在籍生徒の9割が東京と神奈川の学校
私立中学の価値 2校め
既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。
>日本という国の構造的問題だと思いますが。
遺伝さんのおっしゃるとおりだと思います。
経済を発展させることも大事なことで、そのとおり経済が発展してきたから、
本質を知っていた世代はその問題から目を背けてきたのだと思います。
私たちの世代は何も知らされず、疑問にも思わなかった。
戦勝国によって巧妙に仕掛けられ(戦前から)、
一般人が大勢亡くなった心の傷を利用した日本人もいて、プラス安保と在日で複雑化。
経済を優先した吉田茂は、亡くなる前に後悔していたようなことを以前新聞で読みました。
私は世間で起こる事柄で腑に落ちないこともあり、もともと保守的な考えを持っていましたが、
それでも「戦後レジュームの脱却」といわれたときは、何を言っているの?でした。
焼け野原から立派に立ち直ったけど、とうとう液状化を起こしてしまった感じでしょうか。
脆弱な土台に気づき補強し直すのか、このまま近隣指導者の予想を実現させるのか。
まずはマスメディアが広告代理店に左右されるのをやめてほしい。難しいか…。
こちらではカンさん支持が多いのですね。何を言い出すか分からない暑い夏がまた来ましたね。
多様性の範囲は相当広く、学ぶ場はたくさんあると思います。
私立中高の環境や生徒が、偏差値によって多様性が損なわれているということも、当然ありません。
子供達は、学校生活を通じ、それはいろいろな場から何かを感じ学んでいます。
ひとつ感謝するのは、将来の進路やそれを実現するための勉学、クラブ活動でも真剣度、本気度が高いということです。
老眼 様、
そうなんです。政治関連ニュースを見ると時には到底納得出来ないような出来事に出くわします。
福島原発事故もそうです。緊急開放弁が何故開かなかったのか?冗長化された同安全装置の最後の砦は電源に頼らないメカニカルな安全弁があるはずではないか?それが取り外されていた。何故?誰が?保安局の審査は?・・そういう話もあります。
でもこういった自分の手の届かない話題に対して、直接手は打てません。
従って、大局観(=変化する世界観)を捉えて、自分でコントロール出来る場で手を打つわけです。
それが、仕事の場であり、家族の生活であり、子供の教育であるわけです。
局面が進み、廻りまわって手が生きてくることを期待して。
>着眼大局、着手小局・・・
>楽しくもあり,しかし,外をみると・・唸ってしまいます。
視点さん。
>うん、いいとろこに気が付きましたね。
うん?? (笑) キャラが・・・変わってるぞ。いいのか
最近の内田樹先生のお話。引用
松本復興相が知事たちに対する「暴言」について
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発言のマナーにある。
自分の言葉を差し出すときに、相手にそれをほんとうに聞き届けて欲しいと思ったら、私たちはそれにふさわしい言葉を選ぶ。
話が複雑で、込み入ったものであり、相手がそれを理解するのに集中力が必要である場合に、私たちはふつうどうやって、相手の知性のパフォーマンを高めるかを配慮する。
怒鳴りつけられたり、恫喝を加えられたりされると、知性の活動が好調になるという人間は存在しない。
だから、他人を怒鳴りつける人間は、目の前にいる人間の心身のパフォーマンスを向上させることを願っていない。
彼はむしろ相手の状況認識や対応能力を低下させることをめざしている。
学生に向かって「お前はバカだ」とか「お前はものを知らない」というようなことを告げるのは(たとえそれが事実であったとしても)、教育的には有害無益である。
「お前はバカだ」と言われて、頬を紅潮させ、眼をきらきらと輝かせて、「では、今日から心を入れ替えて勉強します」と言った学生に私は一度も会ったことがない。
当人が言うように、知的力量にほんとうに天地ほどの差があるのなら、相手を説得するくらいのことはできてよいはずである。
クリアーなロジックで、平明な文体で、カラフルな比喩を駆使し、身にしみる実例を挙げて、「なるほど・・・そう言われれば、そうですね」というところまで導けるはずである。
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「視点」さん。あなたも「暴言」を吐き、特定の学校の生徒を「貶す」ことを「是」とする。
(まあ、正当化する。)
部分は、それ「らしき」ことを言うが、全体として矛盾だらけの話で。
誰も、「なるほどー」と言わないのは、読み手の問題にしそうだが。違うよ。
クリアーなロジックはない。
視点さんは、相手に、
>パフォーマンスを向上させることを願っていない。
>むしろ相手の状況認識や対応能力を低下させることをめざしている。
ということ。けっして、視点さんお話で、相手のパフォーマンスはあがらない。
下げることを願っているから、しょうがないけど。
>それが、仕事の場であり、家族の生活であり、子供の教育であるわけです。 局面が進み、廻りまわって手が生きてくることを期待して。
それしかないんでしょうね。たぶん。
活動の場が狭い範囲(県市町村規模,その場完結型の仕事:地場産業,教職,医療職etc)か逆に広い範囲(日本を無視できるフィールド)のどちらかであれば,国内での局面変化に都度適応することで大抵しのげるわけですが,その中間に位置する場合,たとえばですが,今の国内エネルギー供給問題や,以前動機さんにご紹介していただいたNPOセクターなど,何らかの形で広く国民にかかわることで,しかも,国の行く末にかかわる事項においては,一時的な適応では応じることはできませんし,また‘廻りまわる’時間的余裕というものが果たしてどれだけあるのかなぁ-というのもありますね。パターンいろいろ,進んだ局面というものは想像できますが,予想外の局面でも生きなければならないことを考えると,‘広い範囲’に順応できる必要性があらためて示されたと感じています,とくに教育観において。
私の周りのシニアは、子供さんが海外で暮らしている方が多くなってきました。
こうい方がこれから増えるんじゃないでしょうかね。
資産を整理して、子供さんのところに永住するケースもあります。
ひとつは、拠点を日本に押さえておいて。
言霊
梅原 猛氏の「地獄の思想」思いだしました。
私は、かんさんを 積極的に支持しているわけではないです。
今回の献金問題の話は、きっちり追求して欲しいですね。
視点さん
>今日は 地域、時代さんから 「なるほどなー」を頂きました。
それは。
>良いところをとりいれたらいいですよ。
>日本の制度にあわないところをそのまま取り入れられないのは当然です。
の「部分」だけだろ。まあ、うれしかったんだろーなー。よかったね。
地域、時代さんはやさしいからねー。それから、ちょっと、からめとられているんじゃない?こんどは、別の方法で。(笑)
パブリックスクールってのは、「システム」ですよ。
貴族的階層が生活を共にして、基本的価値観を作り上げる。
日本には、そんなとこは「ない」し、これからも、「ない」でしょ。
だから。視点さんは
>1つの理想があるとすれば、家庭教育で「正しい価値観」を身につけ、
>多様な集団に放り込むが理想でしょうね。
と「家庭教育」なんて言うのですよ。
中高での教育の話なんでしょ?ここの話は?
パブリックスクールの「システム」のよいとこを、日本の学校教育のどこに、どう取り入れたら、どうよくなるかなんて、具体的な説明ないでしょ。ないでしょ。
「基本的価値観を身につける」ことは、単に、抽象的話で、別に、パブリックスクールの「システム」でなくてもいい。日本は、別の方法で、すればいいだけでしょ。
学校で「基本的価値観を身につける」としたら、パブリックスクールの「システム」でなければならないのなら、そう言えばいいけど。
そうであるなら、現代の日本人はだれひとり、学校で「基本的価値観を身につける」ことはなかったことになるな。
それから、パブリックスクールが多様な集団でないのに、なぜ、そのままでいいのかの説明もないしね。たしか、両方必要なんだろ?




































