在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
1つの現実は、ふつう、複数の意味を含んでいるものですが、
今回の1つの現実は、たった1つのところに集約される気がします。
それだけ特異な、強烈なものを感じます。
それは、以前、福の神さんが 仰った、
>私学云々の話じゃなくて、我々大人全員の責任でしょう。
です。
これは別の話題のときにでたお言葉でしたが、
本質的な評価なのだと思います。
次世代に回してはいけないツケがあまりにも多く在り過ぎて、
優先順位が訳わからんチンですが、
同位で2項目を挙げたいと思います
・大人全員が責任を自覚する世の中を創るというツケ
・真っ当な教育を行うというツケ
地域時代さんが最重視しておられる「共感力」。
それをしっかり身につけた「彼」であったなら、
このようなことにはならなかったかもしれない。
老眼様
1つの現実は、ふつう、複数の意味を含んでいるものですが、
今回の1つの現実は、たった1つのところに集約される気がします。
それだけ特異な、強烈なものを感じます。
↑
おっしゃる通りですね。
今、老眼様のお薦めの本を読んでいる途中です、この本の中でも、複数の意味、を読みとる事が出来ます。(まあ、どれだけ複数、、という感じで)
しかし、今回の人は、私的に言えば、悪運が強かったんだろうな、と。
普通、ああいう人でも、成長とともに、小さな所でガツンガツンぶつかっていき、変化せざるを得なくなる。また、変化しなければいけないと気づく。
それがなく、あの年齢まで公の場でああいう事を平気で言えるのですから、彼にはある意味「ろくでもない運」があったのでしょう。
結果、大きな大きな取り返しのつかない失態をしてしまう。
人の心を踏むにじるような言動、行動は、必ず自分に返って来る。
小さな不快を周囲にパラパラとばらまき続ければ、それは大きな塊となり、我が身にはねかえってくるのでしょうね。
それは他者の手から放たれるものではない。
自分がばらまき続けた塵の塊。
本当に、今回のあの言動は「たった1つのところに集約される」と私も深く同意いたします。
しゅ しょうには一日も長く留まってほしい。かじりついてでも。
次がじ みんとう 絡みの政権になったら、
すべてが隠蔽されてしまう。
あの人のいいところは、とにかくしがらみがないところ。
頼りないけど、じ みんとうよりはマシ。
小泉さんの郵政解体のように、
とう でん 解体をライフワークにしてほしい。あそことその周り、腐ってるよ。
今回の事件で娘が部落解放って何?と聞いてきた。学校で先生がこの話題を振った時にほとんどの生徒が「知りません」と手を挙げたそうだ。
ここから先は微妙な話になるので問題がありそうなら管理人さん削除してください。
日本における差別の歴史を大まかに教えたのだが「へえ~」と子供は驚きの連続だった。地域や世代によってこの問題の遠近感はあるのだろうがやはり日本の構造を知っておく上では一度は通っておくべきものだろう。
部落解放同盟がいかなる組織で何をしてきたのか? 徳川慶喜が水戸に蟄居になるときに誰が警護して同道したのか?日本における在日朝鮮人の歴史や任侠の世界からつながるアウトローの集団などと同様にこれから世の中にでる若者たちはこういう知識も必要だろう。
「蔦の絡まるチャペルで~読書しテニスをする」青春とは全く違う世界がこの日本にあることを娘に教えたひと時であったが・・・・・・・・・・「そうか今の子供たちはこんなことも知らないのか」と自ら歴史の証人(少なくとも子供より30年以上余計に生きてきた)としての役割を果たさねばいかんな・・・・と考えさせられた一夜だった。
「寝た子を起こした」という意味で有意義な辞任劇であったかもしれない。
■老眼さん。
話が先に進んでいるのに、話を戻すようで、申し訳ないが・・
「かかわり」の話ですが。このイメージはどうですか?
養老孟司さんがね。「手入れの思想」ということを、言っているらしいので。
どういうことか、ちょっと調べたのですが・・・
日本は、文化的には、里山 や 田んぼ そして、教育も「手入れ」思想でやってきたというものです。
「過度の自然保護」と「人工環境」の中間ですね。
これは、ヒントになるのでは?ないかと・・
ちょっと発言を引用します
・・・・・・・・・・・
「努力、辛抱、根性」、あれが典型ではないですか。例えば、イネを育てるには絶対にそれが必要ですよね。だって、田植えをしてから、数ヶ月かかって収穫があるわけで、その間にいろいろなことが起こります。(途中省略)しかも生き物で絶えず育っていくから、その間に起こることをしょっちゅうチェックしなきゃいけない。それを私は「手入れ」の思想と呼んでいるんです。
それをやるためには、相手の存在が自分から離れた、別のルールをもっていて、しかもしっかりした実在であって、決して最終的な答えの出ているものではない。つまり、思うようになるものではない。しかし、ある面だけは思うようにしなければ困る。つまり、米が食えなければ困るわけです。
・・・・・・・・・・・
自然を人間の思うままに振り回せるものではないと解っているから、「手入れ」をさせていただくということのようです。
教育で「米」がなにかってことはありますけど。
苗の時期さえ、しっかりすれば、放置していいわけでもないですし、最後まで、必要な手入れはするし、そのためにチェックは怠らずってことでしょうか。
田んぼでなければ、お米にならないでしょうしね。
子供も自然ですからね。でも、お米(社会人)になってもらわなくて。
適性さん
これは ビューティフ~ な解釈ですね。
『自ずから然る』のが自然であろう、とする相良亨氏に代表される日本的な自然観ですね。
>自然を人間の思うままに振り回せるものではないと解っているから、「手入れ」をさせていただくということのようです。
自然の偉大さを前にして 「させていただく」 、との捉え方に打たれます。
すべての子供は素晴らしいものだ、だから大事に育てさせていただく、ということを養老さんは仰ってるのですね。
『子供』の『自ずから然る』ものへの拡張、をみせてくださりありがとうございます。視野が広がりました。
えっ! レス それだけかよ・・
いえいえ このあとが問題で・・
>教育で「米」がなにかってことはありますけど。
・・・米が何かね-。
>苗の時期さえ、しっかりすれば、放置していいわけでもないですし
・・・苗の時期・・・それっていつのことですかね-。
>最後まで、必要な手入れはするし
・・・最後・・・これもいつのことですかね-。
>田んぼでなければ、お米にならないでしょうしね。
・・・田圃・・・いろいろありますね-。
>お米(社会人)になってもらわなくて。
ブランド米の意味ってなんでしょうかね-。
ってなこと、考え続けたいですね。
少しお時間をください。
皆様は いかがお考えでしょうか
未来さんも 御アドバイスを お願いします。 -m( - - )m-




































