在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
佐渡裕さん昨日の朝日新聞に載っていましたね。
「音楽エリートとは違う道を歩いてきた「雑草」育ちだ。地元・京都の公立高校音楽科から進んだ芸術大での専攻はフルート。卒業後、本格的に指揮者を目指すが、ほぼ独学だった。関西二期会の副指揮者を務めながら、ママさんコーラスや女子校の吹奏楽部などを指揮する日々が続いた。・・・」
「やっと指揮者としてやっていけそうだと思えた38歳の時、楽譜を見て音と向き合うだけの音楽バカになるのではなく、全演奏会の1~2割をボランティア的な仕事にあてたいと思うようになりました。」
安藤さんと共通する強さと私利私欲にとらわれないスケールの大きさを感じます。
子供の時から無菌室の温室で育てられるのではなく、自然の雑草の中自らの力で育つものこそが本物。
震災後に破廉恥行為でフライデーとられた政治家もそうだけど、子供の時から純粋培養のエリートは学歴はついても、私利私欲で頭がいっぱで、社会にでると役に立たないのが多い・・・というのが問題。
視点さんお久しぶりです。
私もNHKの佐渡さんのドキュメント見ました。芸大とか桐朋というエリート大学卒ではないけれど実力とパッションで認められてきたという感じですね。
最近「若いころの苦労は買ってでもしておけ」という言葉をよく思い出します。どうしてかというと大人になってから初めて挫折した人の脆さにびっくりしたからです。結局メンタルクリニックに通って投薬を受けて小康状態を保っているのですが順風満帆に中年まで来た人は驚くほど挫折や失敗に耐性がない。
子供の頃から優秀、優秀と言われずっと来た人はつまずいた時に自分のプライドと現実との間に折り合いがつかないんですね。
若いころから小さい挫折を経験(受験失敗、失恋、就職が志望通りいかない・・・)
して免疫を作っておくと大人になってからの対処法もよくわかるのだが・・・・・・・。
客観的には能力があるのに主観的に鬱々とした人生を歩んでいる優秀者は誠にもったいない。
>灘から東大医学部でもいい医者になるまではたいへんというのと、
>そんなに変わらない話のような気がする。
そうですか?
一方は肩書なしに実力で勝負してきた人。
他方は学歴という肩書で勝負する人。
全く対照的ですね。
動機が大事だよね さん
原発事故以来、立派な肩書きや学歴をもった人たちのふがいなさが目立ちますね。
>原発事故以来、立派な肩書きや学歴をもった人たちのふがいなさが目立ちますね。
今の教育は学力をつけることだけが目標で入試もそれだけを問うていますからね。防衛省に入るキャリア組に対し国家意識や歴史認識などを面接で聞いているのでしょうか? 多分聞いていないでしょうね。思想信条の自由に反するというのでこういう本人の思想や理念などはタブーなんでしょうね。
中国共産党員になるためには党への忠誠が第一でしょう。おそらくアメリカの役人なども合衆国憲法を守るという宣誓書でも署名しているのではありませんか?
日本は戦後経済成長のみ追い求めて「国家とは何か」とか「日本国民としての心構え」なんて考えさせないような教育続けてきましたからまともな官僚も政治家も育っていないのでしょう。
内務省在籍経験のある後藤田正晴や中曽根康弘、その跡を継ぐ警察庁に入った佐々敦之などは明確なポリシーがあるようです。彼らの世代が一線を引いたら日本はどんどん悪くなった気がします。
産まれながらの大名の跡継ぎや皇太子が受ける帝王学(人の上に立つものが守るべき倫理、原則、振る舞い)などなしに学力試験で東大を経て役人やら大学教授になるのですから・・・・・・・彼らには学力以外のことを(勇気、決断力、自己犠牲の精神、破廉恥なことをしない高潔さ)などを求めてもしょせん無理だという話でしょう。
知識より知恵。学歴より能力。決断力があるや否や? こういうことを評価されて優秀な人材が上に立てばいいんだけど。大方無難な順送り人事を大組織はしているのではありませんか?
視点様 動機様
お久しぶりです。
親父さんも沢渡さんの記事を読んでくれたんや!
めっちゃ嬉しい!
知識より知恵。学歴より能力。決断力があるや否や? こういうことを評価されて優秀な人材が上に立てばいいんだけど。大方無難な順送り人事を大組織はしているのではありませんか?
↑
動機様
そうですね。
私は、動機様のお書きになった文章の「優秀」って部分を「強い」って置き換えたいです。
優秀な人は世の中に一杯いる。
でも、強さを持った人は私は少ない、そんな気がするんですよね。
それは、自分に対して強い人は優秀な人の中には多いと思う。
一生懸命自分の出された課題をこなす人は世の中に一杯いる。
むしろ、日本人はこの強さは世界的に見ても群を抜いて立派だと思う。
正直思うのは、日本人は単純に「喧嘩に弱い」。
表面的な喧嘩(口論、時に 格闘)そのものに弱い、って思ってる。
上には従順で下には厳しい。それは弱虫。
本当に強い奴って言うのは、上に厳しくて下に優しいと思うんですよね。
ガキ大将(不良じゃないよ)がそのまま大人になったような力+正義感を持った人がもっともっと増えて欲しいと願います。
お久しぶりです。
皆様に礼を多々欠いておりました。
お詫び申し上げます。
>大方無難な順送り人事を大組織はしているのではありませんか?
民間大企業が能力を重視して雇用を進める結果、邦人ではなく現地外国人や海外からの留学者を含む外国人の新規雇用に大幅にシフトしているという現状は、企業が 邦人の国内大学卒は相対的に能力が低く役に立たないと判断している ことを示しているわけですよね。
一方、お上の組織においては、能力のある海外からの留学者を含む外国人の新規雇用、をするわけにもいかず、蒼氓とは違う雇用形態にならざるを得ないのでしょうね。
お上と民草とのこの決定的な乖離がもたらす将来像はどのようなものなのでしょう。
「邦人の国内大学卒が外国人と同様に能力が高く役に立つと評価される」
これを達成することは、個人の責任においてなのかどうなのか、
さらに、達成するには何が必要か、
っていう話ですね。
■視点さん
視点さんは、相変わらずで・・・つっこまれたいの?
佐渡さん(個人特定)を褒めながら、それを、ある集団(個人不特定)を貶すのに使う。
視野が狭いというか。話が「矮小化」されるからな。
最近は、お友達?のTWGsawOs9fAさんも、活躍されてますけどね・・・
お二人とも、反応する単語が一緒。(笑)
■ ちょっと 肩書き や 社会的地位 について
まずは、私も「肩書」よりも、基本は、その「人」の実力であることが優先すると思っているよ。「肩書」万歳ではないからね。
でも、日本は「肩書」は、すぐにバッシング対象になる。
日本は、階級社会を否定して(民主的であるということで)ある意味、階級的、貴族的立場を表面的には、完全に、社会から消去してきた。
生活として、リッチであっても、それは経済的な側面でしかない。
社会的地位と一緒に重い責任を持つ「存在」を認めない社会になった。
それは、文化的にそうだ。ということでしょ。
たとえ生まれながらに得た社会的地位(貴族など)であっても、重い責任を強制される文化があるということは、ある程度のその存在が社会的にも認められ、リスペクトの対象になっているということでしょ。イギリスのようにね。
だから
「肩書」=公的責任 ← 国民の尊敬(文化)で担保されている
だから、素質とは、別の意味で、「肩書」をもつことで、公的責任を意識し、当然のこととして振舞うことになる。リーダーとして鍛えられるのだろ。
しかし、日本は、生まれながらの階級はない。
では結果的にある社会的地位にいる人に、重い責任を負わせるのだろう。
日本では
「肩書」 ← 国民の妬みの対象(視点さん筆頭に)の傾向がある。
日本は、そこで、リスペクトどころか、足を引っ張りたい、視点さんのような人がいて、目立つと、叩かれる。それなら、おとなしくしとこうと思うのも、無理もない。
外国のような担保もなく、「公的責任だけを負わせよう」とする、のもどうなのかね。
「肩書」に、見合ったた公的責任をはたしてもらいたい。
では、どうするのか?
「肩書」だけの人間だと、貶すことで、公的責任をはたしてくれる人になるのか?
だいたい、「肩書き」に意味がないと、視点さんのように断定するなら、当然に、公的責任も、一緒に無くなるね。それで、いいのか?
社会では「肩書」は、権利や権力を行使する立場とリンクしている。
本質的には、それを理由に、公的責任が発生するんだ。
(だから、視点さんの文脈において、学歴を、肩書と一緒にするのも、オカシイと思ってるよ。権利や権力と関係ないしね)
視点さんは、「肩書」の大きさと「公的責任」を正比例させたいのでしょ?。
いったい、どういう環境なら、そうなるんだ?一度考えてみれば?




































