女子美の中高大連携授業
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
手入れ思想で「かかわり」を考える,12時間程度で充分とはとてもいえませんが,腑に落ちています,1点を除いて。
玄米,精米,酒いずれにせよ,米としてお役に立てる・・・役に立つ代物かどうか(結果)は,お百姓(親)や米(子供)ではなく消費者(社会)が評価する
どのような(肥沃荒蕪,寒冷温暖,国内国外)土地で苗を育てるか・・・多少の初期条件の違いはあっても,苗から米ができることには変わりなく,違いから生じるそれぞれの米の旨みを生かせるだけの多様さが社会にはある
どれだけの期間手をかけるのか・・・自ずと摂理に従った期間というものがある
促成と熟成・・・どうやら熟成でいいらしい
影響を与えるもの・・・皆さんの比喩の通りでしょうね
遺伝子組み換え・・・不自然な劇的変化が相当するもの・・・これが留学?いや,もっと激しいもののはず・・・何だろう? それとも,こういう解釈困難な影響因子については,手入れ思想の範疇外のものとして除外してしまうのかな?・・・
視点さんは、「手入れ思想」の基本的考えというか、前提条件さえ、理解できないから
>タンポポは世話しなくても逞しく咲いてるよ。
なんて、ずれたことを書いてしまう。
タンポポは、一般的には「手入れ」なんてしないのに。
>魚沼産のコシヒカリなんて、死ぬまで(収穫するまで)世話してるんだよね。
>子供が30歳になっても40歳になっても、手とり足とり世話できたらいいよね(笑)。
ここも、収穫=死ぬまで じゃないのにね。もうちょと考えようね。
まともな反論なんて、もともとできない人だけど、「ずらした反論」さえできなくなると、暴れて自爆する「いつものパターン」。
そうそう。
関西受験情報の
「将来灘中合格する子の見分け方」スレで
本当の問題 (ID:TWGsawOs9fA)さんが、暴れているので・・つい
>本当の問題さん。 こんなとこで、なに「視点」?
>出張中?
ってコメントしたら・・・
すぐに、こっちに飛んできて、びっくり。(笑)
いったい、どうなっているんだか??
老眼様
老眼様が一つ腑に落ちない所を私なりに思う所を。。。
適性様が引用なさった養老さんの比喩的表現では「お米」が子供ですよね。
私もそれは、子育てする親として非常にわかりやすい表現だと思います。
そこから先は受け取る親側の個性にかかってくるのではないか?と私は思うのです。
私は基本的にアニミズム信仰だと思います。
「人間は絶対に自然に勝てない」と思っています。
今回の震災も人間は自然に翻弄されました。
原発の問題も、自然の状態ではありえない状態を人が作り出し「コントロール出来ると思っていた」それが「容易にはコントロール出来ない」事が根本原因かと思います。
それを養老さんの比喩で考えるとするならば
「自然(子供)を 我が身よりも尊いもの(上に見る)」と感じながら農作業を行うのか
「自然(子供)を、我が身よりも尊くないもの(下に見る)」と思いながら、、の違いではないかと。
私は「米は私よりも 上 」のスタンスです。
私が幾ら手をかけようとどんなに素晴らしい農作業をしても、それは自然の前では一瞬にして破壊される。
自然は怖い。
それは雑草であっても同じ事。
「自然(子供)は自分よりも強い(親)」
この事を前提に農作業を行うのか、そうでないのかは 大きいと思います。
地域・時代さんの意見に賛成です。
さらにお米の比喩でいうなら子供の品種改良はできないということ。寒さや病気に強い、簡単に倒れず収量が多い米は遺伝子操作などで作れるかもしれない。しかし子供は両親の持ち寄る遺伝子のブレンドでたまたま偶然の組み合わせで産まれてくるもの。
ですから「この米はこういう特質がある」という事前の予想がつかないんですよ。両親とも高学歴でも子供が学習能力あるとは限らない。子育てしながらその子の性質、特質、物にたいする反応の仕方(音に敏感、動きが活発・・・・)を親が見て「あ~あ、この子はこういう子なんだな」と納得するしかない。
その上で親としては本人の得意技を伸ばせるものなら伸ばしてやりたい・・・・と思うのがせいぜいなところで子供自身は自分の得手や不得手自体にも気づかないかもしれない。ともかく個体の成長につれ自分自身であれこれやって自分自身を知るしかないわけです。
その意味で子供経験、青春時代の経験などは非常に重要でこの時の環境をできるだけよくしてやろうというのが私立中学に進ませる親御さんのそもそもの原点なのだろうと思います。
ところがそれがやり過ぎになると(過度の競争、長時間の塾通いの末の無理をした有名中学への入学)子供は親の思い通り自分の得手を伸ばしていけるどころか・・・・・・「下流の宴」のようにドロップアウトしたりいらぬ劣等感を持つようになる。
子供は子供自身の器(学習能力、免疫力、体力、反発心、せっかちかのんびりか?)以上にはなれないと最初から親が認識しておけば親の期待と子供の成長が乖離するということもあまりないでしょう。
視点さんや私がいつも言っているのは・・・・・成長していったら最後に東大医学部にたどり着いた・・・・・・・のではなく親が価値観を植え付けて子供を洗脳して有名中学入試に血道をあげ大学入試まで2人3脚でやるのは子供の成長にとってまずいのでは? ・・・・・・ということなんです。
4歳ぐらいに母親から碁を教わって夢中になった子供は7歳ごろ縁日での大道碁を見ていて動かなくなってしまった。 親は近くの碁の強い僧に弟子入りさせ9歳で江戸に出て本因坊家の門を叩いた。それが幕末の棋聖、本因坊秀策です。
これを現代に当てはめると「親は子供を見守り子供の得手を伸ばしてやる」という後ろから眺める子育てで決して前に出て引っ張りまわすものではない・・・・・・・・・・ということになると思うのですが。
動機様
「下流の宴」にはまってますね。
今度私も見てみようかな~。
後ろから眺める子育てで決して前に出て引っ張りまわすものではない・・・・・・・・・・ということになると思うのですが。
↑
この部分に深く同意いたします。
ただ、私自身に置き換えると、それが出来ているのか出来ていないのか??が客観的にはわからない。
基準は「私」だから。
私はここで「子供の土台を作る事」→「やってない」と言いました。
しかし、私と子供の日頃の生活を見た他人からすれば「すげーやってんじゃん!」って思われるかもしれない。
>「自然(子供)は自分よりも強い(親)」
>この事を前提に農作業を行うのか、そうでないのかは 大きいと思います。
地域・時代さんの言う通り。
手とり足とり子供の面倒見たり、レールを敷こうとする親は、自分が子供の人生を見通せると思ってるんだよね。
私はそうは思ってない。
子供が将来ラーメン屋になると言ったとして、その人生は想像できないが、その先にすばらしい人生がある可能性がある。
そういう前提で考えているわけ。
少なくとも、子供には親が理解できる範囲を超えた可能性があると思っている。
だからコントロールなんて発想はでない。




































