女子美の中高大連携授業
公立中学の価値
最近、公立中学に関する内容のスレが多いので建ててみました。
ゆとり教育を発端とした公立中学の吹き零れリスクの増大。優秀生徒の放置。
相変わらずの日教組主体による習熟度別クラス編成への反対。
成績上位者にとって公立中学での勉強は果たして意味があるのか?
例えば、公立王国愛知県の6年生の通塾率は50%程度、中学3年は65%程度。
つまり、大学等進学のほとんどが小学高学年から塾通いなのが現実。
愛知県の例で考えると、公立の教育システムは公立小・中と塾のダブルスクールが5・6年間も続く非効率的なシステム。
金銭的に余裕があるのであれば絶対に中高一貫校に進学することが、子どもにとって本当にゆとりのある質の高い教育だと思うんです。
みなさん、どう考えますか?
出来ることなら、公立に関する話題はこのスレで隔離して欲しいってのが本音。
公立がダメだから私立が出来たのか、
私立が出来たから公立がダメになったのか、
それとも、、、、。
地方出身、現在東京在住で子供は私立通学中です。
私の出身地はいまだに公立優位ですね。
私立は滑り止めの認識で、大手予備校が一つくらいで、そんなに予備校や塾は盛んではないと聞いております。
東京にいると、嫌でも私立を選ばざるを得なくなりますね。
わざわざ選択してもでも私立に出して、それで結果も悪ければ身も蓋もありゃしませんよ。何かしらの良い結果は求めたくなります。
(登校拒否などを起因にした選択の場合はこの限りではないでしょうけれど)
この東京で私立と公立を比較して、私立優位でなかったらおかしな話と思います。
しかし、正直、公立が確りしていたら、私立を選ばなくてもよいのでしょうにとの思いはあります。
公立での勉強が出来ない、素行が悪いお子さんの話題が出ますが、現状これだけ私立に出られるとなるとその比率は高まる一方。
ますます私立へと加速が始まる。
究極、区分け社会なのでしょう。
区分けは必然なのか、必要なのか、それとも自然なのか。
私立への進学は個人の自由選択ですから、そこに積極的な社会的な区分けの意識があるとも思えませんが、しかし、結果論で個人の意識を離れたところで起こる事象でしょう。
自分は差別主義者と大きな声で言う人はまずいないでしょうけれど、新自由主義を無意識の内に目指しているのか、少なくとも現にこのスレでも結果を捉えてどちらが優位かのような話になっている。
個人的な選択で期待したい結果と、それとは別のところにある社会的な結果です。
例えば裁判員制度のような、死刑判決を下した裁判員の心理の制度的、社会的ケアーの話です。
日本は中国人からしても社会主義的といわれるみたいですが、ただ目先の個人の選択が、将来における社会的なコストの増大を招くような形になりはしないか。
コスト増大でないにせよ何かしら問題は出てくるのでしょう。
現在問題になっている年金や、もう少しこの区分け社会を前提にすれば生活保護家庭の増加。
果たして今、個人の選択を優位にして事後の将来の社会的な問題を許容できるか。
個人的に蹴飛ばすのは簡単でしょうけれど、「人権」教育は蔓延しました。つまりこの社会(国)が気に入らないと海外に出てしまうのがその例。
なにか、鱈腹食べてお金を払い、そして過分に採ったエネルギー消費のためにお金を払ってフィットネスジムに通い汗を流すような、今の内需拡大策に似ている様に思えてきます。
それで、この内需拡大策がゆえに、経済で言えば資本が蓄積するかといえば、答えは恐らく『NO』でしょう。つまり進歩は何もなし。(体重増やしてダイエットですから。時間とお金の変化だけ)
私立は、個人の手を離れて、マクロ的に社会に必要なコストたりえるのかということです。
とある私立中学が、恐らく営業のためでしょうが、中国人の留学生を受け入れ東大合格者の数字を勝ち取っている話題が最近ありました。
この学校は何が目的なのでしょう。
キャッシュフローなどの、フローの思考で、成功or不成功なのでしょうか。確かに学校法人は潰したくない。
しかし、留学してさらに東大に入学した中国留学生は、どこに自分の資本を利用するのでしょう。まさか日本の区分け社会のためにそれを利用するとも思われない。
保守的なことを多く申したくありませんが、国(社会)敗れて(破れて)山河ありならまだプラスマイナスゼロですが、山河も残らず、その国(社会)を構成する将来の自分の子供たちはどうなのでしょう。
今の年金制度のような過去における将来の予測がいい加減だったなんていう話の繰り返しでしょうか。
目先に広がる光景では、確かに公立に比して私立は優位ですが、その光景が将来どのようになるのかは、子供を持つ身としては不安があります。
やはり私の子供にもこの社会(国)から出て行ったほうがよいと言わなければいけなくなるのでしょうか。
前の方で『公教育』について仰られた人がいましたが、今社会が、個人の自由選択という手段を介して、何の『公』を目指しているかにその要点があるように思います。
うまく書けませんが、昔の本から引用すれば、利己主義が社会道徳の範足り得るかの実験的様相が見え隠れしているように思えます。
中学から私立へやる方、その一貫教育の6年間の間に子どもには変化が無いのでしょうか?
我が子は高校生になってがらりと変わりました。「あのときあのまま一貫校に行っていたら耐えられなかった」と言っています。
小学校の6年間は長かったし目覚しい変化がありました。次の6年間は、子どもにも自我が芽生えまた長い長い6年間ですよね。
問題行動を起こす子、私立には絶対いないですか?高い月謝を払ってそういうお子さんがクラスにいると、辛いですね。
最近夫は難関大学卒の新人を「使えない」とぼやきます。
「確かに勉強は出来るんだろうな、とは思うけど、融通がきかない。」と。
プライドが高く、得意先や社内の人間と上手に関われない、仕事内容をさんざん説明した後で「マニュアルを下さい」、失敗してもそれを素直に認めず「こう言われたからやっただけ」と言い訳がましい。
もちろん全ての人がそうだとは思いませんが、社会人になればまわりにはいろんなレベルの人がいて、そのレベルの人とも付き合わねばなりません。温室育ちで、アルバイト経験もない新人をもてあまし気味の管理職が増えています。
それでも企業では「有名大卒者」を採用しようとする訳ですから、そのためには早い時期からの良好な環境で学ばせたい。受験塾に送り迎えをし、同じような生活レベルの友達の中で過ごし、難関大学へ進学する。
でも、人生はそれで終わりではない。そこから親から独立し大人になって行く事こそが大事なのでは?
家庭の中で経験できない事が、学校にはたくさんあると私は思うのです。
中学受験と言うのは殆どが親の意思です。そしてその親御さんは「受験して良かった」と思う。大変な思いをして受験したからこそ公立へ行かせる人と線引きをしたい人が実在するのではないかと思います。
かくいう我が家も公立中から公立高。(中3から通塾)地元の中学は当時半端なく荒れていて、息子の同級生には中卒者がごろごろいます。
それでも私は息子公立に行かせて良かったと思っています。(負け惜しみなんかじゃないよ)
環境が決して良くない学校でも、本人さえ目標を持てば勉強はできます。勉強面で期待できない教師の足りない分は、塾の先生が補ってくれます。
何より、金銭面で助かります。
このまま国公立大学へ進学してくれれば言うことないわ。
勝手ながら中学から私立へ通わせているお金のある方は、大学も私立の難関へ行って欲しいです。
苦学生の定員を持っていかないで下さいませ。
>最近夫は難関大学卒の新人を「使えない」とぼやきます。
>「確かに勉強は出来るんだろうな、とは思うけど、融通がきかない。」と。
最近の子供全般の特徴だと思いますが、そうではない根拠でも?
それとも難関大学でなく勉強苦手大学なら、融通がきくってこと?
頭がいい子には性格が悪い子が多いとかいう、よくある自分勝手な思い込みと同様に聞こえます。
>最近夫は難関大学卒の新人を「使えない」とぼやきます。
>「確かに勉強は出来るんだろうな、とは思うけど、融通がきかない。」と。
新卒世代との接点がないのでよくわからないのですが、「使える新人」はどういう学校を出た
人に多いのでしょうか?
どこの世界に行っても、性格のいい人も悪い人も、使える人も使えない人もいると思います。
それなら、少しでもレベルの高い(人によって定義は違うでしょうが)世界に行って、
性格のいい人や使える人に出会う方がいいと思うのは自然なのでは?
私は私立の中高一貫に進みました。そこでの経験で言うなら、親に言われなくても自分から
勉強するような本当に頭のいい人たちは、ほぼ例外なく人間的にも尊敬できる人たちでした。
もともと頭がよくて競争するまでもないから、人を蹴落とそうなんて発想がないのかな?
むしろ、意地悪な人たちは成績がいまいちで、親の見栄でちょっと無理して勉強させられて
入学してきた成金タイプの人たちだったように思います。
そういう人たちの大半は、結局、難関大学には入れませんでした。
私はガラの悪い公立小学校で、とっても楽しい小学校生活を送りました。あの時代があって
こそ、今の自分がいると思いますが、今も親しく付き合っているのは中高時代の友人たちです。
当時はさほど仲良くなかった人でも、今になって再会して、意気投合することもあります。
私たちの中に、知らず知らずのうちに母校の精神が植えつけられているのだと実感します。
この年になって、母校や同窓生のありがたさを感じ、貧乏なのに受験させてくれた両親に、
本当に感謝しています。
親が子供に与えられる最大の財産は、教育なのだと思います。
そして今のところ、私が思う最良の教育は、公立中では得られないと感じています。
>それとも難関大学でなく勉強苦手大学なら、融通がきくってこと?
>新卒世代との接点がないのでよくわからないのですが、「使える新人」はどういう学校を出た
人に多いのでしょうか?
私は全ての人がそうではないと言ったと思います。
難関大学を出た人「でも」使えない人がいる。
せっかく一生懸命勉強してきたのに、使えない大人になったらもったいない。
だから「勉強さえできればいい」のではなく人として成長する事も必要だと言いたかったのです。
>最近の子供全般の特徴だと思いますが
そうです。だからこそその「最近の子」を育てる親として「勉強のみ」の環境がすべてではないと思います。
かそっちさんのおっしゃる、勉強も出来て人間的にもちゃんと成長できる大人になって欲しい。
でも、その教育が私立にしかないとは思わないだけです。
>それなら、少しでもレベルの高い(人によって定義は違うでしょうが)世界に行って、
性格のいい人や使える人に出会う方がいいと思うのは自然なのでは?
>親が子供に与えられる最大の財産は、教育なのだと思います。
そして今のところ、私が思う最良の教育は、公立中では得られないと感じています
「親が子に与える教育」の意味がそもそも違うのかもしれません。
私立中を「レベルの高い世界」と言う、その「レベル」の意味も。
すみません。平行線なのでスルーしようと思いながら出てきてしまいました。
私は我が子をレベルの低い人間だとは思いたくないからです。




































