女子美の中高大連携授業
都内のお嬢様学校希望
都内のお嬢様女子校希望です。
学習院女子、雙葉、聖心、白百合、立教女学院、東洋英和女学院
東京女学館、田園調布雙葉、光塩、晃華、桐朋女子
大妻、共立、実践女子、昭和、川村、女子聖学院
香蘭、田園調布学園、恵泉、頌栄
いっぱいありますね。
三段目以下もお嬢様学校と思いますが人によって違うでしょうかね。
桜蔭や女子学院も医者や弁護士の子女をお嬢様と呼ぶならお嬢様学校でしょうし
豊島岡なんかもお嬢様学校ってことになります。
お嬢様学校の定義ってなんですか。
ニューウェーブ校とは・・・・・
むかしは、公立高校の抑え校で、答案用紙に名前かいて、1問でも正解すれば合格できるよ、とすら揶揄された私立校。
定員の5倍か6倍は合格者がでる。
入試に面接があったりして、「公立はどこ受けるの?」→「公立の◎◇高校です」→「じゃぁ、そこに合格したら、ここには来ないね」。
結果、数日後には合格通知。
とうぜん、公立トップ校からはバ●学校あつかい。
行くのは偏差値的に2流から3流大学が当たり前。
いまは、進学校として難関国立大学合格者が出てきて、過去の素性を知らない保護者からは、むかしの卒業生であっても「優秀だったんですね」と言われる。
あぁ、うちの子もそういうニューウェーブ校の私立中高一貫校の生徒です。
親は公立トップ校出身で、抑えというか公立の入試の場馴れのために受けて、合格→普通に蹴って公立行きだった学校なんですけど。
フェリスが3日間連続で試験、共立が2日連続で試験日、
(共立受験しましたが、国語算数が1日目、グループ面接が2日目でした)
御三家(ふたばは体育あり)と聖心、白百合、跡見くらいが4科受験(他はほとんどが二科、英和ですら二科目でした)、慶應が体育、音楽その他まで受験課目だったころのお話です。
当時は受験するのに、全ての学校で、小学校の調査書が必要でした。
その中でも飛びぬけて、必要書類が多かったのが
昭和女子でした。
受験票に貼る写真のほかに
「家の玄関先で撮った家族全員が写ったスナップ写真」が必要で、
当時の実家は、戦後すぐに建てられた古い家だったこともあり
大田区民でしたが、昭和は受けませんでした。
団地に住んでいた子は受験できないのかーって
子どもながらに思いましたよ。
昔のベレー帽のイメージが色濃く残ってしまい
私が思うに、いまだに昭和は敷居が高いような気がします。
>irpTy7LJO4Qさん
>それって3、40年前の池袋の学校のことですか?
ちがいますよ。東京だけでなく、埼玉神奈川、どのニューウエーブ校にもあてはまる。
公立高校(都立・県立)は、小中学校でゆとり教育をうけた子供たちが行くので、高いレベルを望め
そうになく信用度が落ちてるわけです。
過去は公立の押さえであった私立高校だけれど、現在では中高一貫校カリキュラムの価値がみとめられ
中学受験が主となって伸びていった学校郡です。その多くが中学受験一本になり、高校入試をやめています。
アラフォー、アラフィフあたりは寿退社が一番だったけれど、男女雇用機会均等法
などできて女性も一生の仕事を持つことがかっこいい(理想)という風になってきてます。
そんな羨ましい望みをかなえてくれそうな学校が、進学校とニューウェーブ校なんですよね。
だから、お嬢様学校より、進学校とニューウェーブ校の人気が高いと見ますよ。
偏差値が物語っている。
本当に「いいお家」のお嬢様は、意外と地味。
自分の家のことをひけらかしたりしない。
大学に入ったら「自分のお小遣いは自分で稼ぎなさい」と言われて
ファストフードでアルバイトしたりする。
お父さんも、年収何千万とは限らない。
どこかの財団の役員か何かをやっていて、一千万以下のこともある。
でも、鳩山さんみたいに実家からお小遣いをもらえる。
娘の学校を選ぶときも
偏差値や進学実績は関係ない。
おばあさまが通っていた学校に行く。
学校見学に行くと、校長に「お待ちしております」と言われる。
たまに娘が「あそこの学校に行きたいの」と言う子だったりすると、
議員さんや商工会議所の会頭さんにメロンを持って挨拶に行く。
それでオッケー。
就職はしなくてもいいけど、するとしたらそれこそよりどりみどり。
「あそこで働いてみたい」と言えば、
創立者とひいおじいさまが親友だったりするから
社長、会長推薦で即採用。
2、3年勤めたら、一族からお見合い写真の攻勢に遭って
その中のだれかとケコーン。
大学の友人のケースです。
要するに、庶民とは世界が違うんですね。




































