在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
お久しぶりです。
この週末、ちょっと考えさせられる光景に3連続で出くわしましたので、息抜きにでもお読みいただければ。
その1.アマチュアの個人リサイタル
昨日は、妻と、クラシック音楽のリサイタルへ。大学で立派な地位を得て、研究、教育、臨床に八面六臂の活躍をしながら、定期的にリサイタルを開催している友人です。意欲的でアマチュアならではのプログラムで、客席にプロもちらほら見えます。収益(もちろん、100人に満たないホール、微々たるものですが)は被災地に寄付。
私のピアノも、アマチュアとしては悪くないんじゃないか、などとうぬぼれているのですが、こういうのを見ると、目が覚めます。同時に、医学界の競争と、音楽界への関与と、今後、どうしていくのかな、と心配でもあり。どっちかに片寄せする人は多いんですけれどね(生活費を稼ぐために仕事やり、余暇とお金はすべて音楽に突っ込む、という)、両方で勝負をかけているようにも見えるので。
当然、凡百の音大卒業生とは比較にならない腕前です。
そお2.塾帰りの親子の会話
電車で、隣に、小学校3年生くらいの女の子と、母親が乗ってきて、座りました。
6番の1は、どうしてそういう答えになるんですか。あなた以外、全員できているんですよ。
全員ということは無いと思います。
あなたが間違えたのに、どうしてそういうことを言うんですか。どうしてそうなるんですか。
気圧が関係するんでしょうか。
気圧がどう関係するんですか。説明してください。できませんよね。昨日も、説明できないことを口に出してはいけないと言いましたよね。あなた、どうして、自分の頭で考えないんですか。
けれども、上空より地上のほうが風が強い場合もあると思います。
そんなこと、問題文のどこに書いてありますか。もう、XX駅まで30分しかないんです。あなた、時間が無いのわかっていないんですか。
なにより怖かったのが、身長100センチくらいの女の子が、完璧なですます調で、合成音声もかくやというほど平板な、冷たいトーンで答えることでした。
どうやら、地上と上空とどっちが風が強いか、というような理科の問題のようで、まあ悪問。塾かなんかのテストなんでしょうけれど、これだけのことでえんえんと支離滅裂にキーキー言い続けられるシャネルスーツの母親にもぞっとしますが(しかし、こちらも、完全なですます調)。
ほんとうに怖かったです。この親子の1年後に会ってみたい。
その3.喫茶店の親子の会話
そして、某駅ビル内のティールームにて。セーラー服の、抜けるように色が白い女の子と、少し色の黒い母親が、向かい合って座りました。
女の子は、目が緑色、ハーフのようです(美人)。彼女、学校のできごとを、身振り手振りで、一生懸命、おぼつかない日本語で、しかし楽しそうにお母さんに話をして、お母さんもコロコロ笑いながらそれに応じていたのですが、話が、進路指導におよび、女の子の語学力が限界に。突然、英語にかわり、マシンガントークでまくしたてました。お母様、まったく落ち着き払って、日本の教育システムや、予備校のことなども交えて英語で説明し、会話のキャッチボールをしながら、少しづつ、日本語を交えて、日本語に誘導していきました。その心地よくて上品なQueen's English、まだ耳に残っています。
この子、たぶん、ほどなくお父さんの国(たぶん、イギリス、それも上流階級)だけではなく、日本になじんでくれるでしょうね。
あまり関係ない雑談失礼。しかし、わが身に照らして、家庭の教育に関して、いろいろ考えさせられました。
遺伝さん、じゃい子さん
こんばんは
企業人さん
こんばんは
皆様のお話を大変興味深く読ませていただきました。
柔らかい、とても柔らかい、そう感じます。
明朝からしばらくの間、身の丈に合った力仕事をするため出かけます。
被災地へまいります。
企業人さんとはお久しぶりですのでこのタイミング残念です。
老眼さん、
弱点さんに書かれた下記は、とてもすばらしいところだと思いました。こういうところをすぐ素直に気づける
ひとは少ないです。
<老眼さんWrote>
>わたしの矛盾点をご指摘くださり有難うございます。 ・・現在活躍中の後者の方々は、善良な前者(わたしたち庶民)の部分集合とはとても思いたくないので、将来をイメージしたときにも、その思いが拒絶反応を起こしたようです、と苦し紛れの釈明をさせていただきます。
昭和のレトロといわれると、素直にそうなのかも、と思う今日この頃です。
こんばんは。今日は霞ヶ関に行き、その後本社で昼食で情報交換をして、最近の情報やら話をしてメールチェックもして帰宅。手アルコールも入り、緩い書き込み、ご容赦ください。くだらない話を書きます。(いつももそうですけど)
日付けが変わりましたが、昨夜の買い物と夕食作りは、わたしの当番でした。スーパーに買い物にいくと、入り口に福岡産トマトが87円と箱詰めになって安い!のでした。こころひかれながら、少し我慢して店内へ。
レタス、イチゴが今週も安い。首を巡らし遠目で見ると見切り品のカーゴにもそれらしいモノもでているよう。(レタスはどうも葉っぱが不人気なのか、90円もしない安値。イチゴも栃木産は売れ行き悪い?) サラダでトマト/キュウリ/レタスにしてスプラウトをトッピングしようかと考えながらさらに店内奥に進む。アスパラが珍しく、メキシコからの輸入ではなくいくつかの産地から出ていることに気づくがスルー。
あじのひものが今日は安い、鮮魚はあまり材料がない。鮭、マグロ類、かつをと見ると、かつおはちょっといまいち。マグロだけが少し良いか、でも合わせる他の魚刺身もないようなので献立がイメージできない。
鮮肉コーナーでは豚肉が安いので、ショウガ焼きにしていくか薄切り肉をアスパラ巻きで攻めるか、どちらかだなとすこし気持ちが盛り上がり、野菜売り場にアスパラを見に行く。見切り品にあるものと国産があるが、入り口のひと束87円が10%は安くモノも割と良さそう。肉巻きにしないでも行けそうなので、ショウガ焼きと付け合わせでゆでアスパラを付けることに決定。割に実入りが良さそうな枝豆を買って、あとは味噌汁と決めた。今日は野菜多めにしておければ、良いとの感覚もでてくる。
奥さんとこどもはそれぞれ中間テストやら仕事で忙しそうなので、もくもくと食材を処理して、ご飯を揃えました。
こどもはルッコラが嫌いでアスパラが少し苦手。そこに少し挑戦していくことを実は密かに決めている。
食事の話題は、食材の話題でいつしか、今日のスプラウトは何、という話題に。当然ブロッコリーか・・という空気感の中でルッコラと発表。そこから嫌いな物談義へ。ルッコラも少量なので、こどもも余裕で、ルッコラ談義をひとしきり。
そこから、小学校のころ、いかめしが嫌いな子供の話が続く。こどもは箸が止まり、話に夢中。青虫が入っていた青菜のスープを担任にもっていったら、青虫外してスープと菜っ葉だけのめや、といわれてフルーズした話を僕がして皆が大爆笑。青虫の出しが出ていた?そりゃ飲めないよね、とイメージが伝染しつづける。
「一生忘れないンだよね。特にそのときの先生の顔とか友達とか」と話すと、こどもも「いや、たしかに教職で盛りつけた友達の顔を今でも覚えているなあ」 ・・・皆さんはそんなご経験、ありますか?
それってエピソード記憶で、一番強烈な記憶だよ、とちょっと話が弾み、
明日の世界史の試験の記憶の定着談義など。
結局、おおもとが食育に突き当たるのかな、と思っています。
(多くの中学で校長・教頭先生がコメントされていますしね。)
最近は、待ち伏せして知識をすきあらば与えようか、などとは思わないことにしています。
それは逆効果ですからね。ちょっと面白い話くらいに留める。昔なら、世界史の話題に引きずり込んで、いろいろ会話使用としたかもしれないが、今はしない。知識の押し売りは無駄ですから。
結局、いろいろ田戦して、戻れずに書いているけど、・・・家庭での教育といっても難しいイメージかも、というのも、よくわかる。具体的にかんがえていくと、身近な出来事の共有ということじゃ、新聞の話題も、エネルギー問題も、きらいないかめしや里芋飯の話も、まあ、身も蓋もなく言えば、効果ということでは同じじゃないでしょうか。こどもにとっても勉強っぽくなければ一緒、なのではないでしょうか。
寺子屋、ってのも良いところは、ほんとのところ、なんなんでしょうね。知識や思想の”でんたつ”なんですかね。ちょっと違う感覚がわたしはあります。
続きです。全部が与太噺です。ご興味のない方、スルーしてください。
「笑い」と掛けて「食事」、と解くと、こころは、どちらも良質さが抜けると、子育てが成立しない、だろうと思うのですが、「笑いの質」「食事の質」っていうのは、放っておくと毒されてどんどん下がって際限ない。
そのところ、なにか源泉がありそうに思うのです、
「笑い」と「食事」には。
重要なのは、こころ、ということ(これはよいけれど)、教えるといって、「こころとはなんぞや」を言葉で原稿用紙10枚で教える様なモノでもなし、道徳話を大上段で教えてもこどもはうんと引きます。
なにか、「こどもの気持ちが動き出す」原点が、親子の関係の、なにげない風景になくてはいけないのではないでしょうかね。食事の団らんとは知識のはなしでないことはそうだとして、実は、知恵の伝達ですらないのかもしれない。
寺子屋というのは、親子の関係の「鏡」の要素もあったり、架空の「父」であったりしている面がありそう・・
高校生への授業を数年やってみると、こどもの目線にたつことが如何に困難で微妙なチューニングを要することかが判ります。楽器の演奏に近い。完璧に音程をとれてミスなくできた上で、微妙な強弱やニュアンスをだすださないで、価値の大きさが雲泥の差になる世界。子育てのうまいお母さんはその辺の琴線にふれる誘導法を身につけているのはでしょうか。(**)
さて、道徳話は、勿論、だいじだと思います。古今著聞集や十訓抄などの中世説話(*)からの古文出題は、大学入試でかなり定着していますね、出したいこころが出題者にもあるということです。今、社会に必要なこと。教える側はうまく「演奏」できているのだろうか。古文を初めとする各教科という曲を。
(*)
最近の大学入試。大阪大と東大が二次試験で全く同じ問題を出してきづかなかったのは、出典が違って
重複した話をチェック仕切れなかったからなのでしょう。
(**)
こんなことを想うのも、高校生に教えてみて、食事を作ってみることで
、ともに噺で泣き笑い合い、食材を味わい合って、見え初める世界かも。
老眼様
頑張って来て下さいね。
老眼様達一人一人の姿が、被災者の方達の励みになると思います。
今回、神戸の方達の尽力はすごいです。(もちろん、日本中の方達が応援してくれてます)
阪神大震災で自分達が感じた経験を生かして、少しでも、、と頭の下がる思いです。
企業人様
沢渡さんが頑張られましたね。
私のピアノの先生も喜んでらっしゃいました。
神戸で前日にチャリティー公演を行い、そして今回のギャランティーも募金。
沢渡さんも「最初は自分の無力感を感じた」と。
でも、私は彼が素晴らしい結果になる前の「好きならエエやん」みたいな音楽への姿勢が大好きです。
音楽にそんなに深い造詣のない(私みたいな)方達に対する思いやりのある心が大好きです。
安藤さんの基金へは、小澤さんも参加なさっているようですね。
私は、安藤さんは、建築家でもあるけれど、芸術屋の要素が強い方だと思っています。
震災一ヶ月後位に、安藤さんが「復興計画」を立てた案に対して、地元の知事さんだっけ?が、「それは、僕達の願いとは全く違う」と反論なさってました。
その後、、テレビで安藤さんが地元の復興計画に対して語る言葉は、知事さん(地元の方達)の話を自分の中で消化して、「僕はまだ見えてない」と、最初の段階よりも「難しい。。。」というものでした。
私はその時、この人は素晴らしい人だな、そう思いました。
あれだけの人が、「わからなくなっている」そう言えるという事は、「少しだけわかってきた」という事なのでしょうね。
視点の親父さんを通じて安藤さんを知りましたが、安藤さんって、おちゃめで本当にすごい人ですね。
遺伝様 じゃい子様
うちの先生もキリスト教の方なのです。
私はキリスト教ではないで、以前、旦那様と色々な世界の宗教、キリスト教について教えて貰う機会がありました。
その時「祈りとは、自分のために祈るんじゃないよ。人のために祈るんだよ」という言葉に、涙が。。。
私の中に、どーーんと深く入ってきた言葉でした。
福の神さん
>遺伝さんが言われる、むかしの「末は博士か大臣
>か」って時代なら、エリートの言うことは間違い
>ない、という意識が大衆にもあって、舵取りが
>できる、そういう時代だったと思います。
>一部のエリートの意識改革、選び方の問題
>じゃなくて、むしろ大衆の方を底上げする
>方が大事だと思います。
その先に愛はあるのか?
リーダーに必要で、現代の日本の優秀層に欠けがちなところはそこだと思います。
自分は何のために生きているのか?
誰かを、あるいは国民、あるいは人類を、幸せにする何かをなすために生きている。
そういった概念が、根底のところに身についているか否かかと。
そして優秀な者ほど、その感覚が必要なのでは。
いくら優秀でも、自分の知的好奇心や虚栄心を
満たすためだけに研究を進める人は、指導者にはまったく向かない。
(こういう人ももちろん必要。指導者に向かないだけ)
才を持てるものは、その能力を何のために使うべきなのか?
キリスト教をはじめ、ガンジーでも、歴史の節目の出来事でも、
大衆にも受け入れられ続け、後にでもそれなりに評価されてきた概念は、
富の再分配ならぬ、幸せの再分配です。
勉強は、将来生活に困らないように生きていくために必要なもの。
なるべく偏差値が高い学校に行き、安定した会社に入れれば、将来安泰。
パパもママもとりあえず安心だわ。
あら、国立の医学部も狙えそうだから、やっぱり受けてみれば?
生活に困らないし、ステイタスもあるし、感謝される職業だもの、すばらしい!
↑これはまったく間違っていないし、自然な発想でいいのですが、
その先、まできちんと話してあげてほしいもの。
優秀な子供を持った親の義務だろうと、私的には思う。
できれば幼少期から折に触れて。
私がいいたかったのは、そういうことです。
もちろん大衆のレベルの底上げも大切だと思います。
ただ大衆は、自分に富や幸せが分配されるということがわかれば、
自然についてきます。
問題は、目先のおいしい話にも惑わされやすいということ。
なのでまずは、富や幸せの分配スキームを組む立場である
指導者の倫理観や道徳的なところが大事といわれるのでしょう。
もしも人命より経済が優先される社会があったとしたら、長くは続きません、きっと。




































