権利があるのと同じように
理解の早い子どもが「その能力に応じて」より発展的な内容の授業を受ける権利があると思います。
周りの子どもが出来るようになるのは、困りますか?
私は「全体のレベルが上がったほう」が、「自分の子どもの能力も上がる可能性が増える」
と思いますよ。
教室や学校の順位を気にするより、全国、全世界の中で、自分の子ども、日本の子どもが
どう勝負していくかという事を考えた方がいいのではないでしょうか?




































